2026年6月30日、長唄三味線の人間国宝・今藤政太郎(いまふじ まさたろう)さんが老衰のため、東京都内の自宅で亡くなりました。満90歳でした。
長唄の重鎮として、大手メディアは経歴を淡々と伝えていますが、実は今藤さんの出発点は長唄とはまったく別の家柄にあります。
囃子方の家に生まれながら継ぐ気になれなかった少年が、なぜ長唄三味線の道を選び、人間国宝にまで上り詰めたのか。
そして人間国宝でありながら、シンセサイザーにまで手を伸ばした型破りな創作の軌跡を、ここでは掘り下げていきます。
- 今藤政太郎さんの逝去に関する事実(死因・告別式・喪主)
- 長唄三味線とは別系統の家に生まれた出自
- なぜ「今藤政太郎」という名跡を継いだのか
- シンセサイザーやフラメンコにも挑んだ型破りな創作活動
- パーキンソン病を抱えてからも続いた晩年の創作
訃報の事実


まずは、今藤政太郎さんの逝去にまつわる基本情報を整理します。
死因や告別式の日程、喪主について、報道された内容をもとに押さえておきましょう。
逝去の詳細、告別式の日程と会場、喪主・遺族について
今藤政太郎さんは2026年6月30日午後2時2分、老衰のため東京都の自宅で亡くなりました。満90歳でした。
告別式は7月9日午前11時から、東京都港区南青山2の26の38にある梅窓院観音堂で執り行われます。
喪主は長男で長唄唄方として活動する今藤政貴さん(本名・中川貴史さん)が務めます。
今藤政太郎さんのプロフィール
- 生年月日:1935年10月10日
- 没年月日:2026年06月30日
- 職 業:長唄三味線奏者、作曲家
- 経 歴:
- 四世藤舎呂船、藤舎せい子の長男として東京日本橋に生まれる。
- 十世芳村伊四郎、三世今藤長十郎、今藤綾子、山田抄太郎に師事。
- 1959年、東京芸術大学音楽学部邦楽科卒業。
- 1963年、二世今藤政太郎を襲名。
- 受賞など:
- 2010年、日本藝術院賞受賞。
- 2013年、重要無形文化財「長唄三味線」の保持者に認定(人間国宝)
継ぐ気のなかった家に生まれて
今藤政太郎さんの実家は、長唄三味線とはまったく別の芸系でした。
継ぐ気になれなかった少年が、なぜ人間国宝への道を歩むことになったのか、その原点をたどります。
藤舎流お囃子方の家に生まれる
今藤さんは1935年10月10日、東京日本橋で生まれました。
父は藤舎流お囃子方の家元・四世藤舎呂船さん、母は藤舎せい子さんで、今藤さんはその長男でした。
藤舎流は長唄三味線とは異なる、鼓や太鼓、笛などのお囃子を担う家系です。
東京藝術大学での修業時代
1959年、東京藝術大学音楽学部邦楽科を卒業しました。
十世芳村伊四郎さん、三世今藤長十郎さん、今藤綾子さん、山田抄太郎さんに師事し、長唄三味線の演奏家としての道を歩み始めます。
少年期、名跡を継ぐ気はなかった
数え年六歳から稽古を始めた今藤さんですが、少年時代は親の名を継ぐ気になれなかったといいます。
生まれ育った家業とは異なる長唄三味線の世界に進んだのは、こうした背景があったからです。
なぜ「今藤政太郎」という名を継いだのか
1963年、師である三世今藤長十郎さんの前名「今藤政太郎」を継承し、二世今藤政太郎を襲名しました。
生家とは別系統の名跡を継ぐという、伝統芸能特有の道のりを歩んだことになります。
人間国宝なのに型破り|シンセサイザーにも挑んだ作曲家
2013年に人間国宝へ認定された今藤さんですが、伝統を守るだけの人ではありませんでした。300曲以上を手がけた作曲家としての、型破りな一面に迫ります。
作曲家としての300曲以上の足跡
演奏家としてだけでなく作曲家としても精力的に活動し、2019年時点で300曲以上を世に送り出してきました。
1962年には「能楽囃子による組曲」で文部大臣奨励賞とNHK杯第一位を同時受賞しています。
シンセサイザーを取り入れた「地獄八景冥途之御客」
上方落語をモチーフにした作品「地獄八景冥途之御客」では、金子泰さん、塩田律さん、今藤さん、今藤美治郎さんが作曲を手がけ、奥田祐さんがシンセサイザーによる編曲を担当しました。
歌舞伎の「鳴神」を思わせるユーモラスな結末を持つ、45分の大作です。
「作曲する」ではなく「拵える」という発想
今藤さんは、伝統芸能の世界での作曲を「拵える」という言葉で表現していました。
まったく新しい曲を一から創るのではなく、既存の楽曲やフレーズを組み合わせ、アレンジしていく手法です。
西洋的な「作曲」とは異なる、伝統的な創作のかたちといえます。
江戸期長唄の復曲プロジェクト
晩年は、江戸期に作られた長唄の復曲プロジェクトにも力を注ぎました。
公式サイトの記録によれば、2023年10月には第9回の公演が行われています。
パーキンソン病と、それでも続いた創作
演奏家として長く活躍した今藤さんですが、晩年はパーキンソン病により舞台を退きます。
それでも止まらなかった創作意欲をたどります。
演奏引退の背景にあったパーキンソン病
今藤さんはパーキンソン病を患い、演奏活動から引退しました。
紹介記事では2016年に演奏活動を退いたとされています。
引退後も続いた作曲活動
演奏の第一線を退いた後も、作曲の手は止めませんでした。
代表作「死者の書」は、折口信夫の原作を金子泰さんが脚色し、清元栄吉さん、今藤政貴さん、奥田祐さんとの共作で2017年に初演されています。
コロナ下の演奏家支援コンサート
新型コロナウイルスの影響で仕事が減った演奏家を支援するため、2020年7月には生演奏と過去の演奏会映像の上映を組み合わせたコンサートを企画しました。
アイデアマンとしての一面がうかがえるエピソードです。
息子・今藤政貴氏への継承
長男の今藤政貴さんは、国立音楽大学ピアノ科を卒業後、三味線を今藤さんに、長唄を今藤美知さんに、お囃子を故藤舎せい子さんに師事しました。
第37期NHK邦楽技能者育成会を卒業し、全国邦楽コンクール三味線部門で第1位優秀賞を受賞しています。
長唄唄方として活動し、今回喪主も務めます。
今藤政太郎さんに関するFAQ
- Q1. 今藤政太郎さんとは何者ですか?
- A1. 長唄三味線の演奏家・作曲家で、2013年に重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定された人物です。
- Q2. 本名は何ですか?
- A2. 中川昇一(なかがわしょういち)です。
- Q3. 死因は何ですか?
- A3. 老衰です。
- Q4. いつ亡くなりましたか?
- A4. 2026年6月30日、東京都の自宅で亡くなりました。満90歳でした。
- Q5. 告別式はいつ、どこで行われますか?
- A5. 7月9日午前11時から、東京都港区南青山2の26の38の梅窓院観音堂で行われます。
- Q6. 喪主は誰ですか?
- A6. 長男で長唄唄方の今藤政貴さん(本名・中川貴史さん)です。
- Q7. どんな家に生まれましたか?
- A7. 長唄三味線とは別系統の、藤舎流お囃子方の家元筋(父・四世藤舎呂船さん、母・藤舎せい子さん)の長男として、1935年10月10日に東京日本橋で生まれました。
- Q8. なぜ「今藤政太郎」という名を名乗ったのですか?
- A8. 1963年、師である三世今藤長十郎さんの前名「今藤政太郎」を継承し、二世今藤政太郎を襲名しました。
- Q9. 代表作は何ですか?
- A9. 「死者の書」(折口信夫原作)や、処女作「六斎念仏意想曲」などがあります。
- Q10. シンセサイザーを使った作品はありますか?
- A10. はい。「地獄八景冥途之御客」という作品で、奥田祐さんによるシンセサイザー編曲を取り入れています。
- Q11. 演奏活動から引退した理由は何ですか?
- A11. パーキンソン病を患ったためで、その後も作曲活動は続けました。
まとめ
今藤政太郎さんは、2026年6月30日に満90歳で亡くなりました。
実家は長唄三味線とは別系統の藤舎流お囃子方の家柄で、少年時代は名跡を継ぐ気になれなかったといいます。
それでも長唄三味線の道に進み、1963年に「今藤政太郎」を襲名、2013年には人間国宝に認定されました。
演奏家としてだけでなく作曲家としても300曲以上を手がけ、シンセサイザーを取り入れた「地獄八景冥途之御客」のような型破りな作品も生み出しています。
晩年はパーキンソン病により演奏を退きましたが、それでも作曲の手は止めず、江戸期長唄の復曲プロジェクトを主導しました。
継ぐ気になれなかった家から、伝統を守りながら壊してきた90年の歩みでした。
ご冥福をお祈りいたします。
- 今藤政太郎さんは2026年6月30日、満90歳で逝去
- 実家は長唄三味線とは別系統のお囃子方の家柄
- 1963年に「今藤政太郎」を襲名、2013年に人間国宝認定
- シンセサイザーを取り入れた作品など、型破りな創作活動を展開
- パーキンソン病を患ってからも作曲を続けた晩年
- 長男・今藤政貴さんが長唄唄方として後を継ぐ


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