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日本の映画界を支えた巨匠の訃報が届きました。
「サード」「もう頬づえはつかない」などの名作で知られる映画監督、東陽一(ひがし・よういち)さんが2026年1月21日、老衰のため都内の病院で亡くなりました。91歳でした。
ATG(日本アート・シアター・ギルド)時代の傑作から、石原さとみさんのデビュー作まで、常に時代の空気を切り取り、女優たちの新たな一面を引き出してきた東監督。
その死を悼むとともに、彼が遺した作品の魅力を振り返りたいと思います。
- 東陽一監督の死因や最後、葬儀に関する情報
- 桃井かおり、黒木瞳、石原さとみら「女優を輝かせた」名作エピソード
- 今すぐ見たい!代表作「サード」などの動画配信・視聴方法
反骨の映画監督・東陽一さん死去 91歳
東陽一監督は1934年生まれ、和歌山県出身。早稲田大学卒業後、岩波映画製作所でドキュメンタリーの基礎を学びました。
91歳、穏やかな最期
死因は「老衰」と発表されています。91歳という年齢を考えれば、映画人生を全うされた大往生と言えるのかもしれません。
葬儀は近親者のみですでに執り行われており、後日「お別れの会」が開かれる予定とのこと。
記録映画から劇映画へ
東陽一監督のルーツは「記録映画(ドキュメンタリー)」にあります。
そのため、劇映画(フィクション)に進出してからも、どこか現実を冷徹に見つめる「嘘のない眼差し」が作品の底流に流れていました。
特に低予算ながら自由な芸術表現を目指したATG映画において、その手腕はいかんなく発揮されました。
コラム:ATGって何?
「日本アート・シアター・ギルド」の略。
1960年代〜80年代、低予算ながら監督に完全な自由を与え、大手映画会社では撮れないような前衛的・芸術的な作品を次々と生み出した伝説の映画会社です。
東陽一監督の『サード』はその最高傑作の一つと言われています。
【代表作3選】東陽一はなぜ「女優」を輝かせられたのか?
東監督の功績として外せないのが、「女優の新たな魅力を開花させる手腕」です。多くの女優が彼の映画で脱皮し、スターへの階段を駆け上がりました。
1.『もう頬づえはつかない』(1979):桃井かおり
桃井かおりさんが「待つことに疲れた女」を演じました。それだけで、当時の観客は何かを察したはずです。高度成長が終わり、バブル前夜の東京。女たちは「自由になった」と言われながら、実際には新しい生き方の正解を誰も教えてくれない時代でした。
東監督が捉えたのは、そんな宙ぶらりんな感覚そのもの。桃井さんの表情は、強がっているようで脆く、投げやりなようで必死。誰かを待つために頬づえをつくのではなく、自分で歩き出そうとします。でもその先に何があるのかは、彼女自身もわかりません。
印象的なのは、東京の街を歩くシーンの数々です。雑踏の中を一人で歩く後ろ姿、喫茶店の窓から外を見つめる横顔。東監督は、都市という匿名的な空間の中で、かえって孤独が際立つ瞬間を切り取ることに長けていました。
タイトルに込められた決意は、今の言葉で言えば「もう待たない」ということでしょう。でもそれは勇ましい宣言ではなく、どこか寂しさを帯びています。そのアンビバレントな感情こそが、1970年代末の空気を象徴していました。
2.『化身』(1986):黒木瞳
宝塚を退団したばかりの黒木瞳さんを、よりによってこんな役でデビューさせたことに当時では驚きがあったようです。黒木瞳さんはこれまでの華やかなイメージとは真逆で、「他人になりすまそうとする女」という設定でした。
渡辺淳一さん原作のこの作品は、表面的には官能サスペンスです。でも東監督が本当に撮りたかったのは、「自分であること」の息苦しさから逃れたいという、もっと根源的な欲望だったのではないでしょうか。他人の人生を奪うという極端な行為の底には、自分の人生に対する深い絶望があります。
黒木さんは、二つの顔を使い分けながら、徐々にどちらが「本当の自分」なのかわからなくなっていく女を演じました。鏡に映る自分を見つめる場面が何度も出てきますが、そこに映っているのが誰なのか、本人さえ確信が持てなくなっていきます。
東監督のカメラは、彼女の内面の崩壊を静かに、しかし執拗に追い続けました。派手な演出はありません。だからこそ、日常が少しずつ狂っていく恐怖が、じわじわと伝わってきます。バブル期の享楽的な空気の中で、こんな陰影の濃い作品を撮っていたことに、東監督の一貫した姿勢が見えます。
3.『わたしのグランパ』(2003):石原さとみ
若い石原さとみさんと、老いた祖父との物語。東監督は60代半ばで、自身も「グランパ」世代に近づいていた頃です。
この映画には、説明がありません。祖父と孫が何を話すわけでもなく、ただ一緒に時間を過ごします。散歩する、食事をする、黙って座っている。そういう何でもない時間の積み重ねが、実は何よりも大切だったと気づくのは、失ってからです。東監督はそれをわかっていて、あえて淡々と撮っています。
石原さんの演技がいいですね。祖父の前では子どもに戻り、でも確実に大人になっていく。その移り変わりを、彼女は自然に見せました。一方の祖父は、もう多くを語れません。でも孫娘の成長を見守ることが、最後の仕事だとわかっています。
社会派作品で知られた東監督が、晩年にこういう静かな家族の物語を撮ったことに、何か意味がある気がします。大きなテーマを追い続けた人が、最後に行き着いたのは、ごく身近な人との、ささやかな時間の尊さでした。派手さはないが、東監督の映画人生が詰まった一本だと思います。
番外編:青春映画の金字塔『サード』(1978)
女優ではありませんが、永島敏行さん主演の『サード』も欠かせません。寺山修司が脚本を手掛け、少年院に入った少年の鬱屈と疾走を描いたこの作品は、日本映画史に残る青春映画の傑作として、今なお多くのファンに支持されています。
高校球児の映画といえば、汗と涙と根性、そして甲子園。でも『サード』は違いました。『サード』の主人公はレギュラーでもエースでもない、三塁を守る地味なポジションの選手。
東監督が描いたのは、スポ根ではなく、野球を通して見えてくる人間関係の面倒くささでした。チームメイトとの微妙な距離感、理不尽な先輩後輩関係、勝つことだけが正義なのかという疑問。そういう、誰もが高校時代に感じたはずのモヤモヤが、この映画には詰まっています。
グラウンドの土埃、夏の陽射し、汗で張り付くユニフォーム。東監督のカメラは、そういう身体感覚を丁寧に拾っていきます。観ているこちらまで、あの頃の空気を思い出してしまいます。
勝負の結果より、その過程で何を感じたか。仲間との関係より、自分が何を考えているか。そういう、答えの出ない問いに向き合う若者たちを、東監督は突き放さず、でも甘やかさず、ただ見つめ続けました。
これが青春映画の金字塔と言われるのは、誰にでも当てはまる普遍性があるからです。主役じゃない人間の物語。それが、実は一番リアルなのです。
東陽一作品は今どこで見れる?(動画配信状況)
追悼の意を込めて、東陽一監督の作品をもう一度見返したいという方も多いでしょう。本記事公開日現在で、調査しました。調査対象は、主要VODとして次の3つとしました。
- アマプラ(Amazon プライムビデオ)
- U-NEXT
- Netflix
【東陽一監督作品の主要VOD配信状況】
| もう頬づえはつかない | |||
| 化身 | |||
| わたしのグランパ | |||
| サード | |||
| 絵の中のぼくの村 | |||
| 橋のない川 | |||
| ★配信状況は記事公開時現在です。 | |||
残念ながら東陽一監督作品をたくさん楽しむには、ツタヤなどのレンタルビデオ店を活用するのが一番いいかもしれません。
東陽一監督作品には、『サード』や『絵の中のぼくの村』は、若い世代にもぜひ見てほしい映像美に溢れています。
この機会に、昭和・平成の名作に触れてみてはいかがでしょうか。
東陽一氏に関するFAQ
本文では触れられなかった、東監督に関する細かな情報をQ&A形式でまとめました。
- Q1. 喪主はどなたですか?
- A1. 妻の律子(りつこ)さんが務められました。
- Q2. 出身大学はどこですか?
- A1. 早稲田大学文学部を卒業されています。
- Q3. 監督デビュー作は何ですか?
- A3. 1971年の『やさしいにっぽん人』で劇映画監督としてデビューし、日本映画監督協会新人賞を受賞しました。
- Q4. 海外での評価は?
- A4. 非常に高く評価されています。1996年の『絵の中のぼくの村』では、ベルリン国際映画祭で銀熊賞を受賞しました。
- Q5. 国からの勲章などは受章していますか?
- A5. 1999年に紫綬褒章、2007年に旭日小綬章を受章されています。
- Q6. 『サード』の脚本は誰ですか?
- A6. 歌人であり劇作家の寺山修司が脚本を担当しました。東監督との異色のコラボレーションが話題となりました。
- Q7. 『橋のない川』の興行成績は?
- A7. 住井すゑの長編小説を映画化し、観客動員数200万人を超える大ヒットを記録しました。
- Q8. お別れの会はいつですか?
- A8. 現時点では「後日行う予定」とされており、具体的な日程は未定です。
- Q9. 最近の作品は?
- A9. 2016年に常盤貴子さん主演で『だれかの木琴』を監督されています。これが遺作の一つとなりました。
- Q10. 岩波映画製作所とは?
- A10. かつて存在した記録映画の制作会社です。羽田澄子監督ら多くの名監督を輩出しました。
- Q11. ドキュメンタリー作品もありますか?
- A11. はい。『沖縄列島』(1969年)など、社会派のドキュメンタリー作品でも高い評価を得ています。
まとめ
91歳で旅立った東陽一監督。
「サード」で青春の痛みを描き、「化身」で女性の情念を撮り、「絵の中のぼくの村」で少年時代の幻想を映像化しました。
彼の作品は、いつ見返しても色褪せない「人間の本質」が映っています。
心よりご冥福をお祈りいたします。
- 映画監督・東陽一さんが91歳で老衰のため死去
- 「サード」「もう頬づえはつかない」などATG映画の代表的監督
- 桃井かおり、黒木瞳、石原さとみら女優の開花に貢献した
- ベルリン銀熊賞受賞など国際的にも高い評価を受けた
- 多くの作品は現在、U-NEXTなどの配信サービスで再視聴可能


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