【第3回】日本神話の神様は人間臭い?古事記・日本書紀から読み解く神道のルーツ

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日本の神社にお祀りされている神様たち。その数は、数え切れないほどたくさんいますよね。

でも、彼らがどんな性格で、どうやって日本という国を作ったのか——そのストーリーを知っている人は、意外と少ないのではないでしょうか。

それが、『古事記』や『日本書紀』に記されている「日本神話」の世界です。

神様というと、全知全能で絶対的な完璧な存在。

そんなイメージを持っている人も多いと思います。

でも、日本の神々は少し違います。失敗してひどく落ち込んだり、怒って洞窟に引きこもったり、兄弟げんかで大騒ぎしたり。

読めば読むほど、「あ、なんか人間みたいだな」と感じてしまう。そんな、不思議な親近感のある神様たちです。

この記事では、イザナキ・イザナミによる国生みや、アマテラスとスサノオの物語など、神道のバックボーンとなる神話を、できるだけわかりやすくお伝えしていきます。

この記事でわかること
  • 『古事記』と『日本書紀』が伝える日本神話の基礎知識
  • イザナキ・イザナミ、アマテラスなど有名な神々の物語
  • 日本の神様が「完璧ではなく人間臭い」と言われる理由

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目次

第1章 日本神話の原点『古事記』『日本書紀』の世界とは

神道の根幹を成す日本神話は、主に『古事記』と『日本書紀』という二つの歴史書にまとめられています。

まずは、この二つの書物の違いや、神話が編纂された背景から見ていきましょう。

『古事記』と『日本書紀』の違い

どちらも奈良時代に完成した歴史書で、『古事記』が712年、『日本書紀』が720年。

この二つを合わせて「記紀(きき)」と呼ぶこともあります。ほぼ同じ時代に書かれたものですが、目的がまったく違いました。

『古事記』は、いわば「国内向け」の書物です。

天皇家のルーツや日本という国の成り立ちを、ドラマチックに描くことを重視していて、神々の喜怒哀楽や人間模様が生き生きと書かれています。

読み物として面白い(^_^)/

一方の『日本書紀』は、海外——主に当時の中国や朝鮮半島——に向けた「公式な歴史書」として作られました。

「日本はこれだけ立派な歴史を持つ国です」と示すための書物なので、漢文で書かれていて論理的。

一つの出来事に対して「ある書物にはこう書かれている」と複数の説を並べるなど、客観性を意識した作りになっています。

私たちが神話に感じる「感情豊かな神様」のイメージは、ほとんどが『古事記』から来ているんですね。

なぜ神話が語り継がれてきたのか

文字がなかった時代、神話や歴史は「語り部(かたりべ)」と呼ばれる人々が口で伝えていました。

しかし、飛鳥時代から奈良時代にかけて、国家としての体制を整えていく中で、天武天皇はこう考えます。

「豪族たちがそれぞれ別々の歴史や神話を語り継いでいたら、国の成り立ちがバラバラになってしまう。きちんと記録に残さなければ」と。

そこから始まった、国家プロジェクトとしての神話編纂。

つまり、神話がこうして書物として残された背景には、「日本という国を一つにまとめる」という政治的な意図があったわけです。

神道と神話の切っても切れない関係

普段何気なく参拝している神社。

そこに祀られている神様の多くは、この『古事記』や『日本書紀』に登場する神々です。

縁結びで有名な出雲大社の大国主神(オオクニヌシノカミ)も、伊勢神宮の天照大御神(アマテラスオオミカミ)も、ルーツをたどれば神話の世界につながっています。

神道にはキリスト教の聖書や仏教のお経のような「絶対的な教典」はありません。

だからこそ、日本神話こそが、神々の性格や功績を知るための唯一無二の手がかり。

神話を知ることは、神道そのものを理解することに直結しているのです。

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第2章 天地創造と国生み!イザナキとイザナミの壮大な物語

何もない混沌とした空間から天と地が分かれ、最初の神々が誕生します。

日本列島を生み出した夫婦神・イザナキとイザナミの、愛と悲しみの物語です。

天地のはじまりと最初の神々

宇宙がまだドロドロと混ざり合っていた太古の昔。

やがて澄んで軽いものが上にのぼって「天(高天原)」となり、重く濁ったものが下に沈んで「地」となりました。

この時、高天原に最初に現れたのが天之御中主神(アメノミナカヌシノカミ)。

続いて高御産巣日神(タカミムスビノカミ)、神産巣日神(カミムスビノカミ)が現れます。

「造化の三神」と呼ばれるこの三柱は、性別もなく姿を持たない、神秘的な存在でした。

その後も神々が次々と誕生しますが、みなすぐに姿を隠してしまいます。

そして七代目、はっきりした男女の性別を持った神様が初めて誕生します。

男神のイザナキと、女神のイザナミです。

イザナキとイザナミによる「国生み」と「神生み」

天の神々から「この漂っている下界の大地を固めて、国を作りなさい」と命じられた二人。

天の浮き橋に立ち、授かった「天の沼矛(あめのぬぼこ)」でドロドロの海をかき回しました。

「こおろこおろ」とかき混ぜて矛を引き上げると、先から塩が滴り落ちて固まり、一つの島に。

これが「オノゴロ島」です。

島に降り立った二人は宮殿を建て、結婚の儀式を行います。

そして日本の国土となる島々を次々と生み出していきました——淡路島、四国、九州、本州。これが「国生み」。

続いて、その国で暮らすための自然の神々を生み出す「神生み」が始まります。

海の神、山の神、木の神、風の神……。順調に見えたこの共同作業に、やがて悲劇が訪れます。

黄泉の国と、生と死の起源

火の神(カグツチ)を産んだ時、激しい火傷を負ったイザナミは命を落としてしまいます。

悲しみに暮れたイザナキは、死者の世界「黄泉の国(よみのくに)」まで妻を迎えに行きました。

暗闇の中で「一緒に帰ろう」と呼びかけると、イザナミは「黄泉の神に相談するから、絶対に私の姿を見ないで」と約束させます。

でも、待ちきれなくなったイザナキ。髪の櫛を折って火を灯し、覗いてしまいます。

そこには、ウジが湧き、恐ろしい雷神に取り憑かれた変わり果てた妻の姿がありました。

恐怖で逃げ出すイザナキ。

恥をかかされて激怒したイザナミが追いかけてくる。

命からがら「黄泉比良坂(よもつひらさか)」まで逃げ延びたイザナキは、巨大な岩で道を塞ぎました。

岩の向こうからイザナミは「あなたの国の人を、一日に千人殺してやる」と叫びます。

イザナキは「それなら私は、一日に千五百人を生ませよう」と返しました。

これが、この世に「生」と「死」が生まれた瞬間とされています。

愛する妻を追って黄泉の国まで行き、恐れをなして逃げ帰る。なんとも人間くさい話だと思いませんか。

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第3章 アマテラスとスサノオ!個性あふれる姉弟神のドラマ

黄泉の国から戻ったイザナキが、穢れを落とすため川で身を清めた時(禊:みそぎ)、三柱の尊い神が生まれました。

その中でも特に重要なのが、アマテラスとスサノオ。

正反対の個性を持つこの姉弟が巻き起こす物語は、日本神話の中でも一番の読みどころです。

太陽の女神・アマテラスと暴れん坊・スサノオ

左目を洗った時に生まれたのが、太陽のように輝く女神・アマテラス。

右目からはツクヨミ(月の神)、鼻からはスサノオが生まれました。

アマテラスは天の世界(高天原)を立派に治めるリーダーへと成長しますが、末っ子のスサノオは様子が違います。

任された海原を治めようともせず、「亡き母のいる黄泉の国へ行きたい」と泣いてばかり。

大の大人が、ヒゲが胸元まで伸びるほど大泣きする。

おかげで山の木々は枯れ、海や川の水は干上がり、世界中に災いが広がってしまいました。

怒った父イザナキに追放されたスサノオは、姉に別れを告げようと高天原へ向かいます。

スサノオの暴走と、アマテラスの「天岩戸隠れ」

スサノオが昇ってくる地響きを感じたアマテラスは、「弟が私の国を奪いに来た」と武装して迎え撃ちます。

スサノオは誓約(うけい)という占いで身の潔白を示し、なんとか滞在を許してもらいました。

ところが——ここからスサノオの暴走が始まります。

田んぼのあぜ道を壊したり、神聖な機織り小屋に皮を剥いだ馬を投げ込んだりと、やりたい放題。

最初は庇っていたアマテラスもとうとう心を痛め、天岩戸(あまのいわと)という洞窟に引きこもり、岩の扉をぴったりと閉めてしまいました。

太陽の女神が隠れると、世界は真っ暗闇。食べ物は育たず、病気や災いが蔓延。困り果てた八百万の神々は川原に集まり、会議を開きます。

作戦はこうでした。洞窟の前でニワトリを鳴かせ、アメノウズメという女神が桶の上でコミカルに踊り狂う。

それを見た神々が大爆笑——。

外の異様な盛り上がりに気になったアマテラスが岩戸を少し開けた瞬間、力持ちの神様が一気に開け放ちました。こうして世界に再び光が戻ったのです。

八岐大蛇(ヤマタノオロチ)退治と英雄伝説

高天原を追放されたスサノオは、出雲の国(現在の島根県)に降り立ちます。

そこで出会ったのが、泣いている老夫婦と美しい娘・クシナダヒメ。

「毎年、八つの頭を持つ怪物・ヤマタノオロチがやってきて娘を食べてしまう。この子が最後の一人だ」と言います。

スサノオはクシナダヒメとの結婚を条件に退治を引き受け、強い酒(八塩折之酒)を八つの樽に用意して待ち伏せ。

においにつられてやってきたオロチが樽に頭を突っ込んで飲み、酔いつぶれたところを剣でズタズタに切りました。

この時、オロチの尻尾から出てきたのが「草薙剣(くさなぎのつるぎ)」——後に三種の神器の一つとなる、あの剣です。

泣いてばかりいた暴れん坊が、愛する者を守るために戦い、英雄へと成長した物語。スサノオの物語は、そんな成長譚でもあります。

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第4章 失敗もする?日本の神様が「人間臭い」と言われる理由

ここまでのエピソードを読んで、どんな印象を持ちましたか? 

日本の神々は、全知全能で絶対的な存在というより、どこか隣のおじさんやおばさんに近い雰囲気がありますよね。

失敗や挫折を経験する神様たち

日本の神様は、本当によく失敗します。

「見てはいけない」と言われた約束を破ってしまったイザナキ。

弟のイタズラを止められず、洞窟に引きこもってしまった最高神のアマテラス。大泣きして世界に迷惑をかけ、追放されたスサノオ。

それでも、失敗したままで終わらないのが面白いところです。

イザナキは身を清めて新たな神々を生み、アマテラスは神々の助けで洞窟から出てきて、スサノオは英雄になった。

「失敗して、立ち直る」というプロセスが丁寧に描かれているのが、日本神話の特徴です。

感情豊かで個性的な八百万の神々

嫉妬したり、恐怖におののいたり、みんなで集まってどんちゃん騒ぎしたり。

日本の神々は感情が豊かで、それぞれに強烈な個性があります。

誰か一人では解決できない問題が起きると、八百万の神々が集まって会議。

「誰かの知恵を借りる」「みんなで協力して乗り越える」というのは、私たち人間の社会そのものですよね。

神様たちのコミュニティも、人間社会と同じように助け合いで成り立っているのです。

「完璧じゃない」からこそ愛される

一神教の神様が「絶対的な正しさ」や「裁きを下す存在」として描かれることが多いのに対し、日本の神様は「不完全」だからこそ愛されてきた存在かもしれません。

人間と同じように弱さを持ち、失敗しては落ち込み、助け合って生きていく神々。

昔の日本人は、そんな物語を聞きながら「神様も、自分たちと同じように悩んでいるんだ」と感じていたのではないでしょうか。

恐れる存在というより、一緒に泣き笑いしてくれる、良き隣人のような存在。

この「完璧じゃない神様を受け入れる心」が、すべてのものに神が宿るという「八百万の神」という感覚を育ててきたのだと思います。

現代の私たちが神社で手を合わせる時に感じる、あの何とも言えない温かさも、きっとそこから来ているのでしょう。

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まとめ

今回は、神道のバックボーンである「日本神話」について、『古事記』や『日本書紀』の世界を通じてご紹介しました。

国生みから始まり、アマテラスやスサノオが繰り広げるドラマチックな物語。

こうして知っておくと、神社で手を合わせる時の感じ方が少し変わってくるかもしれません。

何より印象的なのは、日本の神様が驚くほど人間くさいという点。失敗して泣いたり、怒って隠れてしまったり。

完璧な支配者ではなく、共に泣き笑いできる存在として神様を捉えてきた——そのことが、日本人が神様に抱く親しみや、八百万の神への敬意のルーツなんだと思います。

次に神社を参拝する時は、そこに祀られている神様がどんな物語を持つのか、ちょっと思い浮かべてみてください。

きっと今までとは違う、温かい気持ちで手を合わせられるはずです。

この記事のポイント
  • 神道の背景には『古事記』や『日本書紀』に記された神話がある
  • イザナキとイザナミによる「国生み」と「神生み」が日本の原点
  • アマテラスとスサノオの物語から神々の豊かな個性と成長を知ることができる
  • 日本の神様は絶対的で完璧な存在ではなく、人間のように失敗もする
  • 神々の「人間臭さ」が、日本人が抱く神様への温かい親近感に繋がっている
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