日本のポップス史、そして昨今世界を席巻している「シティ・ポップ」の根底を支えた偉大な音楽家がこの世を去りました。
ギタリストであり、卓越した作編曲家、プロデューサーとしても活躍された椎名和夫さんが、2026年2月17日、73歳で逝去。そのことが20日に明らかになりました。
訃報は、山下達郎さんのバンドで長年苦楽を共にした盟友のキーボーディスト・難波弘之氏の公式SNSや、かつて椎名さんがオリジナルメンバーとして在籍したロックバンド「ムーンライダーズ」の公式X(旧Twitter)などで報告され、多くの音楽ファンや関係者の間に深い悲しみが広がっています。
関係者によると、椎名和夫さんはここしばらくの間、闘病生活を送られていたとのことです。
表舞台の華やかなスポットライトを浴びるメインボーカルの影で、楽曲の「骨格」となるリズムやサウンドを緻密に構築していくのがアレンジャー(編曲家)やスタジオ・ミュージシャンの役割です。
椎名和夫さんは、まさにその職人技で1970年代から80年代、そして現代に至るまでの日本の音楽の品質を底上げし続けた最大の功労者の一人でした。
大手ニュースサイトでは「死去」という事実のみがストレートに報じられていますが、単なる訃報として片付けるには、彼が遺した音楽的遺産はあまりにも巨大です。
私たちが普段何気なく耳にしているあの名曲のギターソロも、あの強烈なシンセサイザーのアレンジも、実は椎名さんの手によるものかもしれません。
- 中森明菜のDESIRE以外に、どんな曲をアレンジしていたのか
- 山下達郎のバンド時代、どんなギターを弾いていたのか
- 表舞台から退いた後の晩年は、どのような活動をしていたのか
ギタリスト・椎名和夫の伝説的経歴(山下達郎バンド・ムーンライダーズ)
椎名和夫さんは1952年(昭和27年)7月14日、東京都に生まれました。
1970年代初頭の日本のロック黎明期から、その卓越した音楽センスは頭角を現します。
椎名和夫さんは、山下達郎バンドやムーンライダーズで活躍しました。
「はちみつぱい」から「ムーンライダーズ」への変遷
彼のキャリアの初期を語る上で欠かせないのが、日本語ロックのパイオニア的存在であるバンド「はちみつぱい」への参加です。
末期の「はちみつぱい」にギタリスト、そしてヴァイオリニストとして参加した椎名さんは、その後、主要メンバーが移行する形で1975年に結成された「ムーンライダーズ(MOONRIDERS)」の初代ギタリストとなります。
しかし、音楽性の違いなどからアルバム1枚を残して1977年にムーンライダーズを脱退。その後は特定のバンドに縛られないフリーのスタジオ・ミュージシャン、セッション・ギタリストとしての道を歩み始めます。
この決断が、後の日本のシティ・ポップにおける数々の名演を生み出す契機となりました。
山下達郎サウンドを決定づけた「BOMBER」のジェット・フェイザー
フリーとなった椎名和夫さんの名を音楽ファンの脳裏に強烈に焼き付けたのが、1970年代末から1980年代初頭にかけての「山下達郎バンド」での活躍です。
特に伝説として語り継がれているのが、1978年にリリースされた山下達郎さんのアルバム『GO AHEAD!』に収録され、後にシングルカットもされた名曲「BOMBER(ボンバー)」でのギタープレイです。
この曲で椎名さんは、「ジェット・フェイザー」と呼ばれるエフェクターを深くかけた、うねるような独特のサウンド(ジェット・サウンド)で強烈なギター・ソロを披露しています。
重厚なベースラインと絡み合うこのソロは、当時の日本の音楽シーンに衝撃を与え、現在でも「ファンク・ギターの最高峰」としてギタリストたちの教典となっています。
さらに、椎名さんの真骨頂は派手なソロだけではありません。
「LOVELAND, ISLAND」などに見られる、単音での緻密なバッキング(伴奏)や、極めてデリケートなバランスで配置されるコード・カッティングの技術は圧倒的でした。
上原“ユカリ”裕さん(ドラム)、田中章弘さん(ベース)、難波弘之さん(キーボード)らと共に作り上げた鉄壁のグルーヴは、現在の世界的シティ・ポップ・ブームのまさに「核」となるサウンドだったのです。
中森明菜「DESIRE」も!椎名和夫さんが編曲(アレンジ)を手掛けた名曲まとめ
ギタリストとして頂点を極める一方で、1980年代に入ると椎名和夫さんは「アレンジャー(編曲家)」としての才能を一気に開花させます。
アナログ楽器の生演奏から、シンセサイザーやコンピューターを使ったプログラミング(打ち込み)へと音楽制作の主流がシフトしていく過渡期において、椎名さんはその両方を高次元で融合させることができる稀有な存在でした。
時代を創った名アレンジ「DESIRE-情熱-」
椎名和夫さんのアレンジャーとしての代表作にして、日本の歌謡史に残る金字塔が、1986年にリリースされた中森明菜さんの大ヒット曲「DESIRE-情熱-」です。
和洋折衷のおかっぱ頭と着物風衣装で歌われるこの楽曲は、単にメロディが良いだけでなく、その革新的なサウンド・アレンジがメガヒットの原動力となりました。
「ゲラゲラゲラ、バーニング・ラヴ!」という印象的な合いの手、重低音を響かせるシンセ・ベース、そして隙のないリズム・プログラミング。
これら全てをまとめ上げ、中森明菜さんの情熱的なボーカルを最大限に引き立てたのが椎名さんの編曲手腕です。
この楽曲は、見事に同年の第28回日本レコード大賞を受賞し、椎名和夫の名を音楽業界の不動のものとしました。
ジャンルを問わない幅広いプロデュースワーク
1986年頃には世田谷区駒沢に自身の拠点となる「スタジオ・ペニンシュラ」を設立。
以降、彼の元にはジャンルを問わず数多くのアーティストからオファーが殺到します。
- 吉田美奈子
- 井上陽水
- 中島みゆき
- 甲斐よしひろ
- 光GENJI
- SMAP
ロック、シティ・ポップからアイドル歌謡に至るまで、彼がギターや編曲、プロデュースで関わった作品は数え切れません。
特に、生楽器のアンサンブルとデジタルの打ち込みを違和感なく混在させる「ハイブリッドなサウンドメイク」において、椎名和夫さんの右に出る者は当時いませんでした。
晩年は音楽家の権利保護に尽力(MPN等の活動)
多くの音楽ファンにとって、椎名和夫さん=ギタリスト・アレンジャーという印象が強いかもしれません。
しかし、晩年の椎名さんが最も情熱を注いでいたのは、「表舞台には立たないスタジオ・ミュージシャンや演奏家たちの『権利』を守る活動」でした。
なぜ権利保護活動に立ち上がったのか?
日本の音楽業界では長年、レコーディングで素晴らしい演奏をしたスタジオ・ミュージシャンに対して、正当な二次使用料や権利(著作隣接権など)が還元されにくいという構造的な問題がありました。
欧米に比べて権利保護が遅れている現状に危機感を抱いた椎名さんは、自ら先頭に立ってこの問題に取り組み始めます。
1990年代には演奏家団体「パブリックインサード会(PIT)」を設立。
そして1998年、様々な演奏家団体を束ねる形で「演奏家権利処理合同機構MPN(ミュージック・ピープルズ・ネスト、後にNexusの意も包含)」を立ち上げました。
MPN会長としてのロビー活動と後進への想い
晩年は一般社団法人MPNの会長として、また日本芸能実演家団体協議会(芸団協)の常任理事として、著作権ロビイストとも呼ばれるほどの精力的な活動を展開しました。
特に、デジタル化が進む現代において、私的録音録画補償金制度の適用範囲拡大(iPodやハードディスクなどの汎用機器への適用)を国や関係機関に強く訴え続けました。
椎名さんは、スタジオ・ミュージシャンたちの権利保護を訴え続け、『音楽の現場で汗を流す人々が正当に報われる社会が必要』という信念を持って活動されました。
椎名さんの権利保護活動の根底には、自身が現場でギターを弾き、徹夜でプログラミングの画面と向き合ってきたからこそわかる、裏方ミュージシャンたちへの深い愛情がありました。
プレイヤーとして日本の音楽の「音」を作り、晩年はその音楽を生み出す人々の「土壌」を守り続けた椎名和夫さん。
その功績は、これから先も日本の音楽史の中で永遠に輝き続けることでしょう。
椎名和夫さんに関するFAQ
最後に、椎名和夫さんの経歴や功績について、よく検索される疑問をFAQ形式でまとめました。
- Q1:椎名和夫さんの生年月日と出身地は?
- A1:1952年(昭和27年)7月14日生まれ、東京都の出身です。
- Q2:椎名和夫さんの死因は公表されていますか?
- A2:2026年2月20日の各所での訃報発表時点では、具体的な死因については公表されていません。関係者のSNS等によると、ここしばらくの間、闘病生活を送られていたとのことです。
- Q3:ムーンライダーズにはいつまで在籍していましたか?
- A3:1975年の結成から参加したオリジナルメンバーでしたが、音楽の方向性の違いなどもあり、1977年に同バンドを脱退しフリーのセッションマンに転向しています。
- Q4:山下達郎さんの楽曲「BOMBER」でのギターの特徴は何ですか?
- A4:「BOMBER」のギター・ソロでは、ジェット・フェイザーと呼ばれるエフェクターを深くかけた、うねり上がるような独特のサウンド(通称:ジェット・サウンド)が最大の特徴であり、歴史的な名演として語り継がれています。
- Q5:「DESIRE-情熱-」が受賞した賞は何ですか?
- A5:椎名さんが緻密な編曲(アレンジ)を担当した中森明菜さんの大ヒット曲「DESIRE-情熱-」は、1986年の第28回日本レコード大賞を受賞しています。
- Q6:椎名さんはプログラミング(打ち込み)も得意だったのですか?
- A6:はい。アナログのギタリストとしての確かな腕前に加え、時代に先駆けてシンセサイザーやコンピューターを使った緻密なプログラミング・サウンド構築をマスターし、高い評価を得ていました。
- Q7:一般社団法人MPNとは何の略ですか?
- A7:設立当初は「ミュージック・ピープルズ・ネスト(Music People’s Nest)」の略称でしたが、現在は「Music People’s Nexus(結びつき)」の意味も込められた、演奏家の権利を処理・保護するための合同機構です。
- Q8:椎名さんが権利保護活動に熱心になった理由は何ですか?
- A8:レコーディングの土台を作るスタジオ・ミュージシャン(実演家)の権利や二次使用料が、欧米に比べて日本では十分に保護されておらず、音楽家の生活環境を改善する必要があったためです。
- Q9:椎名和夫さんの訃報は誰が最初にSNSで伝えましたか?
- A9:難波弘之氏の公式Facebookとムーンライダーズの公式Xアカウントなどで、20日に相次いで報告されました(どちらが先かは報道により異なります)。
- Q10:近年の「シティ・ポップ」ブームにおいて、椎名さんの功績はどう評価されていますか?
- A10:1970年代後半から80年代にかけての洗練された都会的なサウンドの土台を、高度なカッティング技術と絶妙なアレンジ力で構築した「最重要人物の一人」として、国内外から再評価されています。
- Q11:椎名さんは自身のレコーディングスタジオを持っていたのですか?
- A11:はい、1986年に東京都世田谷区駒沢に「スタジオ・ペニンシュラ」を設立し、そこで数々の名アレンジやプロデュース作品を生み出しました。
まとめ
本記事では、2026年2月17日に73歳で逝去されたギタリストであり名アレンジャー、椎名和夫さんの偉大な功績について振り返りました。
訃報に触れ、改めて彼が残した「BOMBER」のギターソロや、「DESIRE-情熱-」のイントロを聴き直してみると、そのサウンドがいかに色褪せず、現在の音楽シーンにも通じる強烈なエネルギーを持っているかに気づかされます。
単なるニュースの消費で終わらせず、ぜひストリーミングやCDで、椎名さんが命を吹き込んだ数々の名曲に耳を傾けてみてください。心よりご冥福をお祈りいたします。
- 椎名和夫さんは、ムーンライダーズ初代ギタリストや山下達郎バンドで活躍した伝説的プレイヤーである。
- 中森明菜「DESIRE-情熱-」に代表される、緻密で革新的なアレンジ・プログラミングの第一人者であった。
- 晩年はMPN(演奏家権利処理合同機構)の会長として、後進のスタジオ・ミュージシャンの権利保護に尽力した。
- シティ・ポップ・ブームの根底を支えた職人的な音楽家として、後世に語り継がれる偉大な功績を残した。


コメント