「皆さん、こんばんは。久米宏です」
かつて、夜10時になると日本中のサラリーマンがチャンネルを合わせた番組がありました。 それが「ニュースステーション」です。
久米宏さんの訃報に際し、改めて彼の功績が注目されていますが、中でも凄まじいのが当時の「視聴率」と「社会への影響力」です。 今では考えられない数字を叩き出し、「久米宏が言うならそうなんだろう」と世論を動かした全盛期。
今回は、ニュースステーションがいかに「ヤバい」番組だったのか、当時の熱狂ぶりを数字とエピソードで振り返ります。
- 昔のニュースステーションがどれくらい人気だったのか数字で知りたい。
- 今の番組との熱量の違いを確認したい。
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視聴率20%超えは当たり前!「オバケ番組」の正体
今のテレビ業界では、ゴールデンタイムでも視聴率10%を取れば「合格」、15%なら「大ヒット」と言われます。 しかし、ニュースステーションの全盛期は次元が違いました。
平日夜10時に20%〜30%の衝撃
ニュースステーションは、平日夜10時という、それまでは「大人はもう寝る時間」とされていた枠で放送されました。 にもかかわらず、平均視聴率は常に15%〜18%をキープ。 大きなニュースがある日は20%〜30%を超えることも珍しくありませんでした。
特に、久米さんが得意とした選挙特番や、歴史的な事件の際には、国民のほぼ3人に1人が見ているという異常事態を作り出していました。 久米宏さんが司会を務めた「ザ・ベストテン」の最高視聴率41.9%には及びませんが、毎日放送されるニュース番組としては異例中の異例です。
「久米宏を見るために帰る」お父さんたち
当時流行した言葉に、こんな現象がありました。 「9時59分になると、居酒屋から客が消える」
サラリーマンたちは、飲み会の途中でも「久米さんのニュース見なきゃ」と言って切り上げ、家に帰ったり、テレビのある店に移動したりしたのです。 それほどまでに、久米宏さんの「今日の一言」は、明日の会社での話題に欠かせないものでした。
何がそんなに面白かったのか?
なぜ、単なるニュース番組がそこまで支持されたのでしょうか?
久米宏という男が夜11時のテレビ画面に現れると、日本中のお茶の間の空気が変わりました。それまでニュース番組といえば、スーツ姿のアナウンサーが原稿を淡々と読み上げるだけの「お堅い番組」でした。
ところが『ニュースステーション』は違った。久米さんが画面に登場すると、まるでバラエティ番組を見ているかのような高揚感があったのです。
難しいニュースを「小学生でもわかる」言葉で
久米さんの最大の発明は、「専門用語を使わない」ことでした。
当時の政治番組では、「財政再建」「構造改革」「行政改革」といった小難しい言葉が飛び交うのが当たり前でした。視聴者の多くは「なんだか大切そうだけど、よくわからない」と感じながら、チャンネルを変えていたのです。
ところが久米さんは違いました。政治家の難解な言葉を聞くやいなや、すかさず「ちょっと待ってください。つまり、私たちのお財布から1万円なくなるってことですよね?」と、生活者のレベルに翻訳して噛み砕く。消費税の議論なら「ビールがあと何円高くなるんですか?」と具体的に聞く。年金問題なら「うちの母親は何歳からいくらもらえるんですか?」と迫る。
この「翻訳力」こそが革命的でした。それまで政治に興味のなかった主婦層や若者が、「あ、これって私の生活に直結する話だったんだ」と気づき始めたのです。難しい話を難しく語るのは誰にでもできる。しかし、難しい話を簡単に、しかも本質を損なわずに語るのは、天才にしかできない芸当でした。
模型や小道具のエンタメ化
今では当たり前の「手書きフリップ」や「巨大模型」。これを報道番組に大々的に取り入れたのもニュースステーションです。
番組開始当初、テレビ朝日のスタジオには信じられない光景が広がっていました。国会議事堂の巨大模型がドーンと置かれ、久米さんが怪獣映画の特撮シーンよろしく、それを指差しながら「ここで密室の会議が行われているわけですよ」と解説する。湾岸戦争の特集では、ペルシャ湾の立体地図を用意し、軍艦の模型を動かしながら戦況を説明する。
従来のニュース番組では考えられないビジュアル重視の演出でした。「ニュースはショーである」という久米さんの信念が、画面の隅々まで行き渡っていました。
そして忘れてはならないのが、渡辺真理さんや小宮悦子さんといった女性キャスターたちが持つ、あの大きな手書きフリップです。数字やキーワードが太い黒マジックで書かれたフリップを掲げる姿は、視聴者の記憶に強烈に焼き付きました。アナログな手法ですが、だからこそ温かみがあり、「一緒に考えている」という連帯感が生まれたのです。
タブーなき政権批判
視聴率が高かった最大の理由は、やはり久米さんの「牙」です。
時の総理大臣であっても、大企業の社長であっても、間違っていると思えば「これはおかしいですね」「国民をバカにしてませんか?」とバッサリ斬る。その鋭い切れ味は、まるで真剣で空を切るような爽快感がありました。
特に印象的だったのは、政治スキャンダルや汚職事件を追及する久米さんの目つきです。普段はニコニコと柔和な表情を浮かべているのに、権力の不正を前にすると目が据わり、声のトーンが一段低くなる。「視聴者の代弁者」としての矜持が、その瞬間に爆発するのです。
その痛快さが、会社で上司に言いたいことを言えないサラリーマンたちの留飲を下げてくれました。「よくぞ言ってくれた!」「俺が言いたかったのはそれだよ!」—深夜の居酒屋では、翌日必ずと言っていいほど前夜の『ニュースステーション』が話題になりました。
久米宏さんは、テレビという公器を使って、視聴者が普段飲み込んでいる不満や疑問を代わりに吐き出してくれる存在だったのです。それは単なるニュース番組ではなく、一種の「痛快劇」であり、庶民のための「代理戦争」でもありました。
視聴者の反応「あの頃のテレビは輝いていた」
失われた「夜11時の興奮」を懐かしむ声
- 「親父と一緒にニュースステーションを見るのが日課だった」
- 「久米さんが怒ると、世の中が動く感じがした」
- 「今の報道ステーションとは熱量が違う」
SNSでは、当時の「熱気」を懐かしむ声で溢れています。
特に印象的なのは、「家族で見ていた」という証言の多さです。父親は仕事から帰宅し、ネクタイを緩めながらビールを片手にテレビの前へ。母親は台所の片付けを終えて、お茶を入れながらソファに腰掛ける。子どもたちは明日の学校があるのに、なぜかこの番組だけは夜更かしを許された——。
「久米さんが『これはおかしいでしょう!』って声を荒げると、親父が『そうだそうだ!』って相槌を打つんですよ。まるでテレビに話しかけるみたいに」
こんな光景が、日本中の家庭で繰り広げられていました。ニュースステーションは、単なる情報番組ではなく、家族の会話を生み出す「メディア」そのものだったのです。
「久米さんが怒ると、世の中が動いた」という実感
もうひとつ、多くの人が口にするのが「久米さんの影響力」です。
当時、久米さんが番組内で厳しく批判した政治家は、翌日の国会で野党から追及され、週刊誌でも取り上げられ、やがて辞任に追い込まれる——そんなことが実際に何度も起きました。視聴者たちは、「テレビが社会を動かしている」という手応えを、リアルタイムで感じることができたのです。
「今みたいに情報が分散していない時代だったから、久米さんの一言の重みが違ったんですよね。翌日の職場や学校で、みんなが同じ話題で盛り上がれた」
ある40代の男性は、こう振り返ります。
「あの頃は、テレビが『世論』そのものだった。久米さんが怒れば、日本中が怒った。久米さんが疑問を呈すれば、日本中が疑った。それってすごいことですよ」
「今の報道ステーションとは熱量が違う」——継承されなかったDNA
『ニュースステーション』が2004年に終了した後、後継番組として『報道ステーション』がスタートしました。しかし、多くの視聴者が感じているのは、「何かが決定的に違う」という違和感です。
「久米さんには『俺が言わなきゃ誰が言うんだ』っていう気迫があった。でも今の番組は、どこか優等生的というか、丸くなっちゃった感じがする」
「当時は放送事故スレスレのハプニングもあったし、生放送ならではのドキドキ感があった。今はすべてが計算され尽くしていて、良くも悪くも『安全運転』なんですよね」
こうした声は、決して後継番組を貶めるものではありません。むしろ、時代が変わり、テレビを取り巻く環境が激変したことの証左でもあります。コンプライアンスが厳しくなり、SNSで一言の失言が炎上する時代。テレビ局も、キャスターも、以前のような「攻めの姿勢」を貫くことが難しくなったのです。
しかし、それでも人々は言います。「あの頃のテレビには、何か特別な力があった」と。
私たちは久米宏というフィルターを通して世界を見ていた
当時は、スマホもネットニュースもない時代です。
2025年の今、私たちは無数の情報に囲まれています。TwitterでもInstagramでもYouTubeでも、世界中のニュースが瞬時に届く時代です。情報の入手経路は多様化し、誰もが自分なりの「情報のフィルター」を持つようになりました。
しかし、1990年代はそうではありませんでした。
スマホもネットニュースもない時代。夜11時、日本中の多くの人々が、同じチャンネルで、同じキャスターの声に耳を傾けていました。久米宏というフィルターを通して、湾岸戦争を知り、バブル崩壊を知り、阪神淡路大震災を知り、政治スキャンダルに怒りを覚えました。
つまり、久米宏さんは「日本の目」だったのです。
彼が疑問に思えば、私たちも疑問に思った。彼が怒れば、私たちも怒った。彼が笑えば、私たちも安心した。それは今思えば、とても特殊で、とても贅沢な時代だったのかもしれません。
「あの頃のテレビは輝いていた」——この言葉は、単なるノスタルジーではありません。それは、マスメディアがまだ圧倒的な影響力を持っていた最後の時代への、敬意と哀惜が込められた言葉なのです。
そして、その輝きの中心には、いつも久米宏さんの鋭い眼差しと、少しだけ皮肉めいた笑顔がありました。
まとめ——久米宏が遺した、かけがえのない「テレビの遺産」
いつになく超絶長い「まとめ」となりました(^_^;)
ニュースステーションの全盛期、それは「テレビが一番力を持っていた時代」そのもの
1985年から2004年まで、約20年間にわたって放送された『ニュースステーション』。
この番組が駆け抜けた時代は、まさに激動の現代史そのものでした。バブル経済の絶頂と崩壊。冷戦の終結とベルリンの壁崩壊。湾岸戦争、阪神淡路大震災、地下鉄サリン事件、9.11同時多発テロ——。世界が、日本が、大きく揺れ動くたびに、私たちは夜11時にテレビの前に座り、久米宏の声に耳を傾けました。
そして、その時代は同時に「テレビが一番力を持っていた時代」でもありました。
インターネットが普及する前。SNSが存在しない時代。情報の発信源は限られており、その中でもテレビは圧倒的な影響力を誇っていました。視聴率30%という数字が意味するのは、日本国民の3人に1人が同じ映像を、同じ瞬間に見ていたということです。それは今では考えられないほどの「共有体験」でした。
その中心にいた久米宏さん——時代の「顔」であり「声」だった男
その巨大なメディアの中心に立っていたのが、久米宏というひとりの男でした。
元々はラジオDJ、そしてバラエティ番組の司会者として人気を博していた彼が、なぜ報道番組のキャスターに抜擢されたのか。当時は「色物キャスター」として批判する声もありました。しかし、その型破りな起用こそが、『ニュースステーション』を伝説にした最大の理由だったのです。
久米さんは、ジャーナリストではありませんでした。政治学者でも、元官僚でもありませんでした。彼はあくまで「視聴者の代表」として、素朴な疑問を投げかけ、おかしいことにはおかしいと声を上げ続けたのです。
その姿勢が、多くの人々の心を掴みました。「この人は、私たちと同じ目線で怒ってくれている」——そう感じさせる力が、久米宏にはありました。
視聴率という数字以上に、私たちの記憶に強烈な「アンカー」を打ち込んでいった
視聴率30%。この数字だけを見れば、確かにすごい。しかし、久米宏という存在の真価は、数字では測れないところにあります。
彼が遺したのは、「記憶」です。
40代、50代の人々に「ニュースステーションで一番印象に残っているシーンは?」と聞けば、誰もが何かしらのエピソードを語り始めます。久米さんが激怒した瞬間。小宮悦子さんが涙ぐんだ日。スタジオに響いた沈黙の重さ。渡辺真理さんの手書きフリップ。久米さんの痛烈な皮肉。そして、エンディングで流れた久石譲の音楽——。
それらすべてが、私たちの記憶の中に「アンカー」として深く打ち込まれているのです。
ある時代を生きた人々にとって、久米宏の声は「あの時代の空気」そのものです。彼の言葉を聞けば、当時の自分が蘇ってくる。どんな部屋で、誰と一緒に、どんな気持ちでテレビを見ていたか——。それが鮮明に思い出されるのです。
伝説のキャスターが教えてくれたこと
久米宏は、私たちに何を教えてくれたのでしょうか。
それは、「疑うことの大切さ」です。
権威を盲信しない。政治家の言葉を鵜呑みにしない。「本当にそうなのか?」と問い続ける姿勢。それを、久米さんは身をもって示してくれました。
そしてもうひとつ、「言葉の力」です。
難しいことを簡単に伝える力。怒りを言葉にする力。皮肉を込めて笑い飛ばす力。真実を見抜く力。それらすべてが、久米宏という一人の人間から溢れ出していました。
今、あらためて思うこと——「久米宏のいない夜」を生きる私たち
2004年、久米宏が『ニュースステーション』を降板してから、すでに20年以上が経ちました。
テレビの影響力は低下し、若者はもうテレビを見なくなったと言われています。情報はスマホで手に入り、ニュースはSNSのタイムラインで流れてきます。誰もが発信者になれる時代。誰もが批評家になれる時代。
しかし、だからこそ私たちは思うのです。
「久米宏のような存在が、もう一度現れないだろうか」と。
視聴者と同じ目線で怒り、笑い、疑問を投げかける。権力に媚びず、視聴率に媚びず、ただ「正しいと思うこと」を貫く——。そんなジャーナリストが、今のメディアにどれだけいるでしょうか。
久米宏は、単なる「昔のテレビの人」ではありません。
彼は、「メディアとは何か」「ジャーナリズムとは何か」「視聴者に向き合うとはどういうことか」——その答えを、身をもって示してくれた伝説の存在なのです。
そして、その伝説は色褪せることなく、今もなお多くの人々の心の中で、鮮やかに輝き続けています。
ニュースステーションの全盛期。それは、テレビが、そして久米宏が、最も輝いていた時代でした。


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