たった10秒。その一瞬に一生を懸ける者たちの狂気と情熱を描いた傑作漫画『ひゃくえむ。』が、ついに劇場アニメ化され、さらにその作品がNetflixで世界同時独占配信スタート。
世界中にその衝撃を広げています。
『チ。―地球の運動について―』で世界的に広く知られる天才漫画家・魚豊(うおと)先生の連載デビュー作であり、多くのファンが「映像化不可能」とさえ思った『ひゃくえむ。』
しかし、鬼才・岩井澤健治監督による「ロトスコープ」という禁断の技法と、声優に起用された松坂桃李さん、染谷将太さんという日本を代表する実力派俳優の「声の演技」が融合したとき、私たちはまだ見たことのないアニメーションの地平を目撃することになりました。
なぜ、これほどまでに『ひゃくえむ。』は観る者の魂を震わせるのか。 なぜ、Netflixでの独占配信がこれほど話題を呼んでいるのか。 そして、原作ファンが懸念していた「あのアツさ」は、アニメーションという枠組みの中でどう昇華されたのか。
この記事では、映画『ひゃくえむ。』が持つ圧倒的な熱量と、その裏に隠された緻密な計算、そしてクリエイターたちの執念を徹底的に解剖します。
まだ観ていない方は今すぐにでもNetflixを開きたくなる、もう観た方は何度でも反芻したくなる、そんな深淵なる『ひゃくえむ。』の世界へご案内します。
- 劇場アニメ『ひゃくえむ。』の基本情報
- 松坂桃李・染谷将太による「引き算」の演技とロトスコープの親和性への期待
- 魚豊『チ。』ファンが、原点である本作の映像クオリティと哲学を確認したい
映画『ひゃくえむ。』の作品概要
陸上競技の100m走に人生のすべてを捧げた人間たちの、栄光と挫折、そして再生を描いた青春ドラマ。
魚豊先生の強烈な作家性と、岩井澤健治監督の実験的かつ執念の映像表現が融合した、アニメ史に残る一作です。
映画『ひゃくえむ。』- 基本情報
- 監 督:岩井澤 健治
- 原 作:魚豊(うおと)『ひゃくえむ。』(講談社「マガジンポケット」所載)
- 脚 本:むとうやすゆき
- 主な声優:松坂桃李、染谷将太、内山昂輝、津田健次郎、内田雄馬 ほか
- 主 題 歌:Official髭男dism「らしさ」
- 公 開:2025年9月19日(金)全国公開
- 上演時間:106分
- 配 信:Netflix(世界同時独占配信)
主な登場人物
- トガシ (CV・松坂桃李 / 小学生時代:種﨑敦美):
- 生まれつき足が速い「才能型」のスプリンター。
- 「泥臭く頑張る健気なキャラ」ではなく「上にいるけど落ちる不安に怯えている」。
- 中学時代は全レース1位で爆走し続けるも、勝利への執着と敗北への恐怖に苛まれ…。
- 小宮(CV・染谷 将太 / 小学生時代:悠木碧):
- 辛い現実から逃げるために走り始めた「努力型」。
- トガシとの出会いで才能を開花させる。
- 「人の話を聞いて真面目に頑張る純粋なキャラ」ではなく、「視野狭窄で近視眼的な、自分勝手な努力をする人」。
- 仁神(にがみ / CV・笠間 淳):
- 元日本代表を親に持つサラブレッド。小6のトガシに大きな影響を与えた。
- 高校で、トガシとまさかの再会となるが…。
- 財津(ざいつ / CV・内山 昂輝):
- 絶対王者として君臨する日本記録保持者。独自の哲学を持つ。
- 高校生の小宮に多大なる影響を与えた人物だが、それがブーメランとなり…。
- 海棠 (かいどう / CV・津田 健次郎):
- ベテランの実力者だが、財津に勝てず万年2位に甘んじている。
- トガシの人生で仁神以上に、大きな影響を与えた人物。
あらすじ
生まれつき足が速く、小学生日本一となったトガシ。
小6のある日、トガシは「辛い現実を忘れるため」にがむしゃらに走っている転校生の小宮に興味を持ちます。トガシは、彼に「この世界にはすごく簡単なルールがある。100mを誰よりも速く走れば、全部解決する」伝えと教えます。そして、放課後、トガシによる小宮への秘密特訓がスタート。全く異なる動機で走る二人でしたが、この期間の短い交流が、将来の関係の芽となりました。
中学生となったトガシは、中1から全レース1位を続け天才スプリンターとして名を馳せていました。しかし、次第に「勝ち続けなければならない」というプレッシャーと、自身の限界への恐怖に心を蝕まれ、結局、中学時代のラストで陸上から距離を置く決心をします。
陸上有名校からのいくつもの勧誘を断り、トガシは地元の公立高に進学。そこの陸上部は幽霊部員を含め総勢3名で、廃部がほぼ決定していました。もともと陸上を続けるつもりのなかったトガシにとっては関係のないことでした。しかし、他者から強制的なアクションで、自らのなかにある熱情を掘り起こされてしまい、陸上界へ復活し、すぐに注目される選手となります。
一方、小宮は独自に走る練習を続けたことで、陸上の強豪高校に入学。しかし、あるイップスで悩んでいました。ある日、母校のOBで、現日本記録保持者の財津が来校。小宮は、財津からのアドバイスでイップスを乗り越え、瞬く間に高校生100mで注目される人財へと駆け上がります。そして、1年生でたどり着いたインターハイ100m決勝、小宮 vs トガシが実現しますが…。
時は流れ、高1のときのインターハイから10年後。社会人となり、かつての輝きを失いかけていたトガシと、トップアスリートとして君臨する小宮。二人は再び同じトラックに立つことになります。しかし、そこには単なる勝敗を超えた、互いの存在証明を懸けた壮絶なドラマが待っていました。
0.01秒を削り出すために人生のすべてを費やしてきた彼らが、その刹那の10秒間に見た景色とは…。
言葉では語り尽くせない「狂気」と「情熱」が、ロトスコープによる生々しい映像と共に爆発します。
映画と原作の違いについて
小説や漫画の原作があって、それが映像化された場合、映画と原作との違いが気になる方がいるかもしれません。
筆者 taoは、『ひゃくえむ。』について、映画を2回観て、原作漫画を2回読みました。どちらも、楽しめました。それぞれ2回目でも感動する部分の多い作品です。
ちなみに、原作は、映画を1回見終わったあと、Amazonで上下巻(全2巻)のKindle版を即購入し、すぐに1読。
そこでわかったことですが、大きな流れと展開に、映画と原作の違いはありません。しかし、細かい状況の設定については、かなり違いがあります。筆者の感覚では、この違いにはそれほど意味はないと考えています。理由は、この作品『ひゃくえむ。』が観る者、読む者に与えるだろうコアな主張に変わりが無いと考えるからです。
それでも、どれくらい状況設定の違いがあるのか、気になる方のために、トガシの小学生時代のみに絞って(映画でいうとスタートから20数分くらいの物語)、違いを列挙してみますね。気になる方は、原作漫画を読むことをお薦めします。
- トガシと小宮の出会い(会話)
- 映画:小宮が転入した日の前日
- 原作:小宮が転入した日
- 小宮へのイジメ
- 映画:なし
- 原作:陰鬱としたイジメあり
- トガシによる小宮の特訓のきっかけ
- 映画:転入直後のとある日、小宮がトガシ邸前を走っていたことがきっかけ
- 原作:放課後、トガシ帰宅中、彼を追い抜いていた者(小宮)がいきなり倒れる、それがきっかけ
- 運動会で
- 映画:トガシは乱暴をしない
- 原作:トガシは小宮をけなす同級生を殴る
- 小宮が運動会で1番を取ったあと
- 映画:ほどなくトガシとの対決につながる
- 原作:クラスの小宮に対する評価が激変
- トガシと小宮の勝負と転校
- 映画:いつもの河川敷、小宮が怪我、翌日・小宮は転校
- 原作:コースが映画と異なる、小宮の怪我は右足甲の骨折、夏休み中・小宮は療養、新学期には小宮は転校でいなかった
ここには小学生時代に限定して、映画と原作の状況設定の違いを6点リストしました。もう少し細かく数え上げると、もっと増えます。
でも、これらの違いは、受ける印象について若干の違いに通じる可能性はあるものの、「作品の大きな流れ、テーマに影響は与えない」と判断しています。
ですから、繰り返しますが、この「映画と原作の違い」が気になる方は、原作も楽しむことをお薦めします。
原作者・魚豊(うおと)と『ひゃくえむ。』
原作者・魚豊氏のデビューから『ひゃくえむ。』までのことを簡単にまとめました。作品理解の参考にしてくださいね。
漫画家・魚豊(うおと)氏の原点は、意外にもギャグ漫画にありました。
投稿時代、編集者からの助言でストーリー漫画へ転向し、ラップを題材にした『パンチライン』などを経て、デビュー作となる『ひゃくえむ。』が誕生します。
着想のきっかけは、リオ五輪でのフライング失格を目撃したことでした。
4年間の努力が一瞬のゆらぎで無に帰す残酷さと、わずか10秒で名声が決まる世界。そこに強烈なドラマを感じた氏は、100m走という競技に「人生の縮図」を見出しました。
本作において、走ることは「生きること」そのもののメタファーとして描かれています。
魚豊氏は高校時代、「死への根源的な恐怖」に強く悩まされていたと語ります。
「どうせ死ぬのになぜ頑張るのか」。
この問いへの答えを探すように、他者からの承認を求めるトガシと、自己評価のみを信じる小宮という、対照的な二人の主人公が生まれました。
物語の結末で二人が到達したのは、勝敗や記録という二項対立を超えた、「ただ走るのが好き」という純粋な境地。
有限な生の中で、一瞬の輝きを永遠のように肯定する。それが本作に込められた祈りにも似たテーマです。
連載当初は閲覧数が伸びず、単行本化すら危ぶまれましたが、SNSでの熱狂的な反響が後押しとなり書籍化が実現しました。
「自分が読みたいものを描く」という揺るぎない信念と、息苦しい世界を打破するための「懐疑とユーモア」。
その鋭利な作家性は、続く大ヒット作『チ。―地球の運動について―』でも遺憾なく発揮されています。
『ひゃくえむ。』は、そんな魚豊氏の哲学の源流を刻印した、記念碑的な作品と言えるでしょう。
Netflixで独占配信中 – 劇場アニメ『ひゃくえむ。』
この劇場アニメ『ひゃくえむ。』描く「静かなる疾走」とは…。
劇場公開を経てついにNetflixへ – いつでも目撃できる100mのドラマ
2025年9月の劇場公開で観客の度肝を抜いた本作は、その後Netflixでの世界独占配信がスタートしました。
劇場でその圧倒的な音響と映像美に打ちのめされたファンはもちろん、劇場へ足を運べなかった層にとっても、待望の配信です。
特筆すべきは、本作が「繰り返し観ることで新たな発見がある」作品であるという点です。
一瞬で過ぎ去る100m走のように、一度の視聴では捉えきれない微細な筋肉の動き、背景に込められた演出、そして役者たちの息遣いが、配信で一時停止や巻き戻しが可能になったことで、より深く分析され、愛されるようになりました。
Netflixのランキングでも非英語作品として上位に食い込むなど、その評価は国境を越えています。
繰り返し観たくなり理由って?
1回でも作品を観た方は、「もう一度観たい」という想いの説明は不要かと思います。まだ観てない方に簡単に説明。
- 心に刺さるワード(金言?)がたくさん気になる。もう一度聞きたい、確認したい。
- 肝心の試合の結果がよく分からない。もう一度観たい、確認したい。
- 主人公の心の動きに感動するが、もう一度理解してたい、確認したい。
なぜ今、世界が『ひゃくえむ。』の衝撃に震えているのか
『ひゃくえむ。』が世界中で評価されている理由は、単なるスポーツ根性ものではない、普遍的な「人間の業」を描いている点にあります。
「なぜ走るのか」という問いは、「なぜ生きるのか」「何のために努力するのか」という人生の根源的な問いと同義です。
才能への嫉妬、努力の虚しさ、勝者と敗者の残酷なコントラスト。
これらは文化や言語を超えて誰もが共感できるテーマです。
さらに、近年のアニメーション映画が追求してきた「美しさ」や「ファンタジー」とは一線を画す、泥臭く、歪で、しかし圧倒的にリアルな映像表現が、世界のアニメファンの目に新鮮かつ衝撃的に映ったのです。
「日本のアニメはここまでやるのか」という驚きが、世界的な口コミにつながっています。
ロトスコープ技法とは?実写の肉体性をアニメに宿す岩井澤監督の挑戦
本作の映像の核となるのが「ロトスコープ」技法です。これは、実写で撮影した映像をアニメーターがトレース(なぞる)して作画する手法。
岩井澤健治監督は前作『音楽』でもこの手法を用い、独特の「ヌルヌルとした動き」と「生々しいリアリティ」で世界を驚かせました。『ひゃくえむ。』では、このロトスコープがさらに進化しています。
特に注目のレースシーンでは、江里口匡史さんや山本匠真さんといった実在のトップアスリートの走りを3DCGで再現し、それをベースに作画するというハイブリッドな手法が採用されました。
これにより、アニメーターの想像だけでは描けない、プロのアスリートだけが持つ重心の移動、筋肉の収縮、接地瞬間の衝撃が見事に再現されています。
ただ実写をなぞるだけではなく、アニメーションならではのデフォルメや構図の省略を組み合わせることで、「実写よりもリアル」な肉体性が画面に宿っているのです。
抑制が生むリアリティ – 松坂桃李と染谷将太の「引き算の演技」
叫ばないトガシ、淡々とした小宮。実力派二人が見せた抑制の芝居
アニメの声優演技といえば、分かりやすく感情を乗せる「足し算」の演技が主流。しかし、松坂桃李さんと染谷将太さんは、本作で徹底的な「引き算」の演技をすることに。
松坂さん演じるトガシは、天才ゆえの苦悩を抱えていますが、それを大声で叫んだり、過剰に嘆いたりはしません。むしろ、感情を押し殺し、ボソボソと呟くような声色の中に、深い絶望と焦燥を滲ませています。
染谷さん演じる小宮もまた、トガシ以上に淡々とした口調の中に、トガシへの執着と走ることへの狂気を秘めています。
この「叫ばない演技 = あえて感情を乗せない演技」こそが、ロトスコープで描かれた生々しいキャラクターの表情と完璧にマッチし、観る者に「隣にいる人間」のような実在感を与えています。
感情爆発の瞬間を際立たせるための「沈黙」と「息遣い」の計算
本作では、セリフのない「沈黙」の時間が非常に多く、かつ効果的に使われています。
例えば、スタートブロックに足をかけ、号砲を待つ一瞬の静寂。
ここではセリフの代わりに、荒い呼吸音、心臓の鼓動、衣擦れの音が劇場の空気を支配します。
松坂さんと染谷さんは、この「息遣い」の演技にも徹底的にこだわりました。
実際に酸欠になるほど激しい呼吸を収録し、走っている最中の苦しさや、限界を超えた瞬間の喘ぎをリアルに表現しています。
普段の抑制された演技があるからこそ、レース中に漏れ出る言葉にならない叫びや、ゴール後の感情の爆発が、より鮮烈に観客の心に突き刺さるのです。
主人公トガシ役の松坂桃李さん – 作品との向き合い方
松坂桃李さんは、本作のオファーを受けてから原作を手に取りましたが、その衝撃は凄まじいものでした。
「とにかく面白く、アドレナリンが止まらなかった」と語るほど作品の熱量と哲学性に圧倒され、その興奮を抱いたまま収録に挑んでいます。
自身はスプリンターではありませんが、100m走に人生のすべてを懸けるキャラクターたちの姿に、職業の枠を超えた深い共感を覚えたといいます。
主人公・トガシへのアプローチにおいて、彼が最も大切にしたのは「孤独への共感」です。
松坂さんは俳優という職業について、作品ごとにチームが解散し、また次の現場へと独りで向かう「本質的に孤独な仕事」だと捉えています。
その感覚を、かつて天才として周囲から孤立し、頂点から転落する恐怖やプレッシャーと戦うトガシの心情に重ね合わせました。
「役者の苦しみや孤独は、他人には伝わらない」。その実感を、誰にも理解されないトガシの内面へと投影したのです。
演技面では、徹底して「リアリティ」を追求しています。
アニメ的な記号として作り込んだ声色ではなく、「もし生身のトガシを演じるなら」という感覚で、自身の素に近いアプローチを選択しました。
特に高校時代と社会人時代の演じ分けについては、単なる声の高低ではなく「視点の変化」を意識したと語ります。
何に足掻いているか分からず走る高校時代に対し、経験を経て自分の状況を俯瞰できている社会人時代。
その精神的な成熟の違いを声に乗せることで、トガシという人間の人生を立体的に表現しました。
「自分の敵は、大体自分」。
トガシと同様に、期待やプレッシャーをごまかさず、不安を抱えたまま仕事と向き合う松坂さんの誠実な姿勢が、この作品の「熱」を支えています。
魚豊作品の哲学を映像化 – 100mのドラマ
魚豊(うおと)作品と、100mの孤独を埋める「音」と「沈黙」の演出について。
『チ。』へと繋がる「才能」と「呪い」。魚豊の原点を読み解く
魚豊先生の作品に共通するテーマは「理屈を超えた熱情」です。
『チ。』では地動説という真理に命を懸けましたが、『ひゃくえむ。』では「速さ」という無慈悲な数字に人生を懸けます。
「100mを速く走れたからといって、何になるのか?なぜ、人生を賭けて続けるのか?」
この根源的な問いに対し、本作は安易な答えを用意していません。
むしろ、その無意味さ、生産性のなさを自覚しながらも、どうしても走らずにはいられない「呪い」のような衝動を描きます。
これは、社会的な成功や合理性とは無縁の場所で、自分だけの価値を見つけようとする人間の尊厳の物語でもあります。
魚豊哲学の原液とも言えるこのテーマが、映画版ではよりストイックに、より純度高く抽出されています。
劇伴を排した瞬間に聴こえる、心臓の鼓動とスパイクの接地音
映画館で、そしてNetflixの良質な音響環境で確認してほしいのが、本作の「音」です。
ここぞという勝負のシーンでは、あえてBGM(劇伴)が消えます。
その代わりに響くのは、自分の心臓の音、トラックを蹴るスパイクの乾いた音、そして風を切る音だけです。
この「引き算の音響演出」が、100m走という競技の孤独性を際立たせています。
観客はBGMに感情を誘導されるのではなく、選手と同じ「無音のゾーン」に放り込まれ、彼らの緊張感を肌で感じることになります。
また、Official髭男dismによる主題歌「らしさ」も、物語のラストで感情が決壊した瞬間に流れ出し、最高のカタルシスをもたらしてくれます。
走ることは、生きること。ラストシーンが問いかける「速さ」の価値
『ひゃくえむ。』のなかには物語の重要なポイントでいくつものレースが登場します。そして、それらのレースの結果の大半が、ぼやかした形で描かれます。その「曖昧な結果の表現」は一環しています。
ネタバレになるため詳細は伏せますが、映画のラストレースシーンでも、結果は曖昧なまま、「走る意味」をそれぞれ観る者に暗示しています。
走る意味に相違を持つトガシと小宮が競走の果てに見つけたもの。それは、速さという数値化された価値ではなく、「ただ、全力で走ること」そのものが持つ、生命の輝きなのかもしれません。
「浅く考えろ、世の中舐めろ」。
作中で語られるこの言葉のように、理屈や打算を捨てて、ただ目の前の瞬間に命を燃やすこと。
そのシンプルで力強いメッセージなどが、観終わった後の私たち、無意識の中で悩み躊躇している私たちの背中を押してくれるのです。
映画『ひゃくえむ。』に関するFAQ
- Q1:原作漫画を読んでいなくても楽しめますか?
- A1:問題ありません。むしろ、結末を知らずにこの「106分間」を駆け抜けられる初見の方が羨ましいです。ただし、見終わった後に確実に電子書籍で全巻ポチることになるかもしれません・笑。
- Q2:作画が独特で動きがヌルヌルしていますが、酔いませんか?
- A2:実写をトレースする「ロトスコープ」という手法です。最初は違和感があるかもしれませんが、開始5分で「人間が走る時の筋肉の振動」に脳がアジャストされ、逆に普通の作画では物足りなくなります。
- Q3:Netflixの「イントロスキップ」は使ってもいいですか?
- A3:推奨しません・・・というより、この作品にはイントロスキップはありません。冒頭の空気感からすでにレースは始まっています。ぜひ、最初からじっくりお楽しみください。
- Q4:スポーツアニメ特有の「必殺技」みたいなものはありますか?
- A4:皆無です。魔法もオーラも出ません。あるのは、酸素欠乏で歪む顔と、地面を蹴る生々しい音だけ。だからこそ、フィクションを超えた痛みが伝わります。
- Q5:『チ。』の作者・魚豊先生の作品ですが、歴史や天文学の知識は必要ですか?
- A5:不要です。今回は「宇宙」ではなく「たった100メートルの直線」が舞台です。しかし、「ひとつのこと(真理)に取り憑かれた人間の狂気」というテーマは、『チ。』と完全に地続きです。
- Q6:スマホで移動中に見ても良いですか?
- A6:禁止とは言いませんが、もったいないです。最低でもタブレット、できればテレビの大画面で。そして必ず「ノイズキャンセリングヘッドホン」を装着してください。声優(松坂桃李・染谷将太)たちの呼吸音が耳元で聞こえる環境が推奨です。
- Q7:子供と一緒に見ても気まずくなりませんか?
- A7:この作品はNetflix独自のレーティングでは「7+」、つまり、7歳以上推奨となっています。エロ・グロ描写はありませんが、テーマ的には、精神的にかなり「重い」作品です。「努力は必ず報われる」という綺麗事を全否定するシーンがあるため、お子さんの年齢によってはトラウマになるかもしれません。
- Q8:声優ではなく俳優が演じていますが、違和感は?
- A8:ありません。むしろ、ロトスコープの生々しい映像には、プロ声優の整った発声よりも、ドラマ・映画などをこなす俳優の「肉体的なノイズ(息切れ、掠れ)」を含んだ芝居の方が圧倒的にマッチしています。
- Q9:字幕(日本語)はオンにすべきですか?
- A9:好みにもよりますが、推奨します。ボソボソとした独り言や、極限状態でのうめき声に重要な感情が込められているため、字幕があるとより深く心理描写を拾えます。
- Q10:正直、暗い話ですか?
- A10:「なぜ人生を賭けてまで走るのか、走り続けるのか」を解くことがテーマですから、重く、それが暗さを感じるかもしれません。しかし、見終わった後、不思議と「明日も生きてやるか」という力が湧いてきます。
- Q11:週末に一気見するのに向いていますか?
- A11:映画単体(約100分)なのでサクッと見られますが、平日の深夜に見ると興奮して眠れなくなるかもしれません。金曜か土曜の夜、ゆっくり楽しむのもよいかもしれません。
まとめ
映画『ひゃくえむ。』は、日本のアニメーション映画の新たな可能性を切り拓いた野心作であり、同時に極上のエンターテインメントです。
ロトスコープという特異な技法が生み出すリアリティ、声優として起用された松坂桃李さんと染谷将太さんによる、魂を削るような抑制の演技、そして魚豊先生が描く「一瞬に懸ける哲学」。
これらが奇跡的なバランスで融合し、観る者の心に消えない爪痕を残します。
- ロトスコープの衝撃:実写をなぞる技法とトップアスリートの協力により、かつてない「走りのリアリティ」を実現。
- 引き算の美学:モノローグを排し、役者の「息遣い」と「間」で語る演出が、深い没入感を生んでいる。
- 普遍的なテーマ:100m走を通して描かれるのは、誰の人生にも通じる「情熱」と「生きる意味」の問いかけ。
- 世界への広がり:Netflix独占配信により、言語の壁を越えて世界中で評価が高まっている。
- 豪華キャストの競演:松坂桃李×染谷将太の14年ぶりの共演に加え、津田健次郎ら実力派声優が脇を固める盤石の布陣。
まだこの熱狂に触れていない方は、ぜひNetflixで、あるいは機会があれば劇場の爆音で、この「10秒間のドラマ」を目撃してください。
観終わった後、きっとあなたも走り出したくなるはずです。
ラストに、再三の繰り返しになりますが、映画で感動したあとは、原作にも是非触れていただくことをお薦めします。


コメント