大関・貴景勝が引退表明〜短命?弱すぎ?〜冗談じゃない!

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大関・貴景勝が9月20日、引退を表明しました。

エックスで「貴景勝 引退 短命」で検索してみると「貴景勝の短命をなじるようなポスト」が散見します。

また、Webにおける「貴景勝の引退記事」にも「短命云々」や「弱い」などのコメントが目につきます。

いち「貴景勝ファン」として、大きな声で反論します!

冗談じゃない、貴景勝は短命な大関でも、弱い大関でもない!!!

以下、この記事では「貴景勝は短命」「貴景勝は弱い」などについての反論を書きます。

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目次

貴景勝の簡単プロフィール

以下、大関・貴景勝の簡単プロフィールです。

  • 四股名:貴景勝
  • 本 名:佐藤 貴信(さとう たかのぶ)
  • 生まれ:1996年8月5日(28歳)
  • 出 身:兵庫県芦屋市
  • 身長等:175cm、165kg、O型
  • アマ相撲:小学3年生から地元道場で相撲を始める
    • 小学4〜6年生、東京貴乃花部屋キッズクラブへ、芦屋から通い稽古
    • 小学生わんぱく相撲
      • 4年次全国3位、5年次同2位、6年次同3位
    • 報徳学園中学
      • 3年次、全国中学生相撲選手権大会・優勝し、中学横綱
      • 中学時代、のちの阿武咲、宇良と対戦・稽古をした
    • 埼玉栄高校(中学横綱として特待生入学)
      • 関東高等学校相撲選手権大会・無差別級2連覇
      • 全日本ジュニア相撲選手権大会・無差別級2連覇
      • 高校全国大会7タイトル獲得
      • 世界ジュニア相撲選手権大会・無差別級優勝
  • 大相撲:2014年、貴乃花部屋入門、後に、常盤山部屋
    • 初土俵:2014年9月場所
    • 新入幕:2017年1月場所
    • 大 関:2019年5月場所
    • 引 退:2024年9月場所
    • 幕内優勝:4回
    • 大関在位:30場所
    • 大関勝敗:216勝132敗102休
    • 大関勝率:62.1%

小学3年生から始めた相撲。

アマチュア時代の成績は小学生、中学生、高校生と、とても立派なものでした。

これは佐藤少年の努力の賜物です。

大相撲に入門してからも、大型力士とは見劣りする体躯であるにも関わらず、22歳で大関昇進。

一度、関脇陥落するも特例復帰で大関に戻り、通算30場所大関を務めました。

貴景勝の大関成績を他の大関陣と比較してみる

一番直近で大関になった琴櫻を含め、15人の関取について、「大関時代の成績」をまとめてみました。

Screenshot

貴景勝は「短命」ではないし、「弱く」もない!

今場所、大関を陥落しても現役の幕内・十両として活躍している関取は、5人います。

霧島、正代、御嶽海、高安、朝乃山。

彼らのように、大関陥落後も幕内や十両で活躍することと比較して、「貴景勝が陥落後も平幕などで活躍することなく28歳で引退すること」を短命というとしたら、それは間違っています。

見るべきは、横綱に次ぐ責務の大きな大関としてどれだけ活躍したか、その長短を持って「短命かいなか」と判断すべきです。

前傾の表を御覧ください。

貴景勝の大関在位は30場所です。

これは、表に記載した15人の大関のなかでも「長い」。

つまり、長く大きな責務を果たしてきた大関、それが貴景勝です。

次に、より具体的には、大関として優勝争いに絡み、そして、多くの優勝を重ねる、それも大関の責務でしょう。

前傾の15人のうち、大関時代で貴景勝は3回も優勝しています(通算だと4回)

大関で3回優勝した者は他にいません。

また、大関通算勝率も「62.1%」と他の大関と比べて見劣りしません

□ □ □

以上から、「貴景勝は、けっして、短命でもなく、弱くもありません」。

それどころか、貴景勝は「長く責務を果たしてきた強い大関」だったのです。

身長175cmという体躯を考慮すると、ものすごい努力と研鑽で勝ち取り&続けていた大関なんだと推測します。

引退後の貴景勝は…

貴景勝は、元大関・北天佑の次女、有希奈さんと2020年に結婚し、翌年にはパパになっています。

出会いはフジテレビトーク番組「ジャンクSPORTS」で出会ったことがきっかけだったとか。

□ □ □

ところで…

貴景勝の岳父・北天佑は、1990年9月場所に引退し、年寄「二十山(はたちやま」を襲名。

三保ヶ関部屋付き親方を経て、1994年6月に二十山部屋を興しました。

その後、2006年6月、満45歳という若さで他界。

二十山部屋は継承者がいないため、弟子たちは北の湖部屋に移籍し、二十山部屋は閉鎖となります。

有希奈さんと結婚した貴景勝ですが、その旧・二十山部屋として使われていた建物に有希奈さんのお母さまと一緒に住んでいます。

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年寄株問題…

貴景勝は、2023年9月場所に4回目の幕内最高優勝を果たしました。

大関として3回目の優勝です。

過去、2回の優勝場所の翌場所、連続優勝を果たせば横綱昇進です。

しかし、その2回は途中休場し、連続優勝は果たせず。

3回目の挑戦は…15日間皆勤は果たすも、9勝6敗で連続優勝果たせず。

首の故障もあり、このあたりでくじけてしまったのでしょうか。

2024年1月場所は2勝2敗11休、同3月場所は8勝6敗1休と途中休場。

同5月場所も0勝2敗13休と途中休場です。

引退間近とささやかれはじめました。

しかし、貴景勝には問題がありました。

元貴乃花部屋力士ということもあり、年寄株取得に難儀していたと伝えられています。

大関を務めた力士は、年寄名跡がなくても3年間は親方として在籍ができます。

このあたりの問題がすっきりしたのが7月です。

親方として協会に残るためには105ある年寄名跡のいずれかを取得しなければならない。横綱・照ノ富士もまだ入手できていないほど不足している状況がある。貴景勝はどうするつもりなのか。二所ノ関一門の後援会関係者の話だ。

「師匠の常盤山親方(元小結・隆三杉)は部屋の後継者について、貴乃花親方から託された貴景勝ではなく、新弟子から育ててきた愛弟子の隆の勝と決めているようだ。貴乃花の弟子ということも障害となり、年寄株は入手困難とみられていた。

ところが、二所ノ関一門の大関が協会に残れないのは問題だということで、動きがあった。二所ノ関一門で再雇用の参与として協会に残っていた湊川親方(元小結・大徹)が今年の6月30日付けで退職し、貴景勝はその年寄株を入手したとみられている。湊川親方は70歳の定年まで2年あまり残しての退職。二所ノ関一門の大関のために、身を引いたとみられています。

引用元:NEWSポストセブン

湊川の年寄株が取得できたことで、踏ん切りがついたのが9月場所…ということだったのかもしれません。

まずは、常盤山部屋付き親方として…

9月20日に引退を発表し、21日に引退会見をした貴景勝ですが、すでに湊川の年寄株を取得したことは前述した通りです。

引退後は湊川親方として大相撲界に残ります。

そして、当面は、貴乃花部屋閉鎖時に移籍した常盤山部屋の部屋付き親方として後進の指導にあたります。

その後については、部屋を興して、現状の様々な体制を改革できる人材になってほしいと願っています。

まとめ

筆者 TOPIOは、初代・貴乃花が大好きでした。

その流れで、2代目・貴乃花が大好き&親方としても応援していました。

さらに、その流れで、あの体躯で大関までなった貴景勝が大大大好きでした。

そんなこともあり、今回の引退劇で「巷に見える貴景勝への悪口(?)」に腹が立ち、この記事を書いてしまいました。

その経緯で、他の大関たちとの比較をしましたが、改めて、貴景勝はすごい大関だったんだと再認識しました。

そのきっかけになったので、「世間の悪口」に感謝です。

今後も、いちファンとして湊川親方を応援します!











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