杉内寿子と夫・杉内雅男「神様が決めたご縁」- 夫婦で樹立した囲碁界の金字塔と、夫の記録を塗り替えた感動の物語

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記録の裏に隠された、夫婦の愛と絆の物語…

98歳で引退を発表した囲碁界のレジェンド、杉内寿子八段(引退後、九段昇進となります)。彼女が打ち立てた数々の最年長記録の裏には、もう一つの感動的な物語が隠されています。

それは、2017年に先立った夫であり、同じく偉大な棋士であった杉内雅男九段との、二人三脚で紡いだ愛と絆の物語です。この記事では、彼女の引退というニュースを機に、一組の夫婦が囲碁界に刻んだ愛と尊敬の軌跡を辿ります。

この記事でわかること
  • 囲碁棋士だった夫・杉内雅男について
  • 夫婦棋士としてのエピソードについて
  • 棋士輩出の囲碁一家について

杉内寿子九段(引退後昇進)については、次の記事もどうぞ。

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目次

「碁の神様」と呼ばれた夫・杉内雅男九段との出会い

杉内雅男(画像引用元:日本棋院

寿子八段の夫、杉内雅男九段は、その独特の棋風から「碁の神様」とも称された、日本囲碁界を代表する名棋士の一人でした。二人の出会いは、戦後の若手棋士が集った研究機関「敲玉会(こうぎょくかい)」でした。そこで互いに切磋琢磨する中で縁を深め、1954年に結婚しました。

結婚後、寿子八段は出産と育児のために約10年間、公式戦から離れる時期がありました。家庭を守りながらも、夫と共に囲碁の道を歩み続ける。二人の人生は、常に碁盤を間に挟んで、静かに、そして深く結びついていたのです。

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夫婦で担った「最年長棋士」の襷

杉内寿子(画像引用元:日本棋院

杉内夫妻の特筆すべき点は、二人揃って長きにわたり現役棋士として活躍し続けたことです。特に晩年は、雅男九段が2017年に97歳で亡くなるまで、夫婦で日本棋院の現役最年長棋士ランキングの1位と2位を占めるという、前代未聞の記録を保持していました。

夫の死後、寿子八段は「日本棋院最年長現役棋士」という立場を一人で担うことになります。それはまるで、夫が長年守り続けた襷を、妻である彼女が静かに引き継いだかのようでした。ここから、彼女の最後の挑戦が始まります。

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運命の日:妻が天国の夫の記録を塗り替えた瞬間

この記事のクライマックスは、2024年4月に訪れます。当時、囲碁界の「公式戦最年長対局記録」は、亡き夫・杉内雅男九段が保持していた「97歳0カ月13日」でした。

2024年4月11日、第51期天元戦予選。寿子八段は「97歳1カ月5日」で対局に臨みました。この日、彼女が碁石を握った瞬間、夫が遺した偉大な記録は、最も深く彼を理解する妻の手によって塗り替えられたのです。

この記録更新は、単なる数字の上書きではありません。夫が亡くなった後も一人で碁盤に向かい続けた彼女が、夫婦の歴史を未来へ繋ぐために成し遂げた、愛と敬意の証でした。それは、夫への挑戦や競争ではなく、夫婦で築き上げたレガシーを、一日でも長くこの世に留めようとする継承の儀式だったのです。

彼女はその後も自身の記録を更新し続け、最終的に98歳4カ月4日という大記録を打ち立てました。

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囲碁界の華「本田三姉妹」というもう一つの物語

杉内寿子八段の物語を語る上で、彼女が生まれた「囲碁一家」の背景も欠かせません。彼女の旧姓は本田。妹の楠光子八段、そして故・本田幸子七段(八段)もプロ棋士であり、囲碁界では「本田三姉妹」として広く知られていました。

三姉妹は1986年に『本田三姉妹囲碁界を行く』という共著を出版するなど、その存在は女流棋界の華やかさと発展を象徴するものでした。幼少期から碁に親しみ、姉妹でプロの世界に入り、そして結婚後も夫婦で囲碁の道を歩む。彼女の人生は、どこを切り取っても囲碁と共にあったのです。

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杉内寿子・雅男 夫婦棋士に関するFAQ

夫婦棋士、杉内寿子さん&雅男さんに関する、よくあるQ&Aをまとめました。

Q1: 夫婦でプロ棋士というのは、囲碁界では珍しいことですか?

A1: 決して珍しくはありません。囲碁界には多くの夫婦棋士が存在します。しかし、杉内夫妻のように二人揃ってトップクラスで長期間活躍し、最年長記録を夫婦で占めるような例は前代未聞であり、特別な存在と言えます。

Q2: 杉内寿子八段と雅男九段の公式戦で対局はある?

A2: はい、記録によれば公式戦での対局は一度だけあります。1961年の大手合(昇段手合)で、結果は雅男九段が勝利しました。夫婦での真剣勝負は、この一度きりだったようです。

Q3: 家庭と棋士の両立は、どのようにしていたのでしょうか?

A3: 寿子八段は出産・育児のために約10年間公式戦から離れており、この期間は家庭を優先していました。一方で、夫である雅男九段が研究に打ち込める環境を支え、家庭内でも常に碁盤を囲む生活だったと伝えられています。復帰後も、互いの対局スケジュールを調整するなど、夫婦で協力し合っていたと考えられます。

Q4: お互いの棋風(碁のスタイル)に影響はありましたか?

A4: 雅男九段は「碁の神様」と称される独創的な棋風、寿子八段は堅実で力強い棋風と、スタイルは異なると言われています。しかし、長年を共に過ごす中で、対局後の検討(感想戦)などを通じて、無意識のうちに互いの考え方や大局観に影響を与え合っていた可能性は十分に考えられます。

Q5: 夫の雅男九段による、棋士・寿子八段の評価は?

A5: 雅男九段は生前、寿子八段の碁に対して「粘り強い。諦めないところがいい」と評していたと伝えられています。家庭を守る妻としてだけでなく、同じ勝負の世界に生きる一人の棋士として、その強さを認め、尊敬していたことがうかがえます。

Q6: 夫婦で同じ職業であることのメリットは何?

A6: 勝負の厳しさや喜び、スランプの苦しみなど、棋士ならではの特殊な精神状態を最も深く理解し合える点でしょう。対局に敗れた日も、家に帰れば最高の理解者がいるという環境は、長く現役を続ける上で大きな精神的支えになったと想像されます。

Q7: 杉内夫妻の存在は、後進の棋士たちに与えた影響は?

A7: 棋士としての人生を全うしながら、家庭を築き、夫婦で支え合うという一つの理想的なモデルケースを示しました。特に女性棋士にとっては、結婚や出産を経ても第一線で活躍し続けることができるという大きな希望となり、ロールモデルであり続けたと言えるでしょう。

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まとめ 天国の夫に捧げた、愛と敬意の棋譜

杉内寿子八段が98歳まで現役を続けた原動力の一つは、間違いなく、夫と共に築き上げた歴史を一日でも長く未来へ繋げたいという想いだったのではないでしょうか。

彼女の引退は、夫婦で打ち続けた長大な棋譜(きふ)の、美しく静かな終局を意味します。

その盤上には、勝敗を超えた深い愛と敬意が、永遠に刻まれていることでしょう。

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