以下、敬称略で進めます。
琴風(元・尾車親方)のコラムを読んで、その聞き慣れない言葉に驚く。
「毒を飲む」「毒を抜く」という言葉を使って、新大関・大の里の初日、そして、3日目で王鵬に黒星を喫した大関・琴櫻を論評していました。
この記事では、琴風の言う「毒を飲む」「毒を抜く」について考察してみます。
決して、実際の「毒」の話ではないことは言うまでもありません。
グーグルさん、誤解しないでね、比喩です、比喩(笑)。
初日、新大関・大の里に対する琴櫻の論評
新大関・大の里、初日の取組は辛勝。いただけない内容でした。
当日、NHKのTV解説は、正面が琴風(元・尾車親方)、向正面が舞の海。
大の里が勝ちを拾った取組直後、琴風が辛辣なコメントをしたことはなんとなく覚えていましたけど、詳細については記憶にはありません。一方、リアルタイムに見ていた筆者 TOPIOは、辛勝だけど白星は白星、優勝を狙うには価値ある1勝だと思っていました。
で、今日、琴風のスポーツ報知のコラムのことを知りました。琴風は、初日の大の里をこう論評しています。
平戸海に立ち会いから一方的に追い込まれた大の里が、土俵際で逆転の引き落としで白星をあげたことに対して…
大の里は反省しなくてはならない。平戸海は場所ごとに馬力をつけている。それでも立ち合いではじき飛ばさないといけない。右差しも左おっつけもできない。新大関としての初日。緊張もあったのだろう。番付の重みも感じたに違いない。そういう意味ではいい経験になったと思う。怪物もやはり24歳の青年だったということだ。
先場所も初日、熱海富士に苦戦した後に本来の相撲を取り戻した。切り替えの速さとうまさには定評はあるが、勝ち方には大いに疑問が残る。突き落としという苦し紛れの逆転技は、毒を飲むのと同じなのである。毒が全身に染み渡ると体が覚えてしまう。ちょっと押せなくなるとすぐに突き落としで逃げようとしてしまう。墓穴は掘るし、大きなけがにつながるリスクも高い。大の里の綱への道にとっては大きな弊害。修正が急務になる。(元大関・琴風、スポーツ報知評論家)
引用元:スポーツ報知
★斜太文字は筆者 TOPIOによるものです。
この記事がYahoo!ニュースとして転載されているほうに12のコメントがついています。その12コメント中、琴風論評に同意しているのは1つのみ。
私も琴風の論評、とくに「毒を飲む」結果、大の里の取り口が悪くなるとは思えません。一方、初日結びの一番の大関・琴櫻については、「毒を飲む」に該当するのではと思っています。つまり、万人に当てはまる論評の軸ではないのでは?
さて、大の里の初日白星の価値については先述したので繰り返しません。
そういうことではなく、大の里と琴櫻の違いから「毒を飲む」の比喩の使い方が間違っていること分かると思うのです。つまり幕内最高優勝の有無。
大の里はすでに幕内最高優勝を2度も遂げています。しかも、初土俵含めた9場所中2場所も。
一方、琴櫻は先場所までで幕内在位は26場所ですが、幕内最高優勝はまだありません。
3日目、大関・琴櫻に対する琴櫻の論評
次に、3日目の大関・琴櫻の敗戦について、琴櫻の論評。これもスポーツ報知から。
初日のコラムで大の里の逆転の突き落としを「毒を盛る」(TOPIO注記:初日コラムには「毒を飲む」と書いる)と書いた。苦し紛れの逆転技で白星をもぎ取ると毒となる。押せないと判断すると体が勝手に逆転技に逃げようとするのだ。琴桜もこの病に侵されているのかもしれない。
立ち合いからの流れは良かった。右からおっつけながら前に出ていった。しかし、押し切れないと判断すると、何度も右手で王鵬の頭を押さえ付けて引こうとしてしまった。これを繰り返して腰を浮かせてしまい、王鵬に押し出された。
「毒を抜く」には押し込まれても、前に押し返す気持ちを取り戻すしかないのだ。私の現役時代、本場所で引いたりしたら部屋に帰るのが怖かった。琴桜の祖父でもある先代の佐渡ケ嶽親方(元横綱・琴桜)からすごい勢いで怒られたからだ。横綱を目指すなら早く体から毒を抜いたほうがいい。(スポーツ報知評論家、元大関・琴風)
引用元:スポーツ報知
★斜太文字は筆者 TOPIOによるものです。
これについても、この記事がYahoo!ニュースとして転載してるほうに16のコメントがついてます。琴風論評に同意しているのは1つのみ。
一方、筆者 TOPIOは、琴櫻については、琴風の論評が的を射ている部分があると考えます。というのも、従来から琴櫻は土俵際での逆転みたいのが多いと記憶しているからです。これについては、先の16のコメントのなかにも同じようなものがあるので引用します。
>初日のコラムで大の里の逆転の突き落としを「毒を盛る」と書いた。 平幕の頃から、逆転の突き落としは琴ノ若の十八番だったじゃん。でも、他の力士なら批判するのに、琴ノ若だけは何を言われない。 協会を挙げて琴ノ若を甘やかしたよね。 関脇に上がって、本人がやっと気づいて、逆転の突き落としを封印して大関になったけど、癖は簡単には抜けない。大関になって、プレッシャーがかかるようになると再開。 それを、今になって「早く体から毒を抜け」とか言っても、遅すぎるんじゃない?
引用元:記事に対するコメント
もしも悪い癖だとするならば長い年月をかけて身についた事なんだから一朝一夕じゃ無理だろ 相撲内容に拘らず勝星だけで大関にするからこんな事になるんだよな 大関の器で無いのに大関にするから元大関の現役力士が増えているんだよな
引用元:記事に対するコメント
つまり、琴風論評の何に同意するかというと、琴櫻はすでにたっぷり「毒を飲む」を続けてきたのではということ。そこが同意部分です。
一方、同意できないのは、大関まで昇進して、いまさら治らないだろうということ。それは、「記事に対するコメント」2番目にある通りです。
そもそも「毒を飲む」「毒を抜く」の切り口は指導としてはいかがか?
現在、大の里や尊富士など、若手の伸びがあって、大相撲は盛り上がっているようにも感じますが、根本的な問題は何も変わっていないか、変わっていないだけに悪化していると思います。15日チケット完売にみんなが喜んでいるようじゃ先行き暗い…。
その悪化に親方は大きな責任を負うべきなのに、元親方の発言(指導の切り口?)が判然としない、従来然とした感覚頼り?
といって否定するのもなんなので、この琴風の「毒を飲む」「毒を抜く」を比較的中立にAIに評価してもらった。
それぞれ投げた質問は同じ。
「琴風(元・尾車親方)が、相撲コラムで「毒を飲む」「毒を抜く」という言葉を使っていたけど、コレって大相撲界では普通に通じる言葉?」
ChatGPTの回答
「毒を飲む」「毒を抜く」という表現は、大相撲界では伝統的に使われる言葉ではなく、一般的な相撲用語でもありません。しかし、元・尾車親方の琴風さんが使った文脈によっては、相撲界で独特の意味を持たせている可能性があります。
たとえば:
- 「毒を飲む」:試練や辛い経験を耐え忍ぶ、という意味で使われることがあるかもしれません。相撲界では精神的な忍耐や痛みに耐えることが重視されるため、このような表現が適応されている可能性もあります。
- 「毒を抜く」:ストレスや怒り、悩みを取り除き、心を落ち着かせること、またはリフレッシュして気持ちを整える意味で使われるかもしれません。親方が弟子に対して、心の整理を促すためにこのような表現を用いた可能性があります。
このように、琴風さんが独自の比喩表現として用いている可能性が高いです。他の親方や力士には伝わるかもしれませんが、相撲界全体で標準的な表現ではないと思われます。
Perplexityの回答
「毒を飲む」「毒を抜く」という表現は、大相撲界における独特の専門用語というわけではありません。この事例では、琴風氏(元大関)が大の里の相撲について比喩的に用いた表現です。
具体的には、大の里が九州場所初日に見せた突き落としという逆転技について、琴風氏は「苦し紛れの逆転技は、毒を飲むのと同じ」と表現しています[2]。これは以下のような意味を込めて使われています:
- その場しのぎの悪い習慣が体に染みついてしまうこと
- 一度身についた悪い癖が後々まで影響を及ぼすこと
- 将来的な成長の妨げになる可能性があること
琴風氏は特に、この「毒」的な相撲の取り方について、以下の具体的な懸念を示しています:
- 体が悪い習慣を覚えてしまう危険性
- 押せなくなった時に安易な突き落としに逃げてしまう可能性
- 大きな怪我につながるリスクが高まること
この表現は、相撲界特有の専門用語というよりも、一般的な比喩表現として使われており、悪い習慣の定着とその危険性を分かりやすく説明するために用いられています。
Claudeの回答
「毒を飲む」「毒を抜く」は、大相撲界で実際に使われる専門用語です。以下のような意味と使用状況があります:
「毒を飲む」とは:
- 本来の実力以上の番付(地位)に上がること
- その位置で勝ち越すのが難しい状況に置かれること
- 実力以上の地位で苦しい相撲を取らざるを得ない状況
「毒を抜く」とは:
- 実力以上の地位で負け越して、適正な位置まで下がること
- その結果、本来の相撲が取れる位置に戻ること
- 力量に見合った番付に落ち着くこと
これらの表現は、特に以下のような場面でよく使用されます:
- 若手力士が急激に番付を上げた時
- けがや体調不良からの復帰後、高い位置からスタートする時
- 実力以上の地位で苦戦が予想される場合
琴風(元・尾車親方)のような相撲界の専門家が使用する際は、力士の状況や今後の展開を分析する文脈で使われることが多いです。
これらの表現は相撲界特有の「言い回し」として定着しており、力士のキャリア管理における重要な概念を表現する専門用語として機能しています。
結局…
「毒を飲む」「毒を抜く」が大相撲界で普通に使われている言葉かそうでないかは、どうでもいいです。
琴風の主旨を推察すると、Perplexity回答のようなものなのかもしれません。
で、その時、肝心なのは「毒を飲む」プロセスと「毒を抜く」プロセスを論理的に説明し、かつ、「毒を抜く」のプロセスの再現性を極めて高くすることを手法として確立することです。それを実践で適用する。
そういう方向性がない限り、「毒を飲む」「毒を抜く」は単なる精神論。
単なる精神論がまかり通っているから、大相撲界がこの状態なのだというのが、筆者 TOPIOの意見です。相撲のド素人が生意気なことを言っていますが、ご容赦ください。
まとめ
この記事の目的は琴風や琴風の論評を批判することではありません。
大相撲界にとっては、現状を論理的に打破していかないと、何も変わらないのでは…という点が一番の主張です。どんな組織にも「変わりたくない、変えたくない」という勢力がいます。本来守るべきもの引き継ぐべきものをしっかり共有した上で、あるべき方向を考え果敢に変化を実現していく。言葉で言うのは簡単ですが、現実は難しい。
だから、誰彼が悪いという話ではありません。
ところで、一部、部屋のあり方を変えていこうという若手の親方がいるみたいです。それについては批判も多いみたい。でも、そういうところから果敢に現状改革を進めないとだめなのでは。
というより、部屋の制度自体からガラガラポンするくらいなことが必要があるのかもしれません。
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