【訃報】LUNA SEA真矢さん死去|脳腫瘍の闘病を支えた妻・石黒彩さんとの絆と生前最後のメッセージ

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日本のロックシーンを長年牽引してきたLUNA SEAのドラマー、真矢(本名:山田 真矢 / やまだ しんや)さんが、2026年2月17日午後6時16分に亡くなりました。56歳でした。

あまりにも突然の訃報に、ファン(SLAVE)だけでなく音楽業界全体が深い悲しみに包まれています。SNSには「言葉が出ない」「信じられない」「日本から偉大なドラマーが1人居なくなってしまった」といった声が深夜の列島を駆け巡りました。

1989年の結成以来、「ROSIER」「DESIRE」「STORM」といった数々の名曲を生み出してきたLUNA SEA。その「心臓」として屋台骨を支え続けてきたのが真矢さんでした。

ステージ上での力強いパフォーマンスとは対照的に、テレビ番組などで見せる底抜けに明るいお人柄は、幅広い層から深く愛されていました。

2020年に大腸がんステージ4の診断を受け、さらに2025年秋には脳腫瘍を公表。7回にも及ぶ手術や過酷な治療を続けながらも、常に前を向いていました。

来月3月12日に控えていた有明アリーナでの公演への復帰を目指し、亡くなる数日前までリハビリに励んでいた矢先の急変でした。

この記事では、真矢さんの5年間にわたる闘病生活の軌跡、妻・石黒彩さんをはじめとするご家族との絆、そして生前最後のメッセージについてまとめました。

この記事でわかること
  • 2020年の大腸がん発覚から昨年の脳腫瘍まで、真矢さんがどのように病と向き合ってきたのかという闘病の軌跡
  • 喪主を務めた妻・石黒彩さんの献身的なサポートや、故郷・秦野市を愛した家族との温かい絆
  • 生前最後の公の姿やSNS投稿、そしてLUNA SEAメンバーたちの悲痛な想い
  • LUNA SEAの”心臓”として音楽界に刻んだ伝説とドラマーとしての偉大な軌跡
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目次

死因となった脳腫瘍と大腸がん…5年間の壮絶な闘病生活

真矢さんの56年という生涯は、音楽への情熱とともに、後半生は病魔との壮絶な闘いでもありました。

決して弱音を吐かず、ファンの前では常に笑顔を絶やさなかった真矢さん。その裏側には、想像を絶する苦難と強い意志がありました。

2020年・大腸がんステージ4からのライブ続行

真矢さんの闘病生活が始まったのは2020年のこと。ステージ4の大腸がんという重篤な診断を受けながらも、音楽活動を止めることはありませんでした。

手術や抗がん剤治療、放射線療法という身体に大きな負担のかかる治療を受けながら、ステージに立ち続け、力強いドラムをファンに届けていました。

計7回にも及ぶ手術を乗り越えながらも、ステージ上では病気を感じさせないパワフルなプレイを披露し続けた姿は、多くの人に感動と勇気を与えました。

昨年の脳腫瘍発覚から、3月のライブ復帰へ向けた過酷なリハビリ

大腸がんとの闘いが続く中、さらに過酷な試練が訪れます。

2025年8月、めまいで転倒し、まともに立つことも歩くこともできない状態に。当初は耳石のずれと見られていましたが回復が認められず、MRI検査の結果、右側頭部に腫瘍が発見されました。

同年9月に「脳腫瘍」の診断を公式サイトで公表します。

その後、自身のSNSで青パパイアの発酵食品を摂取したところ、「医師が驚くほど腫瘍が小さくなってたの。ついでに他の不調なところも調子良くなったよ」と喜びを報告。「更に元気になって早くみんなに会いたいです!!」と綴り、常に前向きな姿勢を貫いていました。

3月12日予定の有明アリーナ公演「LUNATIC X’MAS 2025 -OUR JOURNEY CONTINUES-」への完全復帰を目指し、亡くなる数日前まで調整とリハビリに励んでいたといいます。

しかし、その願いが叶うことはなく、2月17日午後6時16分、容体が急変。あまりにも早すぎる旅立ちでした。

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妻・石黒彩さんの献身的なサポートと家族の絆

真矢さんのお人柄を語る上で欠かせないのが、温かい家族の存在です。

喪主を務めた石黒彩さん。最後まで夫を支え続けた日々

真矢さんは2000年5月に、元「モーニング娘。」の石黒彩さんと結婚。長女、次女、長男の3人の子供に恵まれました。

子供たちの名前にはすべてドラムに関係する文字や意味が込められており、真矢さんのドラムへの愛情が伝わってきます。入籍から5年後の2005年には出雲大社で改めて結婚式を挙げるなど、夫婦の絆の深さを示していました。

5年間の闘病生活において、最も身近で真矢さんを支え続けたのが石黒さんです。脳腫瘍の公表時には自身のSNSに家族5人が手を繋ぐ写真を投稿し、「この五年間、真矢の強い信念で、闘病は公表せず全力で闘い、アーティストとして変わらぬプレーを貫いてきました」「常にポジティブで弱音を吐かず、音楽と向き合ってきた主人を誇りに思っています」と語りました。

葬儀・告別式はご遺族の意向により近親者のみで執り行われ、石黒さんが喪主を務めました。最後まで夫の回復を信じ、ともに闘い抜いた石黒さんの深い悲しみは計り知れません。

故郷・秦野市を愛し、お祭りで見せた家族の笑顔

神奈川県秦野市出身の真矢さんは、故郷への深い愛着を持っていました。「はだのふるさと大使」も務め、「いろんなものが奇麗で、道を歩いているだけで気持ちいい」と地元の魅力を語っていました。

「秦野たばこ祭」や「丹沢まつり」といった地元のお祭りには、家族そろって参加するのが恒例でした。

2025年9月の秦野たばこ祭では、はだのふるさと大使としてパレードの先導車で太鼓を打つ姿も。地元の祭りの神輿には真矢さんの快復を祈願する飾りがつけられ、地域から深く愛されていたことが伝わってきます。

また2025年11月27日には、秦野市の市制施行70周年を記念し、小田急電鉄・秦野駅にてLUNA SEAの代表曲『I for You』と『ROSIER』をアレンジした列車接近メロディの採用を祝うセレモニーに、メンバーとともに出席しました。

音楽以外にも、ラーメン店「天雷軒」のプロデュースや、パワーストーン・天然石専門店「Re:soul(リソール)」の代表取締役社長を務めるなど、多彩な実業家としての顔も持っていました。

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生前最後のSNS投稿と「LUNA SEA」メンバーへの想い

「おかげ様で…」誕生日に語った前向きなメッセージ

真矢さんが生前、公に向けて発信した最後の言葉のひとつが、2026年1月13日の56歳の誕生日にSNSへ投稿したメッセージでした。

過酷な闘病の最中であったにもかかわらず、自身の苦しみよりもファンを安心させようとする言葉。常に人を笑顔にしたいと願っていた真矢さんらしい、温かい最後の投稿でした。

「LUNATIC FEST. 2025」での代役・淳士とのエピソードと魂の言葉

最後に公の場に姿を見せたのは、2025年11月9日に開催された「LUNATIC FEST. 2025」でした。ドラムを叩くことは叶いませんでしたが、ステージにサプライズで登壇し、自らの言葉で想いを語りました。

元々は3ヶ月経って杖ついて歩けるんじゃないかって言われたんだけど、みんなのおかげで1ヶ月で杖なしで歩くことができました。でも、まだまだ今は治療とリハビリに集中してます。でもね、今回の件で色々こうなんか、色んなこう判断をしてなきゃいけなくって。そん中でルナシーには絶対止まって欲しくない。絶対ルナシーを続けたいと僕はメンバーにわがままを言いました。

このフェスで代役を務めたのは、かつて真矢さんのローディーも務めていた淳士さんでした。真矢さんはステージ上で「しんちゃんが指名してくれて淳士が来てくれたけど、すごい頼りになる後輩だね。淳士泣くなって。泣いてんじゃない」と優しく声をかけ、師弟愛を感じさせる光景が広がりました。

さらに「もしかしたら一生(ドラムを)叩けないかもしれない。でも少しでもドラムを叩きたいという少し前からの小さな願いという夢だったので、みんなもその時空間と同じ時間を過ごしてくれたら本当に嬉しいです。何回も言うけど、ルナシーは決して止まらない」と力強く宣言した真矢さん。その言葉通り、最後まで諦めることなく復帰を目指していました。

メンバーからの悲痛なコメント全文と深い絆

真矢さんの訃報を受け、LUNA SEAのRYUICHIさん、SUGIZOさん、INORANさん、Jさんが連名でコメントを発表しました。

皆様へ LUNA SEAのかけがえのないドラマー 真矢が、2026年2月17日 18時16分 永眠いたしました。 2020年にステージ4の大腸がん、そして昨年には脳腫瘍も発覚し、7回の手術や治療を継続してきましたが、56年の人生に幕を下ろしました。 懸命なリハビリを続け、3月のライヴではドラムを叩くことを目指していた中、容態が急変し、あまりにも早い旅立ちでした。 生前、真矢は『また必ず5人でステージに戻る』と、誰よりも強く再起を信じ、病魔に立ち向かっていました。 その不屈の精神と、最後まで絶やさなかった太陽のような笑顔は、僕達メンバー、そしてスタッフ全員の希望の光でした。 彼が35年以上にわたって刻み続けた魂のビート、そして音楽への深い愛は、これからもLUNA SEAの物語の中で、決して鳴り止むことはありません。 これまで真矢を温かく支えてくださったファンの皆様には、心より深く感謝申し上げます。 なお、葬儀につきましてはご遺族の意向により、近親者のみで執り行わせていただきました。 後日、ファンの皆様と共にお別れができる場を改めて設けさせていただく予定です。詳細は決定次第、ご案内いたします。 今はただ、真矢の魂が安らかであることを、メンバー一同と共に祈っていただけたら幸甚です。

2026年2月23日 RYUICHI、SUGIZO、INORAN、J/LUNA SEA

1989年の結成から35年以上、苦楽をともにしてきたメンバーにとって、真矢さんは家族同然の存在でした。

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LUNA SEAの”心臓”真矢さんが音楽界に刻んだ
伝説とドラマーとしての偉大な軌跡

ドラムとの運命的な出会いと独自のスタイル確立

幼い頃から能楽師の親の影響で能に親しみ、和太鼓もこなしていた真矢さん。本格的にドラムを始めたのは高校時代の文化祭がきっかけでした。

バンドでドラムを叩く姿を見て「気持ちよさそうだな」と感じたこと、そして「周りに女の子がいっぱいいたから」という思春期らしい理由で、父親にバイクの代わりにドラムセットをねだったのが始まりです。

レッド・ツェッペリンのジョン・ボーナムを敬愛し、高校時代には15個ものバンドを掛け持ちするほどのめり込みました。

1989年に「LUNACY(後のLUNA SEA)」に加入後、ヴィジュアル系全盛期にはリボンを頭につけるなど華やかな出で立ちをしていました。

しかし、過度なダイエットが自身の持ち味であるバスドラムの重低音を失わせていることに気づくと、容貌へのこだわりを一切捨てて体重を増やすことを選びました。外見よりも「音」を選ぶ、ミュージシャンとしてのプロ意識の表れでした。

唯一無二のプレイスタイルと語り継がれるライブパフォーマンス

バスドラムの圧倒的な音圧を確保するため、ペダルの中央ではなく端を斜めに蹴り出すように踏み込む独特のスタイルを確立した真矢さん。

「歌を殺すドラムを叩くのはクソだと思ってる」と語るほど、RYUICHIさんの歌声や楽曲のメロディを最大限に生かすことを信条としながらも、ドラムソロでは圧巻のパフォーマンスで観客を魅了しました。

後年にはワンバスのシンプルなセッティングに移行し、研ぎ澄まされたグルーヴでバンドを牽引。

ライブにおけるエンターテインメント性への追求も並大抵ではなく、空中で360度回転する特注のドラムセットは制作費に3,500万円もの巨費が投じられ、日本のライブ史に語り継がれる伝説的な演出となりました。

後輩ミュージシャンへの影響と多岐にわたるサポート活動

凛として時雨のピエール中野さんや元[Alexandros]の庄村聡泰さんなど、現在の音楽シーンで活躍する多くの後輩ドラマーたちに影響を与えた真矢さん。

大黒摩季さん、吉川晃司さん、氷室京介さんといったトップアーティストのサポートドラマーを務めたほか、GACKTさんが率いる「YELLOW FRIED CHICKENz」のメンバーとしても活躍しました。

お茶の間ではHEY!HEY!HEY!などでダウンタウンの松本人志さんから「ブーちゃん」といじられながら爆笑をさらう「お笑い担当」としての顔も持ちながら、ひとたびドラムスティックを握れば誰もが認める超一流のミュージシャン。

それが真矢さんという人でした。

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LUNA SEAの真矢さんに関するFAQ

  • Q1. 真矢さんの直接的な死因は何ですか?
    • A1. 公式発表では特定の死因には言及されていませんが、2020年に大腸がん(ステージ4)、2025年に脳腫瘍と診断され、7回に及ぶ手術など長期にわたり壮絶な闘病をされていました。
  • Q2. 亡くなられた正確な日時はいつですか?
    • A2. 2026年2月17日(火曜日)、午後6時16分に永眠されました。
  • Q3. ファンが参加できるお別れ会はありますか?
    • A3. 葬儀・告別式は近親者のみで済ませていますが、後日ファンの皆様と共にお別れができる場(お別れ会)を改めて設ける予定と公式サイトで発表されています。
  • Q4. 真矢さんのご家族について教えてください。
    • A4. 奥様はタレントで元「モーニング娘。」の石黒彩さんです。2000年に結婚され、長女、次女、長男の3人のお子様がいらっしゃいます。お子様の名前はドラムにちなんだ漢字や意味を持たせています。
  • Q5. LUNA SEAの結成とデビューはいつですか?
    • A5. 1989年に現メンバーで結成(当時はLUNACY表記)され、1992年にアルバム『IMAGE』でメジャーデビューを果たしました。
  • Q6. 真矢さんの出身地はどこですか?
    • A6. 神奈川県秦野市出身です。地元を深く愛し、「はだのふるさと大使」も務められていました。LUNA SEAメンバー5人中、RYUICHIさん以外の4人は秦野市出身。そんなこともあり、2025年11月には地元・神奈川県秦野市の小田急秦野駅の列車接近メロディーに、LUNA SEAの楽曲が使用されることになりました。11月28日始発から上り線で「ROSIER」、下り線で「I for You」が流れています。
  • Q7. 最後にファンの前に姿を見せたのはいつですか?
    • A7. 2025年11月9日に開催されたLUNA SEA主催のフェス「LUNATIC FEST. 2025」のステージに登壇し、自らの言葉でファンに想いを伝えたのが最後の公の場となりました。
    • 関連お薦め動画 ➡ On Drum’s 真矢
  • Q8. 「LUNATIC FEST. 2025」で代役を務めた淳士さんとはどんな関係ですか?
    • A8. SIAM SHADEの淳士さんはかつて真矢さんのローディーを務めていた時期があり、真矢さんを師と仰ぐ後輩ドラマーです。
    • 関連お薦めショート ➡ 真矢ありがとう
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まとめ 〜 真矢さんの魂のビートは永遠に

大病を患いながらも最後まで「ドラマー・真矢」であり続けようとした56年間。その生き様とプロフェッショナリズムは、多くの人の心に深く刻まれています。

闘病生活の中で見せた不屈の精神、家族や故郷を深く愛する温かい人間性、音楽とファンに対する底知れぬ愛情。真矢さんが遺してくれたものは、名曲を支えたビートだけではありません。

「人を笑顔にしたい」という優しさと、最後まで希望を捨てずに病魔に立ち向かう姿こそが、最大のレガシーと言えるでしょう。

もう新しい生音をライブ会場で聴くことは叶わなくなってしまいました。それでも、残されたLUNA SEAの楽曲の中で、真矢さんの力強いドラムの音はこれからも鮮やかに生き続けます。

命を削って叩き出した「魂のビート」は、ファンの胸の中で永遠に鳴り止むことはありません。

真矢さんのご冥福を、心よりお祈り申し上げます。

この記事のポイント
  • 真矢さんは2020年から大腸がん、2025年からは脳腫瘍と闘い、7回の手術を乗り越えて3月の復帰を目指していた
  • 喪主を務めた妻の石黒彩さんはじめ、家族の献身的な支えと深い絆があった
  • 故郷・秦野市を深く愛し、気さくで温かい人柄で地元民からも親しまれていた
  • 56歳の誕生日には「頑張って元気になります」と前向きなメッセージをファンに発信していた
  • ファンに向けた「お別れ会」は後日改めて開催される予定
  • 3,500万円の回転ドラムセットや独自の奏法など、音楽への情熱は人一倍強かった
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