大相撲・遠藤の引退表明にファン衝撃!その理由と今後については?

  • URLをコピーしました!
 *本記事を含め、当サイトでは広告を掲載しています。

大相撲のイケメン力士として大人気の元小結・遠藤聖大(35歳)が、現役引退の意向を固めたことが、2025年10月27日に主要な報道機関によって伝えられました。

石川県穴水町出身の遠藤は、アマチュア横綱から角界入りし、その端正な容姿と「正攻法で綺麗な相撲」で一躍人気を集め、「スー女ブーム」の立役者となりました。

しかし、引退の背景には、長年にわたる両膝の怪我との苦しい闘いがあり、ついに土俵人生に区切りをつける決断を下しました。

引退後は、自身が所有する年寄名跡「北陣」を襲名し、指導者として第二の相撲人生を歩み出す見込みです。

この記事でわかること
  • 元小結の遠藤聖大関が現役引退を決意した背景と理由。
  • 引退の決め手となった直近の怪我の状態と番付の推移。
  • 年寄「北陣」襲名を含む、遠藤の今後の活動予定。

大相撲・年寄株に関しては、こちらの記事もどうぞ。

<スポンサーリンク>
目次

大相撲・遠藤が現役引退を表明、その真相と背景とは?

10月26日に北陣親方(元幕内・天鎧鵬)の退職が日本相撲協会より発表。これを知り、「もしかしたら…」と感じた方も多いことでしょう。

引退表明の速報と世間・相撲界の初期反応

遠藤(追手風部屋所属)が現役引退を決意したことが、2025年10月27日に報じられました。遠藤は長年怪我と闘いながら活躍し、多くのファンに支持されてきた力士です。

引退報道を受け、相撲ファンからは衝撃の声が上がりました。また、特に遠藤はすでに年寄名跡・北陣を所有しており、引退と親方襲名のタイミングに大きな関心が集まりました。

石川県穴水町出身の遠藤は、能登半島地震後も「被災地の元気になると」相撲を取り続けることを決めていました。

この引退の一報を受け、石川県の馳知事は「被災地の為に1年半頑張ってきたと思うと本当に感謝したい」と述べています。

遠藤聖大が築いたキャリアとその功績

遠藤は日本大学でアマチュア横綱(2012年)と国体優勝を果たし、2013年春場所に史上2人目となる幕下10枚目格付け出しで角界入りしました。

プロ入り後は、期待に応える活躍を見せます。初土俵からわずか所要2場所で十両に昇進し、所要3場所で新入幕を果たしました。これは昭和以降最速タイの記録です。

最高位は小結(通算5場所)で、幕内在位は69場所に及びました。三賞は敢闘賞1回(2014年1月場所)、殊勲賞1回(2020年1月場所)、技能賞4回(2016年9月場所、2018年3月場所、2019年7月場所、2021年5月場所)の合計6回獲得し、横綱から金星7個を挙げました。

その端正な顔立ちと、勝っても淡々としている姿勢、テーピングをしない「力士らしい」姿から、「イケメン力士」として人気爆発。大相撲人気復活の象徴的な存在となりました。

<スポンサーリンク>

なぜ今?遠藤が引退を決断した理由と最近の成績・怪我の影響

近年は膝の慢性的な痛みに苦しみ、2025年7月と9月に両膝の手術を受けて2場所連続休場。11月場所は東幕下3枚目まで番付を下げ、関取の座を失ったのを機に引退を決意したようです…。

長年の怪我の蓄積と直近場所での番付推移

遠藤の引退の決め手となったのは、長年にわたる両膝の深刻な怪我です。

遠藤は以前から「けがをしてからは私生活でも痛みを感じて、常に(体調を)考えるようになった」と、苦しい状況を明かしていました。また、角界関係者によると「数年前から、腰から下半身にかけてがボロボロ」で、稽古や筋力トレーニングすら十分にできない時期があったといいます。

遠藤の直近の状況は以下の通りです。

  1. 2025年7月場所:
    • 右膝の複数の怪我(前十字靱帯損傷、半月板損傷など)のため、手術を要するとして全休しました。
  2. 2025年9月場所:
    • 十両に陥落した場所ですが、今度は左膝の同様の複合的な怪我(前十字靱帯損傷、内側側副靱帯損傷、半月板損傷など)の治療と手術のため、初日から全休しました。
  3. 2025年11月場所:
    • 10月27日に発表された番付では、遠藤は東幕下3枚目となりました。2場所連続の全休ということで、十両から幕下に陥落、関取(十両以上が関取)ではなくなってしまいました。

相撲を取るだけで体(膝)が痛む状態が続いており、遠藤自身、「もう無理だなというか、何年もそんな感じ」と、心境を吐露していました。

心境の変化と「引き際」への決意

遠藤は、怪我をしてもサポーターやバンテージを一切巻かず、「自分から体にメスを入れることを許したくない」という強い信条を持っていた力士でした。その遠藤が立て続けに手術に踏み切ったことは、限界に近づいていたことを示しています。

2025年5月場所(東前頭十一枚目)の時期には、「今日が最後の相撲かもしれない、そういう思いで、一日一日やるべきことをやっている」とコメントしており、悲壮感が漂っていました。

<スポンサーリンク>

最新番付で見る遠藤の位置と今後の展望

慢性的な痛みに苦しみと幕下への陥落が引退につながった模様…。

最新番付状況と幕下陥落の現実

遠藤は、2場所連続全休したため、2025年11月場所(九州場所)の番付では東幕下3枚目になりました。幕下陥落、すなわち関取ではなくなってしまったのです。これがどういうことか、少し詳しく書きますね。

前述したことと少し重複します。

日大相撲部で活躍していた遠藤は、学生横綱のタイトルなどもとり、2013年春場所に史上2人目となる幕下10枚目格付け出しで角界入り。これはものすごいことです。イケメンでしかも、将来有望な大型力士登場に、ファンは注目し、期待しました。

その期待を遠藤は裏切りません。2013年3月場所、幕下付け出し10枚目でのは土俵で5勝2敗、続く5月場所・東幕下3枚目で5勝2敗。結果、何と初土俵から所要2場所で新十両に。大相撲では、十両以上の力士を「関取」と言います。言葉を替えると「一人前と見なされる力士」になったわけです。

強者たちが蠢く大相撲界。実は、「関取」になったからといって安泰ではありません。十両で芳しくない成績が続くと、幕下になってしまいます。これが陥落です。陥落すれば、「関取」とは呼ばれなくなります。また頑張って、十両にあがればいいのですが、強者たちがさらに頑張って競い合うのが大相撲。一度陥落した力士がまた「関取」になるのは簡単なことではありません。

そういう難しい「関取」を、遠藤は2013年7月場所以来、陥落することもなく守り続けていました。12年以上、「関取」で居続けたこと、これはとてもすごいことなのです。しかし…

11月場所(九州場所)は2025年11月9日に初日を迎えますが、遠藤は手術後の回復が間に合わず、この場所も土俵に上がることはありません。11月場所の番付は、繰り返しますが、東幕下3枚目。「関取」ではなくなってしまいました。しかも、相撲が取れる身体ではない…。

結果、引退表明につながったものと思われます。

引退タイミングの背景

遠藤は、引退後を踏まえ、2018年5月26日付けで年寄株・北陣(きたじん)を取得。当時、遠藤は長く現役を続ける意向でしたので、何人かの引退者した親方が年寄株・北陣を借りていました。これを借株といいます。遠藤が所有する年寄・北陣を一時的に襲名していたのは次の3人です。

  • 第20代・北陣:元幕内・翔天狼
    • 借株で一時的襲名
    • 襲名期間:2019年7月から2022年6月まで
    • 現在は出来山(できやま)を襲名し、藤島部屋付き親方として後進を指導
  • 第21代・北陣:元幕内・琴勇輝
    • 借株で一時的襲名
    • 襲名期間:2022年10月から2023年7月まで
    • 現在は荒磯(あらいそ)を襲名し、佐渡ヶ嶽部屋付き親方として後進を指導
  • 第22代・北陣:元幕内・天鎧鵬
    • 借株で一時的襲名
    • 襲名期間:2023年7月から2025年10月
    • 10月26日付けで退職

第22代・北陣(元幕内・天鎧鵬)は、次の借株の都合がつかなかったのでしょうか、2025年10月26日付けで日本相撲協会を退職することが発表されました。

これで、年寄・北陣が空き、本来の所有者・遠藤が襲名する段取りが整ったわけです。

あとは、日本相撲協会の北陣襲名承認と、それに伴う、遠藤引退の正式発表待ちということになります。

指導者としての評価と関係者の期待

遠藤は今後、年寄「北陣」として追手風部屋付きの親方となり、後進の育成にあたる見込みです。

遠藤の相撲は、技術の冴えと「形の美学」で知られています。突っ張り、左四つ、寄りを得意とし、押し・引きの転換に無理がなく、投げやすい体勢を瞬時に作る技術は同世代でも群を抜いていました。

角界関係者からは、その冷静な判断力と培われた技術が育成現場で生かされることに期待が寄せられています。

また、遠藤は既に母校の系列校である金沢学院大学相撲部の学生を内弟子としてスカウトしている動きがあり、将来的な部屋の独立も視野に入れていると報じられています。

<スポンサーリンク>

ファンや相撲関係者の反応、引退が大相撲界に与える影響

SNSでのファンの声とエール

遠藤は、大相撲人気低迷期に登場し、多くの女性ファンを獲得した功労者です。彼の引退はファンにとって「遠藤ロス」とも言える大きな出来事です。

SNSでは、「北陣親方襲名」の報道が流れると、「まさかこのタイミングで引退!?」と推測する声が溢れました。ファンは、長年の怪我との闘いを乗り越え、淡々と土俵に上がり続けた遠藤の姿勢に、感謝とねぎらいの言葉を寄せています。

また、遠藤は能登半島地震後も土俵に上がり続けたため、石川県知事の馳氏は「被災地の為に1年半頑張ってきた」と感謝の意を表明しました。

地元・穴水町では、遠藤が関係者に「これまでのご支援に感謝しています」と伝えており、支援者からは「地元の誇りだった」とねぎらいの声が上がっています。

相撲界における「遠藤ロス」と報道の動き

遠藤の存在は、大相撲が人気をV字回復させる中で非常に大きな貢献を果たしました。甘いマスクでCMにも出演するなど、相撲を一般層に広める役割を担いました。

引退後は、その「形の美学」や技術を若手に伝え、「相撲は形と心の両方を磨くもの」と指導していくことが期待されています。

<スポンサーリンク>

遠藤のプライベート事情:嫁・子供との生活とこれから

結婚生活と家族支援の裏側

遠藤は2019年5月に一般女性と結婚し、同年10月に公表しました。また、2020年11月場所後には長男が誕生しています。

結婚公表後、女性ファンが離れ、関連グッズの売上が下がったという報道もありましたが、長年にわたる両膝の怪我という苦しい戦いを続ける遠藤を家族が支えてきたことは想像に難くありません。

引退後の家族との時間、地元との関わり方

遠藤の引退後は、リハビリや親方としての指導者活動が中心となりますが、地元の石川県穴水町との関わりも大切にしていく意向です。

地元関係者からは、引退後も地元イベントへの参加が期待されており、地域と相撲界をつなぐ役割が広がる可能性があります。

遠藤の父親は、故郷にある日立建機の協力会社に勤務しており、その縁で遠藤は日立建機から化粧回しを贈呈されていました。

<スポンサーリンク>

大相撲力士・遠藤に関するFAQ

  1. Q1. 遠藤の最高位は?
    • A1. 西小結です。
      • 2018年5月場所 – 3勝10敗2休
      • 2019年9月場所 – 8勝7敗
      • 2019年11月場所 – 7勝8敗
      • 2020年3月場所 – 7勝8敗
  2. Q2. 初土俵から新入幕までの所要場所数は?
    • A2. 所要3場所で、史上最速タイの記録です。
  3. Q3. 遠藤の年寄株は何ですか? A
    • 3. 年寄名跡「北陣」を2018年5月26日に取得、引退後はこれを襲名する見込みです。
  4. Q4. なぜ四股名を「遠藤」のままを貫いたのですか?
    • A4. 本人によると、改名するタイミングを逃したため、あるいは「大人の事情」と語っていたことがあります。
  5. Q5. 遠藤はいつ結婚しましたか?
    • A5. 2019年5月に一般女性と結婚し、同年10月11日に公表しました。
  6. Q6. 遠藤は何歳の時にアマチュア横綱になりましたか?
    • A6. 22歳の時(2012年)に全日本相撲選手権大会で優勝し、アマチュア横綱に輝きました。
  7. Q7. 獲得した三賞の内訳は?
    • A7. 殊勲賞1回、敢闘賞1回、技能賞4回の合計6回です。
  8. Q8. 遠藤が最も得意とした決まり手は何ですか?
    • A8. 過去6場所の傾向では、寄り切り(34%)、押し出し(15%)、叩き込み(13%)が多いです。
  9. Q9. 遠藤の出身地はどこですか?
    • A9. 石川県鳳珠郡穴水町です。
  10. Q10. 遠藤が相撲を始めたきっかけは?
    • A10. 小学1年生の時、父親にドライブに誘われたと騙されて相撲教室に連れて行かれたのがきっかけです。
  11. Q11. 遠藤はなぜ人気があるのですか?
    • A11. 端正な顔立ち(イケメン)に加え、怪我をしても泣き言を言わず、淡々と土俵に打ち込む「漢は黙って仕事をする」という真摯な姿勢がファンを惹きつけました。

まとめ

この記事のポイント
  • 元小結・遠藤聖大が現役引退の意向を表明した(2025年10月27日報道)。
  • 引退の背景には、両膝の深刻な怪我による体調不良と番付の幕下転落がある。
  • 今後は年寄「北陣」を襲名し、追手風部屋付き親方として指導者の道へ進む。

大相撲の元小結・遠藤聖大(えんどう しょうた・35歳)が、2025年10月27日に現役引退の意向を固めたことが報じられました。

この決断は、長年にわたる両膝の深刻な怪我との苦闘の末に下されました。

特に直近では、2025年7月場所前に右膝、9月場所前には左膝の靭帯や半月板の複合的な損傷に対する大手術を受けており、現役続行が困難な状況となっていました。

その結果、10月27日に発表された2025年11月場所番付では東幕下3枚目の幕下陥落となりました。

遠藤は、アマチュア横綱として鳴り物入りで角界入りし、所要3場所という史上最速タイで新入幕を果たしたエリートです。

その端正な容姿と、駆け引きよりも技術と姿勢を重んじる「正攻法で綺麗な相撲」は多くのファンを魅了し、「スー女ブーム」を先導し、大相撲人気回復の功労者となりました。

引退後は、自身が所有する年寄名跡「北陣」を襲名し、指導者として第二の相撲人生を歩む見込みです。

引退報道の前日には、借株の親方が退職しており、親方襲名の準備は整っている状態です。今後は、土俵で培った高度な技術と相撲への真摯な姿勢を、若手力士たちに継承していくことが期待されています。

地元・石川県穴水町からは、能登半島地震後の奮闘を含め、長年の活躍に対する感謝とねぎらいのエールが送られています。

<スポンサーリンク>
よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!

コメント

コメントする

CAPTCHA

目次