北野武監督作品、映画『首』。公開は、2023年11月23日。
世界の北野にとって、6年ぶりの監督作品で前評判も上々でした。
この映画『首』がAmazon Prime他のVODで配信スタート。
公開時に見ることができなかった筆者 taoは、Amazon Primeでレンタル視聴。
いろいろ思うところがあり、ネタバレ記事を書くことにしました。
映画『首』の作品概要と北野武監督プロフィール
まずは、映画『首』の概要から。
映画『首』の概要
【作品概要】
- 監 督:北野武(脚本・原作も)
- 出. 演. 者:
- ビートたけし(主人公)、西島秀俊、加瀬亮、中村獅童、大森南朋、浅野忠信ほか
- 製 作:夏野剛(KADOKAWA CEO)
- 制作会社:KADOKAWA
- 公 開:2023年11月23日、131分
- 映 画. 祭:カンヌ国際映画祭「カンヌ・プレミア部門」に出品
【登場人物と演者】
- 羽柴秀吉 / ビートたけし(主人公)
- 信長の跡目を狙う最右翼
- 羽柴秀長 / 大森南朋
- 秀吉の弟で参謀
- 黒田官兵衛 / 浅野忠信
- 秀吉の参謀・軍師
- 織田信長 / 加瀬亮
- 天下布武一歩手前まで来た最強武将
- 明智光秀 / 西島秀俊
- 信長配下の武将・腹心、信長の狂気に耐え忍ぶ
- 荒木村重 / 遠藤憲一
- 信長配下の武将・腹心だったが謀反・逃亡
- 徳川家康 / 小林薫
- 信長配下の武将・腹心、影武者を立てる名人?
- 千利休 / 岸部一徳
- 茶人
- 曽呂利新左衛門 / 木村祐一
- 元忍びの芸人
- 般若の佐兵衛 / 寺島進
- 忍び
- 難波茂助 / 中村獅童
- 新左衛門に拾われた侍になりたがりな百姓
- 服部半蔵 / 桐谷健太
- 忍び、家康の腹心
【ネタバレなあらすじ】
- 映画は、川辺に横たわる武将の首無し遺体の大写しからはじまる。そして、映画ラストは、秀吉の「首」に対する思いの叫びで終わる。
- 物語は戦国時代。「武力によって天下を獲る天下布武(てんかふぶ)」が完成間近かと思われる織田信長(加瀬亮)。徳川家康(小林薫)、羽柴秀吉(ビートたけし)、明智光秀(西島秀俊)、滝川一益(中村育二)、丹羽長秀(東根作寿英)ら、配下に優秀過ぎる武将を持ち、着々と天下布武を進めてきた。しかし、ここに来て常軌を逸した信長の行いが、優秀過ぎる配下の武将たちとの間に不和を生みはじめた。一方、信長は、「家督は息子に譲ることなく、武勲のある配下の武将に譲る」旨を明言。それにより武将たちをを自分に引きつけ、互いに競わせ、武勲を上げさせようとする。それでも、配下の武将たちへの行き過ぎた嘲弄・暴力は止まない。
- あるとき、家康や秀吉、光秀たちの前で、荒木村重は信長に嘲弄され、この上ない侮辱を受け、反信長に動く。謀反だ。しかし、親戚の城・花隈城にて織田軍を迎えるも落城。村重は姿を消す。荒木一族は女子供含め全員処刑。さらに信長は光秀に村重追討を命じるが…。
- 物語の肝は、信長・光秀・村重の関係性にあり?
- ところで、物語の主人公は、信長の命により毛利討伐するも苦戦続きの羽柴秀吉(ビートたけし)だ。秀吉も、光秀と同じく、信長からの嘲弄・叱責を受け続けた一人。面従腹背の秀吉は、弟の秀長(大森南朋)や配下の参謀・黒田官兵衛(浅田忠信)らの厚い支援もあり、反信長の思いを強くし、信長に変わり天下を狙う行動に出る。
- 秀吉の宿願を実現するため、官兵衛は2つの策を提案。一つは、「信長が息子・秀長に宛てた書状を入手すること」、そしてもう一つは「信長・光秀・村重の関係性を暴くこと」。秀吉は、元甲賀の忍び・曽呂利新左衛門(木村祐一)を配下にして、この2つの実現を命じた。この2つが成就し…。
- 秀吉は、前述の2つの武器を駆使して、光秀をそそのかし、家康からは「ある言質」を引き出す。
- そして、秀吉の思惑通りに、光秀は本能寺の変を起こし、秀吉は光秀を討伐すべく、あの中国返しがはじまる。
- 物語全般に共通するのは武将の首。乱戦の時代において、武将の首は、ことのほか価値がある。しかし、それは生まれながらの武士にとって。百姓あがりの秀吉にとっての首の意味は違った。
- そして、もう一つの共通点は「面従腹背」。強い者に集う面々もそれぞれに思惑があり、「面従腹背」で、それぞれに天下取りの夢を抱いていた。
北野監督のプロフィール
- 誕生日:1947年1月18日(77歳)
- 出生地:東京都足立区
- 本 名:北野 武
- 芸 名:ビートたけし
- 主な監督・脚本作品と公開年月日:
- 『その男、凶暴につき』(1989年8月12日)
- 『あの夏、いちばん静かな海。』(1991年10月19日)
- 『ソナチネ』(1993年6月5日)
- 『キッズ・リターン』(1996年7月27日)
- 『HANA-BI』(1998年1月24日)
- 第54回ヴェネツィア国際映画祭 金獅子賞受賞
- 『菊次郎の夏』(1999年6月5日)
- 『BROTHER』(2001年1月27日)
- 『座頭市』(2003年9月6日)
- 第60回ヴェネツィア国際映画祭 銀獅子賞受賞
- 『TAKESHIS’』(2005年11月5日)
- 『アウトレイジ』(2010年6月12日)
- 『アウトレイジ ビヨンド』(2012年10月6日)
- 『龍三と七人の子分たち』(2015年4月25日)
- 『アウトレイジ 最終章』(2017年10月7日)
- 『首』(2023年11月23日)
- その他の活動:
- お笑いタレント(ビートたけし)としての活動
- 俳優としての出演作多数
- テレビ番組の司会・レギュラー出演 など
本能寺の変、北野武流解釈
本能寺の変(ほんのうじのへん)は、1582年6月21日の早朝、明智光秀が謀反を起こして、本能寺に滞在する主君・信長を襲った事件。
寝込みを襲われた信長は、寺に火を放ち、自害して果てたと言われている。信長の嫡男・信忠も襲われ自害。
信長と信忠の死で織田政権は終わる。いったんは、光秀の天下かと思われるも、信長の命を受けて毛利征伐をしていた秀吉が夜がけで戻り、山崎の戦いで秀吉に敗れる。
敗走時に百姓たちに教われ絶命したと言われている。
ちなみに、光秀が謀反を起こした理由については、定説が存在しないが、一般的に「怨恨説」が流布して説かれている。
信長は天下布武(天下統一)を前にして、部下に対する狂気の度合いが増してきたと言われています。
確かに、信長は優れた歴戦の武将たちを徘徊にして、権勢を広げてきました。しかし、ここに来ての配下の武将たちへの狂気の振る舞いが、彼らの中に邪心を芽生えさせるきっかけになった。
なかでも、光秀に対する信長の横暴はひどく、それが怨恨となり謀反につながったというのが一般説。
しかし、北野武は、ここにもう少しドロドロした人間くさい味付けをしました。
光秀は、信長からの殴る蹴るも耐え忍んだ。それは単に面従腹背、心の奥底に怨嗟を積み重ねた・・・というものではない。
そこには一度決めた主に付き従うという恩義的な一途な面があった。
さらに、それだけでなく、愛の味付けを加えた。
信長・光秀・村重という三角関係。
この状態で、本能寺の変が起きるハズもなかった。
この本能寺の変を起こしたのは、起こさせたのは、秀吉の策略だ・・・それが北野武の味付けです。
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秀吉は、軍師官兵衛が仕掛けた策に基づき、光秀を籠絡。
光秀を本能寺へと向かわせます。
そして、謀反を知った信長は火を放ち、自ら自害・・・という流れになるのですが、入念な捜索をしても信長の首は見つからなかったと言われています。
光秀にとって、信長の首を確保することは、天下へ自分を誇示するために必須だったのです。しかし、首は無い。
火の周りが激しく、遺体は燃えてしまった・・・とも言われていますが、ここでも北野武監督は彼なりの解釈を展開。
鍵は弥助でした。
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信長の命で毛利攻めを行っていた秀吉は、本能寺の変を聞き、中国路を京へ向けて約10日間で大軍を大移動させます。いわゆる、中国大返し。そして、秀吉は謀反人・光秀を討伐するという流れですが・・・
ここでも、北野武流の解釈を展開。
そもそも、光秀に本能寺の変を仕向けさせたのは秀吉ですから、いずれ自分が光秀討伐のために京に早帰りするということは予期していたわけです。
だからこその大軍大移動か可能だったわけです。しかし、その渦中においての秀吉のひ弱さも面白おかしく描いています。
「首」に対する思いの違い!?
下剋上の戦国時代、武将の首には価値があった。
とくに、権勢を誇る武将の首を獲った者は、自らの地位の驀進を約束することになる。
だからこそ、本能寺の変で光秀は信長の首を必死に探したし、百姓の難波茂助(中村獅童)は武将の首を獲れば侍になれると考えた。
それほど、武将の首には価値があった。
それなのに・・・秀吉は違った。
秀吉は、ねっからの百姓。すでに成り上がった武将ではあったが、茂助のように「首」に執着はなかった。
一方、山崎の戦いで敗れ逃走した光秀は、その途中で百姓に襲われ絶命という流れが一般的だが、ここでも北野流。
なんと、光秀自ら、首を茂助に差し出す。
首を手にした茂助は喜ぶも、すぐさま百姓たちに刺されまくり、切られまくり絶命。
これって、「首」のもつ意味の儚さを象徴しているとはいえないだろうか。
物語は、首実検の最中、秀吉の叫びで終わる。
「いいか、俺はなあ、明智が死んだことさえ分かれば、首なんってどうだっていいんだ」と並べられた首を蹴落とす。
一番、現実的で実利的な百姓あがりの秀吉が天下を獲ることになったのは、必然だったのかもしれない。
以上、「ネタバレありの北野流解釈」、説明のおわり・・・の前に。
なるほどという記事が見つかったので、ちょっと長いけど、引用紹介しますね。
信長、光秀、家康、秀吉と、日本人なら誰もが知る人物の関係性は非常にわかりやすく面白い、と語る北野監督は「本能寺の変」について「苛めに耐えきれなくなった光秀が信長を殺したという内容のものが多いけど、そうじゃないんじゃないかと思っていて。信長は狂気で家臣や他の武将を押さえつけていただけだから、宙に浮いていたし、誰もが殺すチャンスを窺っていたんじゃないか?」と持論を展開。映画『首』では「そこの、あまり描かれていないところをやらなきゃいけないっていう想いは最初からあった」とコメントしている。
引用元:シネマつぅデイ記事
プロデューサーの福島聡司は、撮影前から北野監督から考えを聞いていたと言い、「『これまでテレビや映画の王道の時代劇が描いてきたものとは違って、実際は人間関係がもっとドロドロしていたんじゃないのか? 自分の視点で裏から見た戦国時代を描きたいんだ』ということはずっと言われていました。誰が死んで、誰が生き残るのか? 台本の稿を重ね、決定稿になるまでそれが何度も入れ替わったのが印象的でした」と振り返る。
本作にはヒロイックな人物も登場しなければ美談も描かれず、信長の首を巡る戦いの中で、ひたすら己の野望を果たそうとする者たちの策略、裏切りが描かれていく。北野監督は“首”をキーワードに据えた物語について「武士に生まれたのか、百姓として生まれたのか。その人物の生まれや意識によって死との向き合い方は全然違う。“首”がなければ死んだことにならないとする信長や光秀の世界と、“首”なんかどうでもいいと思っている百姓上がりの秀吉の世界。そういった違った視点や意識、物の考え方が見えてくると面白いかなと思っていたね」と語っている。
映画『首』の作品評価は…
映画.comなどから、いくつか作品評価をピックアップしますね。
北野武監督が織りなす異色の戦国時代劇は、彼にしか成し得ない奇抜さと過激さに包まれた劇薬だった。首、それは斬ってもそのままでもシュールの極み。戦国版『アウトレイジ』とも呼ぶべきこの危なっかしい智略と暴力のバトルロワイヤルにおいて、信長役の加瀬亮が頭のネジがぶっ飛んだ切れ味の鋭さで非道の限り(饅頭シーンは夢に出そう)を尽くしたかと思えば、秀吉役ビートたけしは信長の前では決して出しゃばらず、己の館に帰ると息のあった部下達とコントのように計略を練っては、笑いと冷酷さのはざまを器用に行き来する。彼ら猛獣達に振り回されっぱなしの西島秀俊が彼にしか務まらない実直な役どころを巧みにこなす一方、木村祐一がしゃべりの得意な”芸人”として飄々とした存在感を発揮するのが面白い。監督自身の職能とも相通じる特殊な役をあえて戦国鍋へ投じて化学反応の行方をじっくり見つめるところに、奇才ならではのユニークさ、斬新さがある。
引用元:映画.com
北野武が構想に30年を費やしたという戦国時代劇は、ジャンル映画のルーティンをことごとく駆逐して痛快極まりない。
引用元:映画.com
ネタになる”本能寺の変”をいったいこれまで何回見てきたことだろう。かつて、そこには武士のこだわりと執念と、運命がもたらす悲劇が描き込まれていたはずだが、武版”本能寺の変”では武将たちが男色で繋がり合い、首を取った取らないで一喜一憂している姿が皮肉を込めて描かれる。権力者の野望なんて、所詮そんなものだと言わんばかりに。
明らかに、NHKの大河ドラマで描かれてきた戦国ものに対する反論を感じる。その向こう側には黒澤明が晩年に監督した戦国絵巻があるかも知れない。監督が敬愛する大島渚の『戦場のメリークリスマス』や、特に『御法度』の影響も感じなくはない。
でも、北野監督がベースにして来たお笑いのセンスが本作をユニークなものにしている。嬉々として武将たちを演じる俳優陣の乗りは、見ていて羨ましくなるほど。これは役者冥利に尽きる戦国顔見世興行なのだ。
「首なんかどうだっていい」
引用元:映画.com
相手の死さえ分かればその一言に尽きる。
裏切り、憎しみ、騙し合い、欲望。
ブラックジョークをところどころ入れながら、人間の汚い所を詰め合わせた作品。
いつの世も戦争に正義なんて無い。
Netflixで解禁され、初視聴
引用元:Filmarks映画
大筋は史実をなぞりつつ、所々で独自の解釈をそれぞれのキャラの特性を損ねないように編成されているように見え、これはこれで面白いと感じた
配役の豪華さと、タイトルが「首」なだけあり首切りや戦闘シーンのリアルさが見どころ
噺家や、能といった、芸事を作中に取り入れ、要所で出てくる羽柴兄弟のコミカルなやり取りが緊張と緩和の緩急でジワるし、芸人ビートたけしと映画家北野武の存在が混在・共存した作風が印象的だった
あと、ずっと噂されている当時の男色周りを見てられないほど気持ち悪く再現してるのは、大河ではなし得ないこの映画のキモだと思う
北野映画がサブスクで配信は珍しい気がする
他作品も未視聴のものがあるので、是非配信してほしい
これまで避けてきたが、能は「敦盛」かな?世阿弥とかから能の勉強をちゃんと始めようかな…
いやその前にやはり黒澤明か…
んー、迷うから一旦アニメに逃げよう……
やっと観れた、ネフリで。
引用元:Filmarks映画
キタノ映画の中でもかなり今作は予算かけてた。
ナイスなキャスティングもあれば、
ん?もあるけど、そこは毎度キタノ映画。
諸説ある本能寺の変の中でも、
なかなかニッチな説を映画化にした感じ。
さすがです、タケシさん。
セリフをもう少し聞きやすくなるといいなーって毎回思う、キタノ映画でした。
とりあえず、
西島秀俊の胸筋はエグい。
□ □ □
筆者 taoの感想
良くも悪くも「北野武監督」の映画。
好き嫌い、評価は分かれるかもしれない作品。
私は、1回目はなんだかよく分からなくて、結局2回見た。
で、2回見る価値があったかどうかは・・・分からない。
そんな感じの作品だけど、つまらなくはなかった。それが正直なところ。
北野武流の本能寺の変の背景解釈は、それなりに楽しめた。
役者としてのビートたけしは相変わらずの滑舌が「う〜ん」だが、それが味。
加瀬亮の信長の切れっぷりは、『SPEC』の切れっぷりがオーバーラップした。
まとめ
Amazon Primeで北野武監督映画『首』がレンタルで配信スタートしたのを機に、レンタルして視聴。
あとで分かったことだが、Netflixでも配信スタート。
Netflixも契約していたので残念だが後の祭り(笑)。
結論から言うと、それなりに楽しめた作品。
だからこそ、こうして記事で紹介したいと考えた次第。
2回見て考えた。
なるほど、「本能寺の変」もああやって解釈すると、ものすごく人間くさい出来事になるんだなと感心。
脇を固める俳優陣も良かった。
西島秀俊、大森南朋、浅野忠信、木村祐一 etc。
Amazon Primeのレンタル期間は、まもなく終わるが、Netflixがあるので、あと1回くらいは見てみようと思う。
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