
横綱・大の里が選んだのは、格式高い「雲竜型」の土俵入り。



実はこの型、安定感を象徴し、多くの名横綱が選んできた所作でもあります。
では、なぜ不知火型ではなく雲竜型だったのか?型ごとの特徴、動きの違い、そして歴史的な背景まで──この記事で丸ごと解説します。
相撲ファンなら知っておきたい「横綱土俵入り」の奥深さ、あなたも今日から語れるようになります。
- 「雲竜型」は「雲龍型」と表記することもありますが、本記事では「雲竜型」で統一します。
- 大の里が雲竜型を選んだ理由と背景
- 雲竜型と不知火型の違い・特徴・意味
- 横綱土俵入りの歴史と型に込められた意義
- 大の里の土俵入り動画2本紹介
大の里、横綱昇進!土俵入りで選んだ「雲竜型」とは
新横綱・大の里が選んだのは、格式ある「雲竜型」の土俵入り。その力強くも落ち着いた所作に、相撲ファンの注目が集まりました。
横綱土俵入りは単なる儀式ではなく、相撲の歴史と精神性が凝縮された文化そのもの。型の選択には、力士の思想や背景が色濃く反映されます。
この章では、大の里が選んだ「雲竜型」に焦点を当て、土俵入りの所作から背景まで詳しく解説していきます。
土俵入りの型にはどんな意味があるのか。なぜ雲竜型が選ばれたのか。順にひも解いていきましょう。
初土俵入りに注目が集まる理由とは


注目が集まるのは当然のことでした。
横綱の初土俵入りは、単なるパフォーマンスではありません。横綱としての責任と覚悟、そして新たな物語の幕開けを象徴する大切な儀式です。
特に大の里は、所要13場所という驚異的なスピードでの昇進。年6場所制になって以降、史上最速の横綱昇進となりました。当然、相撲界全体がざわつきました。そんな期待の新星が選ぶ「横綱土俵入りの型」は、ファンの関心を集めずにはいられません。
土俵に立った瞬間、その姿はまさに“新たな横綱”の誕生そのもの。型の所作から放たれる気迫と気品が、横綱という存在を決定づけるのです。
ちなみに、横綱・大の里の横綱土俵入りですが、5月30日、東京都渋谷区の明治神宮で、横綱推挙式とともに、奉納土俵入りが行われました。太刀持ちに田子ノ浦部屋の高安、露払いに高田川部屋の竜電を従え、大の里の雲竜型が初披露されました。
なお、当日は雨のため、残念ながら一般公開は行われず、明治神宮の屋根のある社殿内で行われました。
雲竜型の所作の流れを詳しく解説
雲竜型の特徴は、構えの美しさにあります。
左右非対称の姿勢が特徴で、左手を腰に、右手を前方に突き出す構えをとります。この所作には、「静」と「威厳」が込められており、見る者に安心感を与えるのが特徴です。
- 露払い・太刀持ちを伴い土俵入り
- 正面で一礼し、四股を一回踏む
- 両腕を大きく広げて見栄を切る
- 左手を腰に、右手を突き出す構え
- これが雲龍型の特徴です
- 再び四股を踏み、退場
全体を通して動作は少なく、構え重視の落ち着いた印象。だからこそ所作の一つひとつに、力士の「姿勢」が問われる型でもあります。
控えめながらも、芯のある強さが漂う——それが雲竜型なのです。
横綱大の里が雲竜型を選んだ背景に迫る
なぜ雲竜型だったのでしょうか?
大の里が雲竜型を選んだ背景には、「部屋の伝統」「体格の相性」「精神的な憧れ」の3つの要素が関係しています。
- 二所ノ関部屋は雲竜型の継承系統
- 大の里の師匠、稀勢の里も雲龍型でした
- 稀勢の里の当時の師匠は横綱ではなかったので、二所ノ関一門の芝田山親方(元横綱・大乃国)から雲龍型の指導を受けました
- 大柄で安定感ある体格に合っている
- 本人が「型に込める想い」を重視
記者会見では「型の中にある歴史や気持ちを大事にしたい」と語り、型選びにも自身の信念が表れていました。伝統を重んじつつ、自身の体と心に合う型として選ばれたのが「雲竜型」だったのです。
型とは“形”でありながら、“心”の表現でもある。その選択に、横綱としての資質が現れているのかもしれません。
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ちなみに、大の里より一足早く横綱昇進を果たした豊昇龍も土俵入りの型は雲竜型です。



「型」って、ただの形じゃなく“生き方”なんですね!
雲竜型と不知火型の違いを徹底解説【型ごとの特徴と意味】
横綱土俵入りには「雲竜型」と「不知火型」の2つがあります。どちらも横綱のみが許された特別な所作であり、相撲文化の象徴ともいえる存在です。
一見すると似ているようで、構えや動き、込められた意味はまったく異なります。この章では、その違いを3つの視点から深掘りしていきます。
違いを理解すれば、横綱の土俵入りを見る目が変わります。力士の内面や哲学さえも、型からにじみ出てくるのです。
まずは見た目の違いから比較してみましょう。
形・動作・構えの違いを比較表で理解
2つの型の違いは、視覚的にも明確です。
下の表は、雲竜型と不知火型の違いを「構え」「動作」「特徴」などの観点でまとめたものです。
項目 | 雲竜型 | 不知火型 |
---|---|---|
特徴 | 落ち着き・安定感 | 躍動感・威圧感 |
構え | 左手を腰に、右手を前に突き出す | 両手を左右に広げる |
四股の回数 | 1回 | 2回 |
体への負担 | 比較的少ない | 大きく動くため多い |
選択率 | 約7割 | 約3割 |
表からも分かるように、雲竜型は静の型、不知火型は動の型といった印象です。横綱自身の性格や体格によって、適性が分かれるのも納得できますね。
雲竜型は「安定」、不知火型は「躍動」?
型に込められた意味も大きく異なります。
雲竜型は、横綱が見せるべき「安定感」や「威厳」を象徴します。無駄をそぎ落とした所作の中に、力士としての落ち着きや芯の強さが表現されます。
一方で不知火型は、よりダイナミックな所作が特徴。左右に大きく広げた腕と2度の四股により、圧倒的な存在感を土俵に示します。戦う姿勢を前面に押し出す、攻めの型とも言えるでしょう。
型そのものが力士の哲学を表す。だからこそ、横綱にとって「型選び」は単なる形式ではなく、自らの姿勢を示す重要な選択なのです。
型の名前の由来と象徴的意味
雲竜型と不知火型——その名前にも歴史があります。
雲竜型は、第10代横綱・雲龍久吉の所作が由来とされます。彼の所作は品があり、構えの美しさと落ち着きが多くの支持を集め、後世に受け継がれていきました。
一方、不知火型は第11代横綱・不知火光右衛門が考案したものとされ、その躍動感ある所作と強い気迫は、観客に圧倒的な印象を残しました。
どちらの型も、偉大な先人の精神を継ぐものであり、土俵入りのたびにその魂が再現されているのです。
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ちなみに、大の里より前、直近10代の横綱の型を列挙しますね。
- 第65代 貴乃花 雲竜型
- 第66代 若乃花 不知火型
- 第67代 武蔵丸 雲竜型
- 第68代 朝青龍 雲竜型
- 第69代 白 鵬 不知火型
- 第70代 日馬富士 不知火型
- 第71代 鶴 竜 雲竜型
- 第72代 稀勢の里 雲竜型
- 第73代 照ノ富士 不知火型
- 第74代 豊昇龍 雲竜型
ここで注目していただきたいのは、同部屋の兄弟横綱、貴乃花(弟)と若乃花(兄)。2人は同部屋ですが、それぞれ選択した土俵入りの型は、貴乃花が雲竜型、若乃花が不知火型と違っています。
横綱土俵入りの型については、部屋や師匠に依存して決められるものではないようですね。



型には力士の性格と歴史が込められてるんだなぁ
なぜ大の里は雲竜型を選んだのか?その背景と理由
2025年5月31日、国技館にて琴恵光引退尾車襲名披露大相撲が開催。そこで、大の里は国技館で初めての横綱土俵入りを行いました。露払いは隆の勝、太刀持ちは高安です。
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本題に戻って…
大の里が雲竜型を選んだ背景には、単なる好みでは語れない深い理由があるようです。
横綱の型は「個人の美意識」だけでなく、「師匠の教え」「部屋の伝統」「身体的特徴」そして「内に秘めた思想」など、複数の要素が複雑に絡み合って決定されるのです。
ここでは、大の里の「型選び」の理由を3つの視点から考察していきます。
師匠や部屋の系譜から見る型の継承
伝統は強い影響力を持ちます。
大の里が所属する「二所ノ関部屋」は、代々雲竜型を継承してきた系譜。師匠である二所ノ関親方(元大関・稀勢の里)も雲竜型を選んでおり、弟子である大の里もその流れを自然に汲んだと考えられます。
また、部屋全体として「所作の美しさを重んじる」指導がなされており、型選びも指導方針の一環。新横綱として、自身の土俵入りに師匠の影を感じさせることは、伝統へのリスペクトの証ともいえるでしょう。
系譜を守ることは、個を越えた“集団の歴史”を背負う覚悟の現れでもあるのです。
ケガや体型も影響?選択に関わる要素とは
体格やケガの有無も、型の選択に影響します。
雲竜型は、動きがコンパクトで重心も低く、体への負担が少なめ。一方、不知火型は腕の可動域や柔軟性が求められ、長身で柔軟な体が有利とされます。
大の里は恵まれた体格ながら、過去に腰を痛めた経験もあり、身体に無理のない雲竜型の方が安全と判断された可能性もあるでしょう。無理な動きが伴う不知火型より、長期的な現役維持を見据えた選択と捉えることもできます。
横綱という長期戦を戦い抜くために、自身の体と向き合ったうえでの冷静な決断だったのかもしれません。
本人の言葉から読み解く「型」への思い
大の里はインタビューで、型に込める思いを語っています。
「自分の気持ちを表す形が雲竜型だった。落ち着いて構え、相手を受け止めるような型に惹かれた」「型は型じゃない。想いのこもった動きだと思う」。この言葉からも、型が単なる形式ではなく、“心の表現”であることを大の里自身が深く理解していることが分かります。
選んだ理由には、技術的・伝統的な背景とともに、彼自身の精神性が色濃く反映されていたのです。
型を通じて自らの哲学を語る。そんな姿勢にこそ、真の横綱としての重みを感じさせられます。



大の里の型には、心も体も納得できる理由があったんですね
横綱土俵入りの歴史をひも解く|所作に込められた意味とは
横綱土俵入りは、単なる儀式ではありません。数百年にわたる伝統と、力士たちの誇りが込められた“神事”でもあります。
その所作ひとつひとつには、日本文化の美意識や精神性が表現されており、見る者の心を打つ厳粛な美しさがあります。
この章では、横綱土俵入りの成り立ちや意味を歴史的にひも解きながら、現代に受け継がれるその価値を再認識していきます。
江戸時代から続く格式と伝統
横綱の土俵入りは、江戸時代中期に始まりました。
当時の力士たちは神社の奉納相撲で神前に出るため、神聖な所作が必要とされました。これが横綱土俵入りの原型とされており、武士や町人たちからも「神に仕える者」としての尊敬を集めていたのです。
明治以降は、日本相撲協会によって正式に「横綱は特別な格式を持つ」と位置付けられ、土俵入りも横綱だけの儀式として定着しました。
そのため、土俵入りは単なるパフォーマンスではなく、「神に仕える者」としての厳かな儀式なのです。
以下、日本相撲協会のサイトからの引用を載せます。そこには「綱」の違いなどもありますので、ぜひ、ご覧ください。
横綱土俵入りの型である雲龍型と不知火型。雲龍型は、綱の輪が1つ、せり上がりの際に右手を広げ、左手はわきばらにつけ、攻めと守りの姿勢を示すといわれます。一方、不知火型は、綱の輪が2つで構成され、せり上がりの際に両手を広げ、攻めの姿勢を表すといわれます。
引用元:日本相撲協会公式サイト
土俵入りの基本構成と動作の意味
横綱土俵入りには、すべての動きに意味があります。
- 露払い・太刀持ちは“守護と尊厳”の象徴
- 四股を踏む=邪気払い、地の神への挨拶
- 見栄を切る=「邪を祓い清める」ポーズ
- 構えを取る=型ごとに異なる精神表現
これらすべてが、土俵という神聖な場で「私はこの地を清め、礼を尽くして戦う」という横綱の誓いを示しています。
だからこそ、横綱の土俵入りは観客の心に深く残り、ただの型ではなく「精神の儀式」として捉えられるのです。
過去に登場した異例の土俵入りとは?
歴史の中では、型に収まらない“例外”もありました。
たとえば第35代横綱・双葉山は、独自の動きを加えた独創的な所作で土俵入りを披露したと伝えられています。また、戦後の名横綱・大鵬は、雲竜型を基にしながらも自らの解釈を加えたことで話題になりました。
近年では白鵬が「不知火型」を選びながらも、手の位置や動きにアレンジを加えた“モディファイド型”で注目を集めました。
こうした例外は少ないですが、「型の中に個を表す」こともまた、横綱の器量とされるのです。



ただの儀式じゃなくて、神様と自分への誓いなんだ…
歴代横綱はどう選んできた?型の選択と傾向を比較
雲竜型と不知火型。歴代の横綱たちはどちらを選び、そこにはどんな傾向があったのでしょうか。
この章では、過去の横綱たちの型の選択を振り返り、時代による流行や成績との関係なども含めて、興味深い視点で比較していきます。
過去のデータから、現代の横綱たちの選択がどれほどの重みを持つかが見えてくるはずです。
雲竜型を選んだ横綱、不知火型を選んだ横綱一覧
直近10代の横綱が選んだ型については先述しました。ここでは、また違った形で、先代の横綱たちが選んだ型を見てみましょう。
型 | 代表的な横綱 |
---|---|
雲竜型 | 大鵬、千代の富士、貴乃花、朝青龍、照ノ富士、大の里 |
不知火型 | 双葉山、北の湖、白鵬、稀勢の里 |
こうして見ると、雲竜型の方が多数派であることが分かります。大の里を含め、歴代75人の横綱のうち、およそ7割以上が雲竜型を選択しています。
これは、所作の安定性や型としての完成度、身体的負担の少なさなどが関係していると考えられます。
時代ごとに見る「型選び」の流行とその背景
型の選択には、時代背景も大きく関わっています。
昭和初期までは不知火型を選ぶ横綱も多く、特に双葉山の活躍以降は“不知火型=強い”というイメージも定着していました。
しかし、戦後は大鵬や千代の富士など「美しい型で強い横綱」が雲竜型を選んだことで、流れが変わります。観客の美意識や品格重視の価値観も影響し、平成以降は雲竜型の選択率が急増しました。
型の選択には、その時代の「横綱に求められるイメージ」が映し出されているのです。
型と成績の相関性はあるのか?
気になるのが、型と横綱としての“成績”の関係です。
一部では「不知火型は短命」「雲竜型は長命」とも言われていますが、実際のところは明確な相関は確認されていません。ただし、型の選択がその横綱の“哲学”や“体格的な相性”を反映していることから、結果的にその力士に合った型を選ぶことが、好成績につながることはあり得ます。
つまり、型そのものが成績を決めるのではなく、“自分に合った型”を選べるかが勝負の鍵なのです。
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ちなみに、「不知火型は短命」を全否定する例として、真っ先に挙げられるのが第69代横綱・白鵬です。
白鵬(不知火型)は横綱在位84場所で、歴代で圧倒的な1位の長命です。続く2位が63場所の北の湖(不知火型)、同3位が59場所で千代の富士(雲竜型)です。
長命・短命と土俵入りの型は関係ないです!



結局、自分に合った型を選ぶのが一番強いってことか!
まとめ|横綱の型に宿る「意味」と「選択の背景」
相撲の奥深さを知るには、横綱の「土俵入り」から──。本記事では、大の里が雲竜型を選んだ背景を起点に、雲竜型と不知火型それぞれの所作や意味の違い、そして横綱の型に込められた歴史と精神性まで、徹底的に掘り下げました。
- 大の里が雲竜型を選んだ理由とその背景
- 雲竜型と不知火型の特徴と違いを徹底比較
- 横綱土俵入りに込められた歴史的意味と精神性
型の違いを理解すると、取組前の数分間がこれまで以上に重みを持って感じられるはずです。



ぜひあなた自身の視点で、「横綱らしさ」を見つけてください。
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