テレビやニュースを見ていると、かつてなら当たり前のように使われていた「女優」という言葉を、以前ほど聞かなくなったことに気づく人も多いのではないでしょうか。
女性であっても「俳優」と紹介する。
男性も女性も、まとめて「俳優」と呼ぶ。
こうした変化は、いまやテレビ局や新聞、ニュースサイトなどでも珍しくありません。
そんな中、TOKIOの松岡昌宏さんによる「女優」と「俳優」の呼称をめぐる発言が注目を集め、SNSでは賛否両論が巻き起こりました。
「女性を俳優と呼ぶことに違和感がある」
「女優という言葉には特別な響きがある」
「なぜ、わざわざ女優という言葉をなくす必要があるのか」
一方では、
「職業名に性別をつけない流れは自然だ」
「本人が望まない場合もある」
「俳優という言葉は本来、男女を問わず使える」
という意見もあります。
さらに、高橋惠子さん、室井滋さん、池上季実子さん、川上麻衣子さんら、長年第一線で活躍してきた女性たちからも、「女優」という言葉への思いや、「俳優」と呼ばれることへの違和感が語られてきました。
ここで興味深いのは、この問題が単純な「古い価値観 vs 新しい価値観」では片付けられないことです。
なぜなら、「女優」という言葉には、単なる女性版の職業名以上の歴史や文化的なイメージが積み重なっているからです。
一方で、「俳優」という呼び方に統一しようとする動きにも、ジェンダー平等や多様性という明確な理由があります。
では、どちらが正しいのでしょうか。
あるいは、そもそも「どちらか一方だけを正解にする」という考え方自体が、この問題を難しくしているのかもしれません。
この記事では、松岡昌宏さんの発言をきっかけに再燃した「女優か、俳優か」という議論について、日本とアメリカにおける言葉の歴史をたどりながら考えてみます。
- 松岡昌宏さんの「女優」をめぐる発言が議論を呼んだ理由
- ベテラン女性俳優たちが「女優」という言葉に抱く思い
- 「俳優」と「女優」は、そもそもどのように生まれた言葉なのか
- アメリカで「Actor」が広く使われるようになった背景
- 「ジェンダー平等」と「個人の誇り」は両立できるのか
松岡昌宏の「女優」発言はなぜ大きな議論になったのか?
松岡昌宏さんの発言がここまで注目された背景には、「女優」という言葉に対する人々の受け止め方の違いがあります。
同じ言葉でも、敬意や憧れを感じる人がいる一方、性別による区分だと考える人もいます。そのズレが今回の議論を大きくしました。
以下、ニュース報道を引用します。
元TOKIOの松岡昌宏(49)が23日、NACK5「松岡昌宏の彩り埼先端」(日曜午前7時)に出演。「女優」を「俳優」と呼ぶ風潮に対し、「けしからん!」と強く異議を唱えた。
引用元:Yahoo!ニュース・日刊スポーツ
松岡は冒頭トークで、この日誕生日を迎えた女優の実名をあげつつ、女優のすばらしさなどについて話した。その流れで最近、メディアなどで「女優」という呼称が「俳優」にかわりつつある風潮の話題に入った。
松岡は「あ、これ今アレでしょ? また“俳優さん問題”ね? わたくしは言い続けますよ。世の中が“女優さん”も“俳優さん”も“男優のかた”も、みんな“俳優”で整えるんだ、統一するんだ…みたいな風潮あるじゃないですか?」と切り出した。
そして“女優を俳優と呼ぶ風潮”について「これは本当に間違ってますよ。“女優さん”っていうのは特別なんです。ええ。“女優さん”っていうのは、みんながみんななれるもんじゃないんです。本当にごく一部の方々なんです。だから、その“女優さん”には敬意を表して、やっぱり、“女優さんは素敵だ”っていう称号ですよ。言うなれば。女優さん、それを何です? “俳優の何々さん”(と呼ぶ風潮は)。けしからん!実にけしからん!」と怒りすら込めたように語気を強め、持論を展開した。
「女優」という言葉に違和感を持つ人と、失いたくない人
松岡昌宏さんの前述の発言をきっかけに、SNSでは「女優」という呼称をめぐる議論が広がりました。
この問題が興味深いのは、必ずしも意見が男女で単純に分かれているわけではないことです。
女性の中にも、
「私は女優と呼ばれたい」
という人がいる一方で、
「性別をつけず、俳優でいい」
と考える人もいます。
つまり、この問題は単純に「男性が女性をどう呼ぶか」という話ではありません。
むしろ本質は、本人や社会が、自分たちの職業やアイデンティティをどのような言葉で表現するのかという問題なのです。
松岡さんの発言についても、その言葉だけを切り取れば、「ジェンダー平等の流れに反発している」と受け止める人がいるのは理解できます。
「女性も男性も同じ俳優でいいのでは?」
という考え方が広がっている現在、「間違っている」という強い表現は、反発を生みやすいからです。
一方で、「女優」という言葉に特別な敬意や憧れを感じてきた人にとっては、松岡さんの発言はまったく違った意味に聞こえたでしょう。
「女優」という言葉を、女性を区別するための言葉ではなく、長年築き上げられてきた敬称や称号のように感じている人もいるからです。
ここに、この問題の難しさがあります。
同じ「女優」という言葉を見ても、ある人には「性別による区分」に見え、別の人には「誇りあるアイデンティティ」に見えるのです。
大御所たちが語ってきた「女優」という言葉への思い
この議論では、長年「女優」と呼ばれてきたベテランたちの言葉も注目されます。
高橋惠子さん、室井滋さん、池上季実子さん、川上麻衣子さんらは、それぞれの形で「女優」という呼称への思いや、「俳優」と一括りにされることへの違和感を語ってきました。
もちろん、全員が同じ理由で「女優」という言葉を大切にしているわけではありません。
しかし、その背景には共通するものがあります。
それは、彼女たちが「女優」という言葉とともに、自分自身のキャリアを積み上げてきたということです。
若いころから競争の厳しい世界に身を置き、映画やドラマ、舞台で役を演じ続ける。
「女優」という言葉は、そうした人生そのものと切り離せない存在になっている。
だからこそ、社会の側から、
「これからは『俳優』と呼びます」
と言われたとき、単なる言い換え以上のものを感じる人がいるのでしょう。
たとえば、会社員の肩書きが突然変更されたという話とは少し違います。
「女優」という言葉には、日本の映画史やテレビ史、スター文化とともに育ってきた独特のイメージがあります。
「大女優」「銀幕の女優」「名女優」
こうした言葉には、単に「女性の俳優」という以上の響きがあります。
だから、「女優」という言葉をなくすべきかどうかという議論は、単なる言葉の整理では終わらないのです。
「失言」ではなく、価値観の衝突として見るべき問題
今回の騒動を「松岡昌宏さんの失言」とだけ整理してしまうと、本質が見えにくくなります。
もちろん、発言に対して批判する人がいることは自然です。
しかし同時に、多くの賛同者が現れたことも、この問題が社会の中でまだ結論の出ていないテーマであることを示しています。
そこには、
社会全体のルールとして、性別を問わない言葉を使いたい
という考え方と、
自分自身が大切にしてきた言葉や呼ばれ方を尊重してほしい
という考え方があります。
どちらも、一概に否定できるものではありません。
そして、この二つがぶつかる場所に、「女優か俳優か」という問題があるのです。
「女優」という言葉はどのように生まれたのか?
「女優」という言葉に特別な思いを持つ人がいる理由を理解するには、その歴史を見る必要があります。
実は「俳優」と「女優」は、最初から現在と同じ意味で使われていたわけではありません。
近代化や西洋演劇の流入が、日本独自の言葉の文化を形づくっていきました。
「俳優」はもともと男性だけを意味していたわけではない
現在、「女優」を「俳優」に統一しようという動きがあるため、
「昔は俳優が男性、女優が女性だった」
と思われがちです。
しかし、「俳優」という言葉そのものは、必ずしも最初から男性だけを指す言葉だったわけではありません。
日本語における「俳優」は、演じる人、芸をする人を表す言葉として使われてきました。
また、日本の伝統芸能を考えても、「演じる」という行為そのものが、最初から男女によって言語的に完全に分けられていたわけではありません。
ただ、日本の近代演劇が発展していく過程で、「女性が舞台で演じる存在」を特別に表す必要が生まれていきます。
そこで登場したのが「女優」という言葉です。
明治期の近代演劇と「女優」の誕生
「女優」という言葉は、近代以降、西洋演劇の影響を受ける中で広がっていきました。
当時の日本の伝統的な演劇、特に歌舞伎では、女性の役を男性が演じる女形の文化が長く続いていました。
そのため、女性自身が舞台に立ち、役を演じるという存在は、近代演劇の発展とともに社会的な意味を持つようになります。
英語圏には「actor」と「actress」という区別があり、日本でも女性の演じ手を表す言葉として「女優」という表現が定着していきました。
つまり、「女優」という言葉は、日本の伝統的な演劇文化だけから自然に生まれたというより、近代化と西洋文化の流入の中で形成されていった言葉と考えることができます。
ここが重要です。
現在の「俳優」という呼称への統一は、まったく新しい言葉を作っているわけではありません。
むしろ、「演じる人」を性別にかかわらずまとめて表現する方向へ戻っている、と見ることもできます。
ただし、それだけでは「女優」という言葉の価値を説明しきれません。
なぜなら、その後100年以上の時間をかけて、「女優」という言葉そのものが日本独自の文化的な意味を持つようになったからです。
「職業名」を超えてスターの称号になった
昭和の映画黄金期を経て、「女優」という言葉は大きく変化していきます。
スクリーンの中で輝く女性たちは、単なる「役を演じる職業人」ではありませんでした。
人々の憧れであり、時代のファッションをつくり、女性の生き方そのものに影響を与えるスターでもありました。
「女優」という言葉には、いつしか、
美しさ・華やかさ・存在感・演技力・ミステリアスな魅力
そして、ときには「普通の人とは違う人生を生きる人」
というイメージまで重ねられるようになります。
もちろん、すべての女優がそのイメージに当てはまるわけではありません。
しかし、日本の大衆文化の中で「女優」という言葉が特別なブランド性を持つようになったのは確かでしょう。
だからこそ、長年「女優」と呼ばれてきた人たちにとって、その言葉を単なる「性別付きの職業名」として処理されることに違和感が生まれるのかもしれません。
アメリカではなぜ「Actor」が広く使われるようになったのか?
日本の「女優」をめぐる議論を考えるうえで、アメリカの「Actor」と「Actress」の変化も重要です。
ただし、「アメリカでは完全にActorへ統一された」と考えると実態を見誤ります。
言葉の変化と制度の変化には、今もズレが残っているからです。
「Actor」と「Actress」にあった非対称性
一方、アメリカをはじめとする英語圏では、「Actor」と「Actress」の使い分けを見直す動きが長く続いてきました。
「Actor」は俳優 /「Actress」は女優
かつては、この区別が一般的でした。
しかし、女性の社会進出やフェミニズムの広がりとともに、
「なぜ職業名の基本形が男性を前提としているのか」
という問いが生まれます。
英語では、「Actor」を基本形とし、女性形として「Actress」を作る構造になっています。
同じような例として、
waiter / waitress
host / hostess
などがあります。
こうした言葉について、「男性が標準で、女性はそこから派生した存在のように扱われている」と考える人が出てきました。
そこで、「性別を問わずActorを使おう」という流れが広がっていきます。
ハリウッドでも「Actor」は男女共通の言葉として定着
現在の英語では、女性を指して「actor」と呼ぶことは珍しくありません。
むしろ、職業として説明する場合、
“She is an actor.”
という表現を使うケースも広く見られます。
ただし、ここで注意したいのは、「Actress」という言葉が完全に消滅したわけではないことです。
映画賞などでは現在も、
Best Actress
Best Supporting Actress
といったカテゴリーが使われています。
つまり、アメリカでも「Actorへの完全統一」がすべての場面で実現しているわけではありません。
職業名としてはジェンダーニュートラルな「Actor」が広がる一方、映画界の伝統的な制度や賞の名称では「Actress」が残っている。
そこには、アメリカ社会自身も、言葉と制度の変化を完全には整理しきれていない現実があります。
ノンバイナリーの存在が議論をさらに変えた
近年、この問題をさらに複雑にしたのが、ノンバイナリーなど、性別を男性・女性の二つだけに限定しない考え方の広がりです。
「男性俳優」と「女優」のどちらにも当てはまらない人が存在するなら、そもそも職業名を性別で分ける必要があるのか。
こうした問いが強まる中で、「Actor」のような包括的な言葉が選ばれる場面は増えていきました。
日本でも、「俳優」という呼称を使う動きには、こうした世界的なジェンダーニュートラル化の流れが影響していると考えられます。
ただ、日本の「女優」と、英語の「Actress」は、完全に同じ文化的な意味を持っているわけではありません。
ここが、議論を単純な「アメリカではこうだから、日本も同じにすべき」という話にできない理由です。
日本では、「女優」という言葉に独自の歴史とスター文化が重なっているからです。
なぜ「看護婦→看護師」と「女優→俳優」は同じではないのか?
日本社会では、職業名を性別で分けない流れがすでに定着しています。
しかし、「女優」を「俳優」にする問題には、それとは少し違う難しさがあります。
一般的な職業と、本人の身体や人生経験そのものが表現に関わる芸術の世界を、同じ基準だけで考えてよいのでしょうか。
社会では職業名のジェンダーニュートラル化が進んできた
日本では、すでに多くの職業名が性別を限定しない表現へと変化してきました。
たとえば、
「看護婦」から「看護師」
「保母」から「保育士」
「スチュワーデス」から「客室乗務員」
といった変化です。
これは、女性だけがその仕事をする、あるいは男性だけがその仕事をするという前提をなくすための変化でした。
実際、看護師にも男性がいます。
保育士にも男性がいます。
客室乗務員にも男性がいます。
職業の内容そのものに性別は関係ありません。
その意味で、性別を含まない名称へ変えていくことには合理性があります。
では、「女優」も同じように「俳優」に統一すればいいのでしょうか。
ここで議論が分かれます。
表現の世界では「性別」そのものが役の一部になる
俳優という仕事は、一般的な職業とは少し性質が異なります。
俳優は、自分自身の身体や声、年齢、人生経験を使って役を表現します。
女性であること。
男性であること。
あるいは、性別をどのように自認しているか。
それらは、役柄や表現と無関係ではありません。
恋愛ドラマで「女性として生きてきた経験」が演技に影響することもあるでしょう。
母親役を演じる経験。
女性として社会の中で受けてきた視線。
年齢を重ねる中で変化する身体。
こうしたものも、表現者にとっては演技の材料になります。
もちろん、「だから女優という言葉が必要だ」と直結するわけではありません。
しかし、一般的な職業名の変更と、表現者のアイデンティティの問題を完全に同列に扱うことには、慎重であるべきでしょう。
俳優という仕事では、性別が「職務上不要な情報」であるとは限らないからです。
「平等」と「違いを認めること」は本当に対立するのか
この問題を難しくしているのは、「平等」と「差異」を対立概念として考えてしまうことです。
平等とは、すべての人をまったく同じ言葉で呼ぶことなのでしょうか。
それとも、違う人が違うあり方を選ぶ自由を認めることなのでしょうか。
たとえば、ある女性が、
「私は俳優です」
と言えば、それを尊重する。
別の女性が、
「私は女優と呼ばれたい」
と言えば、それも尊重する。
本来、多様性とはこうした違いを受け止めることでもあるはずです。
ところが、社会全体のルールを決めようとすると、どうしても「どちらかに統一する」という話になりやすい。
そこで摩擦が生まれます。
「俳優」と「女優」は両立できないのか?
ここまで見てきたように、「俳優」と「女優」の問題は、どちらか一方が完全に正しく、もう一方が間違っているという単純な話ではありません。
社会で使う標準的な言葉と、本人が自分をどう表現したいかを分けて考えることで、対立の見え方は変わってきます。
社会的な呼称と、本人が選ぶ呼び方は分けて考える
この議論を考えるうえで、一つの整理の方法があります。
それは、
社会やメディアが使う標準的な呼称
と、
本人が自分自身をどう名乗るか
を分けて考えることです。
ニュース記事や公式文書などで、特定の性別を前提としない「俳優」という言葉を使う。
これは一つの合理的なルールです。
一方で、本人が「私は女優です」と名乗ることまで否定する必要があるのでしょうか。
「女優」と名乗ることを本人が望んでいるなら、その意思を尊重することもまた、多様性の考え方と矛盾しないはずです。
問題は、「俳優だけが正しい」「女優だけが正しい」と、一方を完全に排除しようとすることなのかもしれません。
言葉は変化する。しかし、過去を消す必要はない
言葉は時代とともに変わります。
かつて当たり前だった言葉が使われなくなることもあります。
逆に、新しい価値観に合わせて、新しい言葉が生まれることもあります。
「俳優」という呼称が広がるのも、そうした言葉の変化の一つでしょう。
しかし、新しい言葉が広がることと、古い言葉を完全に否定することは別です。
「女優」という言葉には、日本の映画やテレビ、演劇の歴史が刻まれています。
そこには、多くの女性表現者が築いてきたキャリアや努力も含まれています。
だからこそ、「時代遅れだからなくせばいい」という乱暴な話では済まないのです。
一方で、「昔からある言葉だから絶対に変えてはいけない」とするのも、現実的ではありません。
社会が変われば、言葉の使われ方も変わる。
その中で大切なのは、変化を受け入れながらも、その言葉を大切にしてきた人の思いを雑に扱わないことではないでしょうか。
アカデミー賞にも残る「Actress」という言葉
「Actor」という包括的な呼び方が広がるアメリカでも、「Actress」という言葉や男女別の演技賞は残っています。
そこには、言葉を中立化することと、制度上の公平性をどう両立させるかという別の課題があります。
ハリウッドの現状から、その複雑さを見てみます。
ハリウッドもまだ答えを出していない
「アメリカではActorに統一されている」というイメージがありますが、実際にはそれほど単純ではありません。
たしかに、職業名としては男女を問わず「Actor」と表現する流れが広がっています。
しかし、アカデミー賞をはじめとする映画賞では、現在も男女別の演技賞が設けられています。
つまり、社会的な呼称の変化と、制度としての区分は必ずしも同じスピードでは変わらないのです。
ここには、別の問題もあります。
もし演技賞を完全に男女混合の一部門にした場合、受賞者の男女比がどうなるのか。
歴史的に見ると、映画業界には男女間の格差や機会の不均衡も存在してきました。
そのため、「性別による部門をなくせば、それだけで平等になる」とは限りません。
形式上は一つの賞に統合されても、結果として特定の性別に受賞者が偏る可能性もあります。
つまり、ジェンダーニュートラル化には、理念だけでは解決できない現実的な問題もあります。
この点から見ても、「ActorとActressの問題」はアメリカでも完全に決着しているわけではありません。
本当の多様性とは、どちらかを消すことなのか?
松岡昌宏さんの発言から始まった今回の議論は、結局のところ「どちらの言葉が正しいか」という問題だけではありません。
社会全体のルールをどう整えるかと、一人ひとりが自分の歴史や誇りをどう表現するか。
その二つを両立させる視点こそ、これから必要になりそうです。
「女優という言葉を守る側」と「俳優に統一したい側」の二項対立ではない
今回、松岡昌宏さんの発言をきっかけに再び注目された「女優か、俳優か」という問題。
この議論を見ていると、私たちはつい、
「女優という言葉を守る側」
と
「俳優に統一したい側」
の対立として考えてしまいます。
しかし、本当にそうなのでしょうか。
「女性だから女優と呼ばなければならない」
という考え方も、
「女性を女優と呼んではいけない」
という考え方も、
どちらも個人の選択肢を狭めてしまう可能性があります。
重要なのは、呼び方を一つに固定することよりも、本人の意思や、その言葉が持つ背景を理解することではないでしょうか。
社会のルールと個人の誇りは両立できる
社会のルールとして「俳優」というジェンダーニュートラルな表現を使うことには意味があります。
一方で、「女優」という言葉に誇りや憧れを持つ人が、その言葉を使い続けることにも意味があります。
この二つは、本来なら両立できるはずです。
ニュースや公的な場では、包括的な言葉として「俳優」を使う。
一方、本人が「女優」として活動し、その呼称を大切にしているなら、その意思を尊重する。
このように考えれば、「俳優」と「女優」は必ずしも敵対する言葉ではありません。
多様性とは、すべてを同じにすることではない
むしろ、多様性とは、すべての違いを消して同じ言葉に統一することではなく、異なる選択を認めることではないでしょうか。
「私は俳優です」
「私は女優です」
そのどちらを選んでも否定されない社会。
そこにこそ、この議論の一つの着地点があるのかもしれません。
女優を俳優とする現状に関するよくあるFAQ
ここまでの内容を踏まえると、「結局、どちらを使えばいいのか」「女優という言葉は禁止されているのか」といった疑問も出てきます。
最後に、今回のテーマを理解するうえで押さえておきたい基本的な疑問を、Q&A形式でまとめてみました。
- Q1. なぜ最近「女優」と言わなくなったの?
- A1. ジェンダー平等や多様性への配慮から、職業名に性別を含めない表現を使おうとする動きが広がっているためです。「俳優」は男女を問わず使える言葉であることから、メディアなどで使用される機会が増えています。
- Q2.「女優」という言葉は禁止されているの?
- A2. いいえ。一般的に「女優」という言葉そのものが禁止されているわけではありません。現在も本人のプロフィールやメディア、映画賞などで使われています。ただし、組織や媒体によって表記方針が異なります。
- Q3.「俳優」はもともと男性だけを指す言葉だったの?
- A3. 必ずしもそうではありません。「俳優」は本来、演じる人を広く表す言葉として使われてきました。現在では特に、性別を問わない職業名として使われることが増えています。
- Q4.「女優」はいつごろ生まれたの?
- A4. 近代以降、西洋演劇の流入や女性が舞台で演じる機会の広がりとともに定着していった言葉です。英語の「Actress」との関係も深く、日本の近代演劇の発展とともに広く使われるようになりました。
- Q5. アメリカでは「Actress」はもう使われない?
- A5. 完全になくなったわけではありません。女性を「Actor」と呼ぶ使い方が広がっている一方、映画賞の部門名などでは現在も「Actress」が使われています。
- Q6. なぜアメリカでは「Actor」が広がったの?
- A6. 職業名を性別で分ける必要があるのかという議論が広がったことが大きな背景です。また、ノンバイナリーなど、男女二元論に当てはまらない人への配慮という観点からも、包括的な表現が求められるようになっています。
- Q7. 松岡昌宏さんの発言が議論を呼んだのはなぜ?
- A7.「女優」という言葉を大切に考える立場からの発言として共感する人がいる一方、「俳優」というジェンダーニュートラルな表現を否定するものと受け止めた人もいたためです。同じ言葉でも、受け取る側の価値観によって意味が異なったことが議論につながりました。
- Q8. ベテラン女性俳優が「女優」という言葉を大切にするのはなぜ?
- A8. 人によって理由は異なりますが、長いキャリアの中で「女優」という言葉とともに自分の仕事や人生を築いてきたという背景があります。「女優」が単なる性別表記ではなく、誇りや憧れ、職業的なアイデンティティと結びついている場合もあります。
- Q9. 芸能事務所のプロフィールはどうなっている?
- A9. 事務所や本人によって異なります。「俳優」で統一している場合もあれば、「女優」と表記している場合もあります。現在は一律のルールがあるわけではありません。
- Q10. 結局、日常会話では「女優」と「俳優」のどちらを使えばいい?
- A10. 絶対的な正解があるわけではありません。一般的・包括的な表現として「俳優」を使うこともできますし、本人が「女優」として活動している場合、その呼称を使うことも自然です。迷った場合は、本人や所属先がどのような表記を使っているかを参考にする方法もあります。
まとめ 〜 松岡昌宏さんの発言が問いかけた「言葉」と「誇り」の問題
「女優か、俳優か」という議論は、一つの言葉を残すか消すかだけの問題ではありません。
そこには日本のエンターテインメント文化の歴史があり、ジェンダー平等を目指す社会の変化があります。
最後に、今回の議論から見えてきたポイントを整理します。
松岡昌宏さんの発言をきっかけに注目された「女優か俳優か」という呼称問題。
これは、単なる「言葉狩り」でも、「古い人たちが時代についていけない」という話でもありません。
そこには、日本で「女優」という言葉が歩んできた歴史があります。
近代演劇の発展。
映画黄金期。
テレビドラマの時代。
そして、多くの女性表現者たちが積み上げてきたキャリア。
一方で、「俳優」というジェンダーニュートラルな言葉を使おうとする流れにも、明確な理由があります。
職業を性別で区分しないこと。
男性を標準、女性を派生形とするような言葉の構造を見直すこと。
そして、多様な性自認を持つ人を包摂すること。
どちらか一方だけを「絶対的な正解」とするのは、おそらく難しいでしょう。
社会全体の標準的な表現として「俳優」を使う。
しかし、本人が「女優」という言葉に誇りを持ち、そのように名乗ることも尊重する。
この二つは、必ずしも矛盾しません。
むしろ、多様性とは、全員を同じ言葉に統一することではなく、異なる選択を認めることではないでしょうか。
「女優」という言葉を残したい人がいる。
「俳優と呼ばれたい人がいる」。
その両方が存在することを認める。
松岡昌宏さんの発言が大きな議論を呼んだことで、私たちは改めて、そんな当たり前のようで難しい問題を考えることになったのかもしれません。
- 「女優」と「俳優」の問題は、単純な世代間対立ではない
- 「女優」という言葉には、日本の映画・演劇文化の中で形成された独自の歴史がある
- 「俳優」は現在、性別を問わない包括的な職業名として使われることが増えている
- アメリカでも「Actor」と「Actress」をめぐる問題が完全に解決しているわけではない
- ジェンダーニュートラルな社会的呼称と、「女優」という個人のアイデンティティは両立できる
- 本当の多様性とは、どちらか一方を消すことではなく、異なる選択を尊重することなのかもしれない


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