元幕内力士で、PRIDEやK-1などの格闘技のリングでも沸かせた戦闘竜(せんとりゅう)さんが、1月29日に56歳という若さで亡くなりました。
曙さんや小錦さんと共に、外国出身力士として角界を盛り上げた人気者の早すぎる訃報に、ネット上では悲しみの声が広がっています。
戦闘竜さんは1988年名古屋場所で初土俵。94年九州場所で新十両昇進。2003年九州場所限りで現役を引退し格闘家へ転身しました。その後、 PRIDEなどで活躍し、2013年に格闘家引退。
戦闘竜さんはの死因は「肺の難病」と報じられていますが、屈強な肉体を誇った彼に何があったのでしょうか。
そして、格闘家引退後は意外なビジネスの才能を開花させていたことをご存知でしょうか?
この記事では、ニュースでは報じきれない戦闘竜さんの「晩年の姿」に焦点を当てて深掘りします。
- 【死因】56歳で亡くなった「肺の疾患」の背景とリスク
- 【現在】引退後はタイ食品企業の敏腕営業マンとして活躍していた事実
- 【家族】米国と日本、そしてタイをつなぐ家族との絆
戦闘竜さんの死因「肺の疾患」とは?
報道によると、戦闘竜さんは1月29日、東京都内の病院で「肺の疾患」のため亡くなりました。数年前から闘病生活を送っていたとも報じられています。
「肺の難病」と一口に言っても様々ですが、現時点では詳細な病名は公表されていません。しかし、元力士という背景から、ファンの間ではいくつかの推測と心配の声が上がっています。
一般的に、現役時代に身体を大きくするために無理な増量を行った力士は、引退後も心臓や肺に大きな負担がかかり続けるケースが少なくありません。特に「睡眠時無呼吸症候群」や、それに伴う心肺機能の低下は、多くの元重量級アスリートが抱える悩みでもあります。
56歳という年齢は、現代においてはあまりにも若すぎます。晩年は入退院を繰り返していたという情報もあり、現役時代の激闘の代償が体に残っていたのかもしれません。
活躍その1、大相撲力士(元幕内)として
筋肉の鎧をまとった「褐色の弾丸」
戦闘竜さんが土俵に上がると、館内の空気が一変しました。身長175cmと力士としては小柄ながら、その肉体はまるでボディビルダーのように筋肉で隆起しており、従来の「あんこ型」の力士像を覆すインパクトを与えました。米国セントルイス育ちの彼は、1988年に友綱部屋に入門。当時の相撲界において、アメリカ出身力士はまだ珍しく、その彫刻のような肉体美と愛くるしいキャラクターで、瞬く間に人気力士となりました。
彼の相撲人生は、まさにその肉体を武器にした真っ向勝負の連続でした。小手先の技術に頼ることなく、鍛え上げられた筋肉の塊を相手にぶつけていくスタイルは、見る者に分かりやすい興奮を与えました。勝っても負けても豪快。土俵際で見せる粘り腰や、土俵下に転がり落ちてもすぐに立ち上がる姿に、多くのファンが「ヘンリー!」と声を枯らして声援を送ったものです。彼は記録以上に、ファンの記憶に残る力士でした。
立ち合いの爆発力と「ぶちかまし」
戦闘竜さんの代名詞といえば、何といっても立ち合いの凄まじい「ぶちかまし」です。136kgの体重を低い位置からロケットのように発射させ、相手の懐に飛び込むスピードは幕内でも屈指のものでした。大型化が進む相撲界において、175cmという身長はハンデになりがちですが、彼はそれを逆手に取りました。相手が腰を下ろす暇を与えず、下から突き上げるような強烈な当たりで、自分より一回りも二回りも大きな力士を土俵外へ弾き飛ばすシーンは痛快そのものでした。
特に、突き押しが得意な相手との対戦では、一歩も引かずに激しい突っ張り合いを演じ、館内を沸かせました。彼の相撲には「迷い」がなく、常に前へ前へと出る攻撃的な姿勢が貫かれていました。その潔い取り口は、相撲通だけでなく、子供や女性ファンからも高い支持を集め、「小さな巨漢」として愛され続けました。
幕内と十両を行き来した苦労人の一面
華やかな肉体とファイトスタイルの裏で、戦闘竜さんは常に怪我との戦いを強いられていました。最高位は西前頭12枚目まで昇進しましたが、激しい当たりを身上とするスタイルの代償として、首や膝への負担は計り知れませんでした。幕内に定着しかけると怪我で番付を下げ、十両へ陥落。それでも腐ることなくリハビリに励み、再び幕内へ這い上がってくる「不屈の闘志」も彼の魅力でした。
通算成績は408勝426敗。負け越しの数が勝ち星を上回っていますが、これは彼が常に自分の限界ギリギリの場所で戦い続けてきた証でもあります。幕内通算19場所という数字は、小柄な身体で大型力士たちと渡り合った勲章です。2003年の引退時、断髪式で見せた涙は、異国の地で相撲道に青春を捧げ、ボロボロになるまで戦い抜いた男の達成感と寂しさが入り混じった、忘れられない名シーンとなりました。
活躍その2、格闘家として
相撲からPRIDEへ!格闘技ブームの渦中へ
2003年、相撲界を引退した戦闘竜さんが次に選んだ戦場は、当時空前のブームを巻き起こしていた総合格闘技「PRIDE」のリングでした。大相撲出身者が総合格闘技に転向するケースは曙さんをはじめいくつかありましたが、戦闘竜さんの転向は「あの筋肉なら通用するのではないか」「相撲の突進力は凶器になる」という期待感をファンに抱かせました。まわしを外し、オープンフィンガーグローブをつけた彼の姿は、相撲時代以上に野性味にあふれ、まさに「戦闘竜」の名にふさわしい迫力がありました。
デビュー当初は、相撲とは全く異なるルールや、打撃・寝技への対応に苦戦を強いられました。しかし、彼は言い訳をすることなく、泥臭くトレーニングに励みました。相撲で培った腰の重さと突進力をベースに、ボクシング技術なども積極的に吸収。洗練されたテクニックよりも、ハートの強さとパワーで押し切るファイトスタイルで、格闘技ファンにもその存在を認めさせていきました。
語り草となったジャイアント・シルバ戦
戦闘竜さんの格闘家人生において、最もファンの脳裏に焼き付いているのが「PRIDE 武士道」でのジャイアント・シルバ戦でしょう。身長230cmという規格外の巨人シルバに対し、175cmの戦闘竜さんが挑む構図は、まさに「ダビデとゴリアテ」。身長差55cmという絶望的な体格差を前にしても、彼は一歩も引きませんでした。
ゴングと同時に、巨木のようなシルバに向かって特攻隊のように突っ込んでいく姿は、会場のボルテージを一気に最高潮へ押し上げました。結果として、長いリーチと圧倒的な体格差に苦しめられ、敗北を喫してしまいましたが、その勇猛果敢な突進は「PRIDE史に残る名珍勝負」として語り継がれています。勝敗を超えて「自分より遥かに大きな相手に立ち向かう」という、格闘技の原点とも言えるロマンを体現してくれた一戦でした。この試合で見せた勇気は、多くのファンの胸を熱くさせました。
「大和魂」を持ったアメリカン・ファイター
戦闘竜さんの格闘家としての戦績は、決して華々しい連勝街道ではありませんでした。しかし、彼はどの試合でも決して「逃げる」ことをしませんでした。殴られても、投げられても、相手に向かっていく。その姿には、彼が愛した日本の心「大和魂」が宿っていました。アメリカ国籍でありながら、誰よりも日本的な精神性を持っていたファイターだったと言えるでしょう。
K-1やHERO’Sといった他のメジャー団体にも参戦し、ボブ・サップやバタービーンといった猛者たちとも拳を交えました。技術的に未熟な部分はありましたが、それを補って余りある「倒すか倒されるか」のスリリングな試合運びは、興行に欠かせないスパイスでした。56歳という若さで旅立った彼ですが、リング上で見せたあの不器用で真っ直ぐなファイトスタイルは、当時の格闘技ブームを熱狂して過ごした世代の心の中に、色褪せることなく残り続けています。
格闘家引退後の「現在」が意外?タイ食品会社で活躍
多くの人が知る「戦闘竜」は、まわし姿やオープンフィンガーグローブ姿ですが、実は引退後、スーツを着こなす敏腕ビジネスマンとして成功を収めていました。
経営者・営業としての第2の人生
格闘家を引退した後、戦闘竜さんは一時、元奥様の実家が経営するタイの工場に勤務していました。そこでビジネスの基礎を培った後、日本へ帰国。
近年は、タイに本社を置く食品製造会社の日本支社で「営業職」として働いていたことが分かっています。
語学力と人柄で成果を上げる
「元格闘家の営業」と聞くと意外に思われるかもしれませんが、戦闘竜さんは非常に知的な一面を持っていました。
米国育ちで英語が堪能(ネイティブ)であり、もちろん日本語も流暢。さらにタイ語も習得していたと言われています。
この「トリリンガル」のスキルと、持ち前の明るく愛されるキャラクターを活かし、食品業界の営業マンとして大きな成果を上げていたそうです。
「あの戦闘竜さんが営業に来た!」というつかみの良さと、実直な仕事ぶりで、取引先からの信頼も厚かったと伝えられています。
戦闘竜さんの家族構成|再婚した妻や子供は?
戦闘竜さん(本名:ヘンリー・アームストロング・ミラー)は、非常に国際色豊かなバックグラウンドを持っています。
- 出生・出身:
- 東京都立川市の米軍横田基地で生まれ、その後アメリカのセントルイスで育ちました。
- 結婚歴:
- 過去に結婚歴があり、タイとの縁もその時の結婚がきっかけでした。
近年のプライベートについては公に多くを語っていませんでしたが、晩年を支えた家族の存在がありました。以前のインタビューや関係者の話では、日本と海外を行き来する生活の中で、家族を大切にする優しい父親・夫としての顔も持っていたようです。
経歴振り返り:相撲からPRIDEへ
改めて、もう一度、彼の激動のキャリアを振り返ります。
- 大相撲時代:
- 1988年に初土俵。最高位は前頭12枚目。身長175cm、体重136kgと小柄ながら、筋肉質の体から繰り出す「ぶちかまし」で館内を沸かせました。
- 格闘家転向:
- 2003年に相撲を引退し、格闘家へ転身。PRIDEやK-1のリングに上がりました。特に身長230cmのジャイアント・シルバとの対戦は、その身長差とともに多くのファンの記憶に刻まれています。
相撲と格闘技、2つの厳しい世界で戦い抜いた精神力が、引退後のビジネスでの成功にも繋がっていたのでしょう。
戦闘竜さんに関するFAQ
本文では触れきれなかった、戦闘竜さんに関する細かな情報をQ&A形式でまとめました。
- Q1:戦闘竜さんの本名は何ですか?
- A1:ヘンリー・アームストロング・ミラー(Henry Armstrong Miller)です。日本国籍取得後の名前等は公表されていません。
- Q2:出身地はどこですか?
- A2:生まれは日本の東京都立川市(横田基地)ですが、育ちはアメリカ・ミズーリ州セントルイスです。
- Q3:相撲界に入ったきっかけは?
- A3:来日中に相撲部屋を見学し、その迫力に魅了されて友綱部屋に入門しました。
- Q4:力士としての生涯戦績は?
- A4:生涯戦績は408勝426敗42休でした。幕内在位は通算19場所を務めました。
- Q5:得意とした決まり手は?
- A5:突き、押しが得意でした。立ち合いのスピードとパワーが持ち味でした。
- Q6:格闘家としての戦績はどうでしたか?
- A6:総合格闘技等の戦績は振るいませんでしたが、どのような相手にも真っ向から挑むファイトスタイルが人気でした。
- Q7:日本語のレベルはどのくらいでしたか?
- A7:非常に流暢でした。見た目は外国人ですが、中身は日本人以上に日本人らしいと言われることもありました。
- Q8:現役時代の愛称は?
- A8:「ヘンリー」の愛称で親しまれていました。
- Q9:タトゥーは入れていましたか?
- A9:格闘家転向後、腕などにタトゥーを入れており、相撲時代とは違うワイルドな風貌が話題になりました。
- Q10:引退後の体型は変わりましたか?
- A10:現役時代よりは絞れていましたが、晩年までがっしりとした体格を維持されていました。
- Q11:葬儀・告別式はいつですか?
- A11:現時点では関係者のみで執り行われる予定とされており、詳細は公表されていません。
まとめ
56歳という若さで旅立った戦闘竜さん。
相撲、格闘技という厳しい勝負の世界を経て、晩年はビジネスの世界でも「勝利」を掴んでいたことは、あまり知られていない事実でした。
- 死因は「肺の疾患」。数年前から闘病していた。
- 引退後はタイ食品関連企業の営業職として日本で活躍していた。
- 英語・日本語・タイ語を操る知的なビジネスマンだった。
- 相撲・格闘技・実業家と、3つのステージを全力で駆け抜けた人生だった。
心よりご冥福をお祈りいたします。


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