2026年1月22日。日本将棋界、いや、日本中のお茶の間から、ひとつの大きな存在が姿を消しました。
「ひふみん」の愛称で親しまれ、将棋を知らない子供たちからも愛された元名人の加藤一二三(かとう・ひふみ)さんが、肺炎のため東京都内の病院で息を引き取りました。86歳でした。
テレビで見せる屈託のない笑顔。おやつにチョコレートを頬張る姿。そして、バラエティ番組での予想外のコメント。晩年の彼は、私たちにとって「国民的おじいちゃん」そのものでした。
しかし、私たちは知っておくべきです。
彼がただの「面白いおじいちゃん」ではなかったことを。
彼が、かつて「神武以来の天才」と恐れられ、盤上で血を吐くような戦いを60年以上も続けた、真の勝負師であったことを。
本稿では、加藤一二三さんが最期まで貫いた美学と、彼が次世代に残した「見えないバトン」について、追悼の意を込めて綴ります。
ひふみん、天国へ。「秒読み」のない世界で
関係者によると、加藤さんは年明けから体調を崩し療養中でしたが、22日の未明、家族に見守られながら静かに天に召されたといいます。
生前、敬虔なカトリック教徒として知られた加藤さん。その信仰心は深く、ローマ教皇庁から「聖シルベストロ教皇騎士団勲章」を授与されるほどでした。葬儀は本人の遺志により、厳かな教会葬として執り行われる予定です。
訃報が流れるやいなや、SNS上では悲しみの声が溢れかえりました。
「嘘だと言ってほしい」「ひふみんの笑顔にもう会えないなんて」
そこには、将棋ファンだけでなく、世代を超えた多くの人々の「喪失感」が刻まれています。
彼が愛された理由は、その「愛嬌」だけではありません。どんな時でも、誰に対しても裏表がなく、自分の感情に正直であったこと。その純粋さが、現代社会に疲れた私たちの心を癒やしてくれていたのかもしれません。
天国へと旅立った今、もう対局時計の秒読みに追われることはありません。大好きな賛美歌を歌いながら、穏やかな安息の中にいることを願ってやみません。
「面白いおじいちゃん」の正体は「神武以来の天才」だった
テレビでのユーモラスな姿しか知らない世代にとって、現役時代の加藤一二三の姿は想像がつかないかもしれません。しかし、その足跡はまさに「伝説」そのものです。
14歳での衝撃デビューと「神武以来の天才」
彼がプロ棋士になったのは、わずか14歳7ヶ月の時。これは、後に藤井聡太さんが破るまで、62年もの間破られることのなかった史上最年少記録です。
当時の中学生棋士誕生は社会現象となり、「神武以来の天才(日本の歴史が始まって以来の天才)」と称されました。18歳でA級八段(現在のトップリーグ)に昇るなど、その早熟さは藤井聡太さんに勝るとも劣らないものでした。
「棒銀」一本槍の職人芸
加藤一二三の将棋を語る上で外せないのが「棒銀(ぼうぎん)」戦法です。
将棋には流行があり、多くの棋士が最新のAI研究や流行の戦法を取り入れます。しかし、彼は頑なに「棒銀」を指し続けました。
「対策されたらどうするのか?」
そんな問いに、彼はこう答えたといいます。
「対策されたら、さらにその上をいく手を指せばいい」
これは単なる頑固さではありません。「将棋の真理」へのあくなき探求心です。彼は「最善手は常に一つ」と信じ、自分が信じた戦法を極めることに一生を捧げました。その姿は、効率を重視する現代において、忘れ去られた「職人の美学」そのものでした。
盤外戦も「全力」ゆえに
数々の「ひふみん伝説」――対局中の「あと何分?」の連呼、対局室に響き渡る空調の音を止めるように要求した事件、対局中に賛美歌をハミングしたという噂、3メートル近い長いネクタイ。
これらはすべて笑い話として語られますが、その根底にあるのは**「勝利への異常なまでの執念」**です。
盤上のことに集中しすぎるあまり、周囲が見えなくなる。それほどまでに、彼は一局一局に命を削っていたのです。あの愛らしいキャラクターの奥底には、修羅の世界を生き抜いた鬼神が棲んでいました。
「投了の美学」を拒んだ男が、藤井聡太に残したもの
加藤一二三さんの棋士人生における最大の功績。それは、記録やタイトル数だけではありません。彼が若手棋士たち、特に藤井聡太さんに見せた「背中」にあります。
潔さを良しとしない「泥臭さ」
プロ棋士の世界では、形勢が絶望的になった際、早めに「投了(負けを認める)」することが美学とされる風潮があります。見苦しく粘るより、潔く散る方が美しいとされるのです。
しかし、加藤一二三は違いました。
どんなに敗勢になっても、相手の王将を詰ます直前まで、あるいは自分が完全に詰まされる最後の瞬間まで、決して投了しませんでした。
「往生際が悪い」と批判されることもありました。しかし、彼はこう語っています。
「将棋は相手が間違える可能性があるゲーム。最後まで最善を尽くすのが、相手に対する礼儀であり、プロの責任である」
1分1秒でも長く将棋を指していたい。その「生への執着」にも似た盤上の粘りは、AIによる評価値で形勢を判断しがちな現代将棋へのアンチテーゼのようでもありました。1180敗という歴代最多の敗戦数は、彼が誰よりも長く、誰よりも多く「負けの味」を噛み締め、それでも立ち上がり続けた証なのです。
藤井聡太への「愛ある眼差し」
2017年、加藤一二三さんの現役引退を決めた一局の相手が、当時デビューしたばかりの藤井聡太四段(当時)だったことは、多くの人々に運命的な出来事と受け止められました。
62歳差の対決。自身の持つ最年少記録を塗り替えた天才少年に対し、加藤さんは一切の嫉妬を見せませんでした。それどころか、「彼ならタイトルをいくつも取るでしょう」と、まるで自分の孫、あるいは「かつての自分」を見るような温かい眼差しで称賛し続けました。
藤井聡太さんが八冠独占という偉業を成し遂げた背景には、AI研究だけでなく、加藤さんが体現してきたような「盤上への没入」があります。
「天才は、天才を知る」
加藤一二三という偉大な先達が、笑顔で「君の道は正しいよ」と肯定し続けたことが、どれほど藤井聡太という青年の背中を押したことでしょうか。
加藤一二三が盤上に残した熱、勝利への渇望、そして将棋への純粋な愛。
その見えないバトンは、確かに現代の棋士たちへ、そして藤井聡太へと受け継がれています。
加藤一二三さんに関するFAQ(知られざるトリビア)
ここでは、本文で触れきれなかった加藤一二三さんの意外な一面やエピソードをQ&A形式で紹介します。
- Q1. なぜ「ひふみん」と呼ばれるようになったのですか?
- A1. 元々はネット掲示板などで使われていた愛称でしたが、2000年代以降、ニコニコ動画などの将棋中継やバラエティ番組出演を通じて本人の公認となり、全国的に定着しました。ご本人も「親しみやすくて気に入っています」と語っていました。
- Q2. 「一二三」という名前の由来は?
- A2. 1月1日(元日)に生まれたから……と思われがちですが、実は「1月1日に生まれて、3番目の子供だったから」一二三と名付けられました。(実際は1月1日生まれですが、戸籍上の届け出などの関係説など諸説あり、ご本人もネタにしていました)。
- Q3. 好きな食べ物は本当にうな重だけですか?
- A3. 対局中の食事(将棋メシ)としてうな重を愛したことは有名ですが、その他にもカキフライ定食や、トマトジュース、そしてチョコレートも大好物でした。特に「明治の板チョコ」がお気に入りだったと言われています。
- Q4. 「待った」をしたことがあるって本当?
- A4. 将棋の公式戦で「待った」は反則負けですが、加藤先生には「待った」にまつわる逸話があります。銀を動かそうとして指が離れず、盤上で駒をスライドさせたことがあり、相手が「それは反則だ」と抗議したものの、審判の結果「指は離れていない」として続行された、という珍事件がありました。
- Q5. ネクタイが長すぎるのはなぜ?
- A5. 既製品のネクタイだと、座高が高く恰幅の良い加藤先生には短すぎることがありました。そのため、特注で長いネクタイを作っていたそうですが、それにしても長すぎて対局中に盤に触れそうになることもしばしば。「おしゃれより実用性(?)」を重視した結果のようです。
- Q6. 猫好きが高じて裁判になったことがある?
- A6. はい。自宅マンションの敷地内で野良猫に餌をやり続け、近隣住民から訴訟を起こされたことがあります。結果的に敗訴し、餌やりを禁じられましたが、「お腹を空かせた命を放っておけない」という、彼の優しさと頑固さが招いた事件として知られています。
- Q7. 歌がプロ級に上手いって本当?
- A7. 本当です。NHKの番組などで披露した歌声は、朗々としたテノール(バリトン寄り)の美声。クラシックや賛美歌を好み、その声量は対局中の「感想戦」の声の大きさにも通じるところがありました。
- Q8. 「最高齢現役」の記録も持っていますか?
- A8. はい。14歳7ヶ月で最年少プロ四段昇格、77歳5ヶ月で現役最高齢勝利を記録し、2017年6月20日に引退しました。「早熟の天才」でありながら「晩成の大器」のように長く活躍した、極めて稀有な存在です。
- Q9. 1180敗という記録は不名誉ではないのですか?
- A9. まったく不名誉ではありません。将棋界では「負けることができるのは、対局が組まれる強い棋士である証拠」です。弱い棋士は予選で負けて対局数が減り、早々に引退を余儀なくされます。1180回も負けることができたのは、それ以上に勝ち、トップクラスに君臨し続けた勲章なのです。ちなみに通算勝利数は1324勝です。
- Q10. 藤井聡太さんとの対戦成績は?
- A10. 公式戦での対戦は1局のみ。2016年12月24日、加藤先生の引退がかかった竜王戦6組ランキング戦で、デビュー戦の藤井四段と戦い、敗れました。これが「伝説の継承戦」と呼ばれています。
- Q11. クリスチャンになったきっかけは?
- A11. 30代の頃、勝負の世界の厳しさに悩み、救いを求めて教会を訪れたことがきっかけで洗礼を受けました。以来、対局の前には必ず教会で祈りを捧げ、「勝負は神の領域」という境地に至ったと言われています。
結び:盤上の星になったひふみんへ
加藤一二三という棋士は、私たちに「好きなことを貫く強さ」と「年齢を重ねることの愛おしさ」を教えてくれました。
86年間の人生、そのほとんどを将棋盤という33センチ×36センチの宇宙に捧げた男。
彼の肉体は滅びましたが、彼が残した数々の名局と、あたたかい笑顔の記憶は、多くの人々の心に残り続けるでしょう。
今頃、天国ではかつての宿敵・大山康晴十五世名人や米長邦雄永世棋聖たちが、盤を挟んで待ち構えていることでしょう。
「加藤さん、来るのが遅いよ!」
「いやあ、ちょっと下界で長考しておりまして」
そんな会話が聞こえてきそうです。
加藤一二三先生、長い間、本当にお疲れ様でした。
そして、たくさんの感動と笑いを、ありがとうございました。
どうか、安らかにお眠りください。


コメント