「高市首相がカタログギフトを配った」
そのニュースをXやテレビで見て、なんとなく問題がありそうだと思って検索してきた方へ。
結論から言います。違法ではありません。
でも、そう言うと「え、本当に?」と思う方も多いはずです。
それはそうです。報道の雰囲気が「何か問題があった」という空気を醸し出しているのですから。
だからこそ、この記事では事実をひとつひとつ丁寧に確認しながら、なぜ野党は予算委員会でこれを追及したのか、文春が火をつけ野党が踊り国会が空転するとはどういう構造なのか。
これを、順を追って整理していきます。
最後まで読んでいただければ、「なんとなく問題がありそう」という印象が、「なるほど、そういうことか」という理解に変わるはずです。
高市カタログギフト問題、そもそも何があったのか
事実を確認する
2025年秋の衆院選で自民党が圧勝したあと、高市首相が代表を務める自民党奈良県第2選挙区支部が、自民党の衆院議員全員にカタログギフトを贈りました。
受け取ったのは315人。
高市氏はXで「当選の労いと、今後の議員活動に役立ててほしいという気持ちから贈った」と説明しています。
ここで大切なのは、この行為の主体が「高市早苗個人」ではなく「政党の地方支部」であるという点です。この違いが、法律上の判断に直結します。後ほど詳しく説明します。
近鉄百貨店のカタログギフト、1人3万円の中身
配られたのは近鉄百貨店のカタログギフトで、1人あたり約3万円分です。
カタログには自転車、食材、高級ホテルの宿泊券などが掲載されており、受け取った議員が好みのものを選べる仕組みになっています。
カタログギフトという形式に、ひっかかりを覚える方もいるかもしれません。
「現金じゃないだけで、実質的に同じでは?」と。
しかし考えてみてください。
315人の議員それぞれに、個別の品物を選んで贈るのは現実的ではありません。
好みも違えば、活動スタイルも違う。
「自分で選んでもらう」というカタログギフトの形式は、むしろ合理的な判断とも言えます。
お中元やお歳暮でカタログギフトを選ぶ感覚と、本質的には変わりません。
財源はどこか、政党交付金は使っていない
高市氏は「政党交付金は一切使っていない」と明言しています。
財源は支部の政治資金です。支部名義で支出され、政治資金として処理される予定のものです。
「政治資金」と聞くと、また別の疑念が湧くかもしれません。
しかし政治資金とは、政治活動を行うために集めた資金のことであり、その使途は政治資金収支報告書に記載・公開されます。
不透明な資金の流れとは、まったく異なります。
高市カタログギフト追及 〜 野党が問題にする根拠はあるのか
政治資金規正法で合法か違法か
政治資金規正法では、個人が公職の候補者などへ金銭等で寄付することは原則禁止されています。
しかし今回の主体は「個人」ではなく「政党の地方支部」です。
政党による寄付については、この制限の対象外とされています。
法律上は問題のない行為。これが出発点です。
「抜け穴では?」と感じる方もいるかもしれません。
それは法律の設計の問題であり、その設計の範囲内で行動した高市氏を違法と呼ぶことはできません。
法律を変えたいなら、それこそ国会で議論すべき話です。
裏金問題との決定的な違い
野党の一部や報道では、今回の件が「自民党の裏金問題を想起させる」と表現されました。
この表現が、多くの人に「また同じことをやっているのか」という印象を与えたのは間違いありません。
しかし、裏金問題の本質を思い出してください。
派閥のパーティー収入を政治資金収支報告書に記載せず、議員個人へ還流させていた。
「不記載」と「不透明な資金の流れ」が核心でした。
発覚したのも、長年にわたって帳簿の外で資金が動いていたからです。
今回はどうでしょう。
支部名義で支出され、政治資金として処理されます。
記載されます。公開されます。
透明性という観点からは、構造がまったく異なります。
「なんとなく似ている気がする」という印象と、事実に基づいた評価は、別物です。
にもかかわらず「想起させる」という言葉で同列に扱う。
これは読者や視聴者の判断を誘導する表現と言っても過言ではありません。
「想起させる」という印象論の危うさ
「想起させる」という言葉は便利です。
事実を示さなくても、イメージだけを植え付けることができます。「AはBを想起させる」と言えば、AとBが本質的に異なっていても、読者の頭の中で両者が結びつきます。
報道においてこの手法が多用されると、有権者は「なんとなく悪いことをした気がする」という印象だけを持ち帰ることになります。
事実を調べる手間を省いて、印象だけで政治家を評価するようになる。
それは、民主主義にとって健全な状態とは言えません。
今回の件でも、「カタログギフト=問題がある」という印象が先行しました。
しかし事実を確認すれば、法的に問題がないことはすぐにわかります。
印象に流されず、事実を確認する習慣——それが、メディアリテラシーの第一歩です。
文春報道が国会を動かす 〜 このサイクルの正体
文春が報じ、野党が飛びつく構造
今回の件を詳しく報じたのは文春オンラインです。
カタログギフトが近鉄百貨店のものであることなど、細かい情報を掲載しました。
そしてその報道を手に、野党議員が国会の場で追及する。
このサイクルは、今に始まったことではありません。
週刊誌が報じ、野党が国会で取り上げ、それがまたニュースになる。
このサイクルには、それぞれの「メリット」があります。週刊誌にとっては注目と売上。
野党にとっては「政権を追及した」という実績。
そしてそのニュースを報じるメディアにとってはアクセスと視聴率。三者がそれぞれの利益のために動いた結果、国会の審議時間が削られていく。
そういう構造です。
予算委員会は何をする場所か
予算委員会は、国の予算案を審議する場です。
国民の税金をどう使うか、社会保障をどう維持するか、経済対策をどう打つか。
本来はそういった議論をする場所です。
首相や閣僚が出席する予算委員会は、野党にとって政権を追及する絶好の舞台でもあります。
テレビカメラが入り、発言がそのままニュースになる。
「目立つ場所」であることは間違いありません。
だからこそ、本来の審議とは関係のない話題が持ち込まれやすい。
年度内に予算を成立させることは、国民生活に直結する話です。
その貴重な審議時間をどこに使うか。
本来であれば、与党も野党も真剣に考えるべき問題のはずです。
国民はすでにこの茶番を知っている
いまはYouTubeで国会中継の切り抜きが簡単に見られます。
予算委員会で週刊誌ネタを手に政権を追及する野党の姿を、多くの国民がリアルタイムで目にしています。
テレビをよく見る層も、Xをチェックする若い層も、それぞれの媒体でこの光景を繰り返し目撃しています。
「国民は知らない」
「有権者はわかっていない」
そういう前提が、すでに崩れています。
国会の様子がこれほど可視化された時代に、旧来と同じやり方を続けることのリスクを、野党はもう少し真剣に考える必要があるのではないでしょうか。
予算委員会が空転するコスト——税金で賄われる国会審議
国会審議のコストという視点
国会議員の歳費や国会の運営費は、すべて税金で賄われています。
国会が開かれるということは、それだけの公費が動くということです。
その場で議論されるのが、法的に問題のないカタログギフトの話〜という現実を、納税者としてどう受け止めるかは、それぞれの判断に委ねます。
ただ、ひとつ確かなことがあります。審議時間は有限だということです。
予算委員会に割ける日数は限られており、使った時間は戻りません。
何に時間を使うかという選択は、そのまま「何を優先するか」という意思表示になります。
年度内予算成立への影響
日本の会計年度は4月始まりです。
3月末までに予算を成立させることが、政府・国会の最低限の責務とされています。
予算が年度内に成立しない場合、暫定予算での対応が必要になることもあります。
予算委員会の審議が滞れば、その影響は国民生活に及びます。
行政サービスの遅延、補助金の執行停止——そうした実害が生じる可能性があるのです。
カタログギフトの追及と、こうした影響を天秤にかけたとき、野党はどちらを選んでいるのか。
その優先順位が、有権者の目には見えています。
本当に議論すべきことは何か
物価高は続いています。
社会保障の財源問題も先送りできません。
少子化対策、エネルギー政策、安全保障、デジタル化。
国民が国会に期待している議論は、山積みです。
これらのテーマはどれも複雑で、じっくりと時間をかけて議論する必要があります。
だからこそ、審議時間の使い方が問われます。
カタログギフトの話は、これらの課題のどれとも関係がありません。
国会の時間をそこに使うことが、国民の負託に応えることになるのか。
野党には自問してほしいところです。
野党追及と国民の視線 〜 広がる認識のギャップ
YouTubeと国会中継が変えた国民の目
ひと昔前であれば、国会の様子を知る手段はテレビニュースの一部だけでした。
編集されたダイジェストが夜のニュースで流れ、有権者はそこから断片的な情報を得るしかなかった。
しかし今は違います。
国会中継はNHKでリアルタイムに流れ、切り抜き動画がYouTubeに上がり、発言の一部がXで瞬時に拡散します。
議員の質問がそのまま、コメントつきで広まります。有権者が国会の現場を直接目にする機会は、格段に増えました。
その結果、何が起きているか。
「あの議員はいつもこういう質問をしている」「また同じパターンだ」という認識が、じわじわと国民の間に広がっています。
政治家が気づかないうちに、有権者はずっと見ています。
野党が気づいていないこと
国民はすでに、野党が週刊誌情報をもとに予算委員会で質問する場面を、繰り返し見ています。
1回や2回なら「熱心に追及している」と映るかもしれません。
しかしそれが何度も繰り返されると、「また同じことをやっている」という感覚に変わります。
そしてその感覚は、選挙の記憶と結びつきます。
「あの党はいつも国会でパフォーマンスばかりだった」という印象は、投票行動に影響を与えます。
熱心に政権を攻撃しているつもりが、実は自分たちへの不信感を積み上げている。
そういう逆効果が起きている可能性を、野党は真剣に考える必要があります。
支持率がなかなか上がらない野党の現状には、こうした背景もあるのではないでしょうか。
次の選挙で問われるもの
有権者は長い目で政治家を評価します。
予算委員会で何を質問したか、国会の時間をどう使ったか、どんな法案を提出したか。
そういった積み重ねが、選挙のときに問われます。
「政権を追及した」という事実は、それ自体では評価になりません。
何を追及したか、その追及に意味があったか。
中身が問われます。法的に問題のないカタログギフトの追及が「仕事をした」証拠になるかどうか、有権者はとっくに見抜いています。
政治家にとって本当に必要なのは、目立つことではなく、信頼されることです。
そしてその信頼は、地道な仕事の積み重ねからしか生まれません。
まとめ
高市首相のカタログギフト配布は、法律上まったく問題のない行為です。
財源も明確で、政党交付金も使っていません。
過去の裏金問題とは、構造がまったく異なります。
それを文春が報じ、野党が予算委員会で追及し、国会が空転する。
このサイクル自体を、国民はすでに見ています。
テレビで、YouTubeで、Xで。
「また同じことをやっている」という感覚は、静かに、しかし確実に広がっています。
印象論で政治を語ることの危うさ、審議時間という有限のリソースをどこに使うかという問題、そして可視化された時代における政治家と有権者の関係。
今回のカタログギフト騒動は、そういった問いを改めて私たちに突きつけています。
国会に残された審議時間は、多くありません。
本当に議論すべきことのために、その時間を使ってほしい。
それが、多くの国民の率直な思いではないでしょうか。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。


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