玉鷲41歳で手芸好き!?連続出場回数更新中の鉄人の素顔とは【成績など総まとめ】

  • URLをコピーしました!
 *本記事を含め、当サイトでは広告を掲載しています。

大相撲界の「鉄人」として知られる東前頭4枚目の玉鷲が、2025年11月16日に41歳の誕生日を迎えました。41歳での現役幕内力士は昭和以降3人目であり、年6場所制以降では初めてという、まさに規格外の存在です。

その誕生日当日には、全勝の横綱・大の里関(25歳)を土俵際まで追い詰める大熱戦を演じ、日本中に感動を巻き起こしました。解説を務めた元関脇若の里の西岩親方が「鉄人と言われますが、鉄より上じゃないですか」と評したように、その奮闘ぶりは驚きをもって迎えられています。

玉鷲の魅力は、その鋼のような肉体と強靭な突き押し相撲だけではありません。土俵を離れれば、手芸や料理を趣味とする繊細で家庭的な一面を持っています。さらに、連続出場回数新記録を更新中であることや、史上最年長での三賞受賞や金星獲得など、今なお多くの「最年長記録」を更新し続ける、まさに”生ける伝説”です。

なぜ41歳という年齢で、角界のトップレベルで戦い続けられるのか?その驚異的な強さの秘密、意外な素顔、そして家族への深い愛情に迫ります。

この記事でわかること

  • 41歳という異例のキャリアを歩む玉鷲が、どのようにしてその地位にたどり着いたのか
  • 玉鷲が持つ「金星」「連続出場回数」「最年長三賞」など、次々と更新する偉大な記録の全貌
  • 手芸好きで家庭人という、硬派なイメージとのギャップが魅力的な玉鷲の「素顔」と「生き様」
<スポンサーリンク>
目次

より理解するために、動画解説♪

本記事を補足するという観点で、動画解説をつくりました。これは、Notebook LMというAIで作りました。ちなみに、Notebook LMは、動画を作る際、最新の動画生成AI「nano banana」を使っています!

7分半ほどの動画です。これを見ていただいてから本記事を読むと、玉鷲のすごさの理解度が高まると思います。

ただし、AIが描いた絵にはどうかな?ということがあったり、いくつか誤読もあります。それらは多めに見ていただいて、ご了承ください。

【動画解説】

<スポンサーリンク>

玉鷲とは?突き押し一筋の41歳現役力士

41歳誕生日の玉鷲の善戦の模様です。41歳誕生日の金星は逃しましたが、素晴らしい取組でした。

さて、本文。玉鷲は、1984年11月16日生まれのモンゴル出身力士です。2025年11月16日に41歳の誕生日を迎えました。

玉鷲のプロフィール:出身・帰化・相撲スタイル

玉鷲の基本情報は以下の通りです。

  • 本  名(モンゴル名): バトジャルガル・ムンフオリギル
  • 出  身:モンゴル・ウランバートル
  • 所属部屋:片男波部屋
  • 最 高 位:東関脇
  • 初 土 俵:2004年1月場所
  • 得 意 技:押し(突き押し相撲)

玉鷲の角界入りの経緯はユニークで印象的です。

モンゴルでは、本格的な競技としてのサッカーやバスケットボールをかじっていた程度で、モンゴル相撲の経験もほとんどありませんでした。来日前のモンゴルでは、食料技術大学で料理や経営などを学び、ホテルマンを目指していました。

彼が日本に来るきっかけとなったのは、1歳上の姉、ムンフズルさんの存在です。

姉は東大大学院に留学しており、2003年秋に姉を頼って来日しました。姉と両国を訪れた際、偶然自転車に乗った力士を見つけ、後を追った先に井筒部屋がありました。そこで同郷の鶴竜関(当時三段目)と出会い、旭鷲山関の連絡先を教えてもらい、片男波部屋への入門が実現しました。

相撲に集中するため、玉鷲は入門後の最初の3年間は、他の部屋の力士と一言も会話せずに稽古に没頭しました。このストイックな姿勢が、現在の「鉄人」玉鷲の礎となっています。

彼の相撲スタイルは、モンゴル出身力士としては珍しい「突き押し一筋」です。

立ち合いは頭から当たり、強烈な突きやのど輪で相手を一気に押し出すのが真骨頂。過去6場所の決まり手の傾向を見ると、「押し出し」が52%、「押し倒し」が13%と、押し相撲が圧倒的な割合を占めています。まわしを取る四つ相撲よりも体への負担が少ないことが、長寿力士としての秘訣の一つとも言われています。

玉鷲は、引退後に年寄名跡を襲名し相撲協会に残るために、2024年3月に日本国籍を取得しました。これは「日本の伝統文化なのだから当然のこと」という信念に基づき、2年半かけて地道に進められました。ただし、年寄株が不足している現在、玉鷲がどの年寄株取得を実現できるのかについては、分かっていません。

41歳現役という異例のキャリアに注目

玉鷲の最大の注目点は、その年齢にあります。彼は2004年1月場所で初土俵を踏んでから約20年間、休まず土俵に立ち続けてきました。

  • 年長記録のハイライト
    • 玉鷲は、2025年11月場所(九州場所)で41歳の誕生日を迎え、昭和以降3人目の41歳の幕内力士となりました。年6場所制以降で41歳の幕内力士は初めてという異例のキャリアです。 さらに、以下の記録を保持しています。
  • 最年長幕内記録:41歳0か月(2025年11月場所)
  • 最年長関取記録:41歳0か月(2025年11月場所)

現役41歳で東前頭4枚目という地位にいること、そして横綱戦が組まれる番付にいること自体が「規格外」と評されています。

40歳以上まで現役を続けた主な力士(年6場所制以降、引退力士)

玉鷲のように40歳を超えて現役を続けた力士は、年6場所制以降では非常に限られています。

特に幕内力士に限ると、下記に示す、旭天鵬(現・大島親方で大島部屋師匠)、安美錦(現・安治川親方で安治川部屋師匠)、大潮(九代目・式守秀五郎親方として、式秀部屋を創設し師匠となる。故人。)の3人しかいません。こ3人は、全員満40歳で引退。

玉鷲は、彼ら鉄人をさらに凌ぐ最強の鉄人となりました。しかも、玉鷲は41歳の現在も、横綱と対戦するほとに幕内上位で活躍しているのです!

  • 華吹大作
    • 最高位:東三段目18
    • 引 退:51歳7か月(2022年1月場所)
  • 一ノ矢
    • 最高位:東三段目6
    • 引 退:46歳11か月(2007年11月場所)
  • 北斗龍
    • 最高位:東三段目53
    • 引 退:46歳0か月(2017年3月場所)
  • 越ノ龍
    • 最高位:西幕下34
    • 引 退:45歳4か月(2024年9月場所)
  • 栃天晃
    • 最高位:東十両4
    • 引 退:44歳3か月(2011年5月場所)
  • 伊勢ノ花
    • 最高位:東幕下23
    • 引 退:44歳0か月(2019年1月場所)
  • 旭天鵬
    • 最高位:西関脇
    • 引 退:40歳10か月(2015年7月場所)
  • 安美錦
    • 最高位:東関脇
    • 引 退:40歳9か月(2019年7月場所)
  • 大 潮
    • 最高位:東小結
    • 引 退:40歳0か月(1988年1月場所)

玉鷲はこれらの力士の中でも、関脇・小結の三役を何度も務め、幕内で活躍し続けている点が際立っています。

<スポンサーリンク>

成績まとめ:玉鷲の通算記録と偉業一覧

玉鷲は、長い現役生活を通じて、多くの最年長記録や連続記録を打ち立てています。

金星獲得数・幕内優勝歴・最年長三賞など

  • 幕内最高優勝:2回
    • 1回目:2019年1月場所(34歳2か月、西関脇)
    • 2回目:2022年9月場所(37歳10ヶ月、東前頭3枚目)。この優勝は、年6場所制以降の最年長優勝記録を更新しました。
    • 優勝回数2回は、関脇以下の地位での優勝回数として歴代2位です。
  • 金星獲得:8個
    • 玉鷲は、2025年7月場所10日目、大の里泰輝関との取組で金星を獲得(対戦成績:1勝5敗)。この時の年齢は40歳8か月で、史上最年長金星獲得記録となりました。
    • 特に横綱・照ノ富士関からは、2022年1月場所から5月場所にかけて3場所連続で金星を獲得しており、これは同一横綱からの連続金星獲得として57年ぶり、昭和以降5人目の快挙です。
    • また、2019年5月場所中日に鶴竜関を破って獲得した金星は、令和初の金星でした。
  • 三賞獲得:5回
    • 殊勲賞:3回(2019年1月場所、2022年9月場所、2025年7月場所)
    • 敢闘賞:1回(2019年1月場所)
    • 技能賞:1回(2016年11月場所)
    • 2025年7月場所で殊勲賞を受賞した際の年齢は40歳8か月で、これも史上最年長三賞受賞記録です。
  • その他の成績
    • 40歳以降の最高位は、2025年9月場所の東前頭1枚目です。
    • 2025年11月場所9日目時点の幕内戦歴は699勝。あと2勝で、元横綱・貴乃花の幕内701勝(歴代10位)に並びます。

歴代記録に迫る連続出場回数のすごさ

玉鷲の相撲人生を語る上で欠かせないのが「休まない」という鉄人ぶりです。

大相撲にありがちなのが怪我による休場です。玉鷲も怪我をしないわけがありません。それでも、上手く調整し、初土俵から1番も休むことなく連続出場を継続しています。

  • 通算連続出場回数(歴代1位)
    • 玉鷲は、2004年初場所の初土俵以来、休場がない状態を続けており(コロナ禍での特例休場を除く)、2025年11月場所9日目時点の通算連続出場回数、および初土俵からの通算連続出場回数は1733回で、いずれも歴代1位を継続中です。 2024年9月場所3日目の取組で通算1631回に記録を伸ばし、元関脇・青葉城関の記録(1630回)を38年ぶりに抜き、歴代単独1位となりました。
  • 幕内出場回数
    • 2025年11月16日の九州場所8日目に、幕内出場回数は1445回となり、元大関・魁皇(浅香山親方)を抜いて歴代単独2位に浮上しました。 歴代1位は元関脇・旭天鵬(大島親方)の1470回です。玉鷲は、このペースでいけば、来年(2026年)の春場所中には歴代1位の記録を更新する可能性があります。
  • 不戦勝回数
    • 幕内通算の不戦勝回数は15回で、これも歴代1位の記録です。
  • ケガとの向き合い方
    • 玉鷲は、ケガを全くしていないわけではないと認めつつ、集中力が高まっているときにケガをしにくいという経験則を活かしています。また、幕下時代に首を痛めた際には、壁に頭を押し付けて首を筋肉で固めるという荒療治を行い、「あの時に首を治せたから今がある」と語っています。怪我をしても我慢することを心掛けているのは、師匠の兄弟子である横綱・玉の海関が盲腸の痛みを散らして土俵を務めたという話を聞いていた影響もあります。
<スポンサーリンク>

誕生日ニュース:41歳を迎えた鉄人の今

2025年11月16日、41歳の誕生日を迎えた玉鷲は、大相撲九州場所8日目に、注目の取組に臨みました。

大の里との取組で話題に

この日の相手は、25歳の横綱・大の里でした。41歳の玉鷲と25歳の大の里という、年齢差16歳の取組は史上最年長の横綱戦として組まれました。

立ち合いから玉鷲は、右から強烈なのど輪、左からおっつけで攻め込み、横綱の顔を天井に向けさせるほど強烈なのけぞりを見せ、土俵際まで追い詰めました。

あと一歩というところでしたが、大の里が土俵の俵ぞいを回り込みながら放ったはたき込みに屈し、惜敗。玉鷲は自身の持つ最年長金星(40歳8カ月)の更新を逃しました。

取組後、玉鷲は支度部屋で「いや~、あと何センチですか? 本当に面白いですね。数センチの差ですね」と悔しさをにじませました。また、「40歳の終わりで横綱、(41歳の)始まりも横綱。いい記念になりそうですね」と前向きな姿勢も見せました。

観客を沸かせた自負から、「仕事としてはちゃんとできたな。自分としては残念」とも語っています。

土俵下の九重審判長(元大関・千代大海)は、玉鷲の相撲を「差は半歩もなかった。(大の里への)打開策を見せてくれた」と絶賛しました。

SNSやニュースの反応まとめ

玉鷲の41歳での奮闘は、角界の常識を覆すものとして大きな反響を呼びました。

  • 親方衆の反応
    • 39歳まで現役だった元関脇・若の里の西岩親方はNHKの大相撲解説のなかで、「鉄人と言われますが、鉄より上じゃないですか」と最大限の賛辞を贈りました。
    • 幕内出場回数で抜かれた元大関・魁皇の浅香山親方も、「横綱、大関に力負けしてない。すごい記録を作ってくれそう」と期待を寄せています。
    • 元関脇・旭天鵬の大島親方は、「単純にすごい。まだまだやれる」と記録更新に太鼓判を押しました。
    • 元大関・琴風は、玉鷲の活躍を「神の領域」と表現しています。
  • 玉鷲の「40代をなめんな」
    • 玉鷲は、支度部屋で「(相撲は)年じゃない、心。40代をなめんな」と柔らかな口調で力強く語りました。 彼は関取最年長ながら気持ちが若く、土俵に上がると熱くなってしまう性格ですが、最近は「燃えると負けるから」と、適度な制御をテーマにしています。
  • 稽古場での規格外のパワー
    • 九州場所の稽古場(福岡・朝倉市内の廃校となった高校の教室)では、41歳の誕生日の朝稽古で、大の里関対策の立ち合い確認をした際に、弟弟子である十両・玉正鳳関を吹っ飛ばし、窓ガラスが割れたほどのパワーと気迫を見せています。

玉鷲の活躍があることで、本来なら大ベテランとされる35歳の高安関ですら「まだまだ“若手”」と指摘されてしまうほど、角界の価値観を覆す存在となっています。

<スポンサーリンク>

玉鷲の“素顔”:手芸と家族と第二の顔

強靭な肉体と突き押し相撲のイメージを持つ玉鷲ですが、土俵を離れた素顔は、意外なほど繊細で温かい家庭人です。

趣味は手芸!知られざる癒しの時間

玉鷲は、スポーツ観戦や大相撲に加えて、手芸・ハンドメイドを趣味としています。お菓子や料理を作ることも好きで、プロ級の腕前から「女子力は横綱級!」と称されることもあります。

  • 手芸への情熱 玉鷲は手先が非常に器用です。 制作した作品の例:
  • デザイン画からミシンを使って一人で作ったベットカバー
  • クッションカバーの花の刺繍
  • ハートのモチーフを多用した絵画。

彼の作品は、編み物作家の横山起也氏からも「すごくいい。素敵です」と高く評価されています。玉鷲の作品の魅力は、技術的な完成度だけでなく、純粋に「作る喜び」が込められている点にあります。

  • 趣味がメンタルを支える
    • 手芸に興味を持ったのは、幼少期に裁縫が得意だった母親の影響が大きく、モンゴルで物を大切にする文化の中で「ものづくり」に触れて育ちました。 力士になってから手芸を再開したのは、地方場所や巡業での一人時間を活用するためでした。玉鷲は酒をほとんど飲まない「下戸」であるため、相撲漬けのストイックな日々の中で、手芸に没頭することが、集中力を保ちつつ心をリラックスさせる最高のコンディショニングツールとなっているのです。 また、取材対応後には擦り傷にばんそうこうを丁寧に貼るなど、繊細で細やかな一面も持ち合わせています。

家族構成と帰化に込めた想い

玉鷲は、家族の存在を力の源としています。

  • 愛する家族
    • 玉鷲は2012年に結婚しました。妻はエルデネビレグさんで、玉鷲より1歳年下のモンゴル出身の元モデルです。彼女は、同部屋の十両・玉正鳳関の実姉にあたります。

2人の息子がいます。

  • 長男:テルムン君(2016年4月生まれ)
  • 次男:エレムン君(2019年1月27日生まれ)

特に次男のエレムン君は、玉鷲が幕内初優勝を決めた千秋楽の朝に誕生しました。次男の名前「エレムン」は、モンゴル語で「力と心の強さ」を意味します。このドラマチックな出来事は、玉鷲にとって人生のハイライトと言えます。

  • 家族思いのイクメン
    • 玉鷲は、息子たちをお風呂に入れたり、歯磨きをさせたり、洗濯物を干したりと、家庭での育児(イクメン)を積極的にこなしており、その姿がファンにも親しまれています。 また、玉鷲は、次男が生まれた後、「あの子が相撲をわかるくらいまではやりたいな」と語り、次男(エレムン君)が小学生になるまで、「あと2年は土俵に立つ」という明確な目標を公言しています。
  • 帰化への強い信念
    • 玉鷲は、引退後のセカンドキャリアを見据えて、2024年3月に日本国籍を取得しました。これは、年寄名跡の襲名(親方になること)が外国人力士の場合、日本国籍の取得が必須であるためです。彼は、年寄株の取得が困難な状況にある中、「日本の伝統文化なのだから当然のこと」として、地道に帰化を進めてきました。
<スポンサーリンク>

なぜ41歳でも戦えるのか?支える心と身体

怪我を避ける体づくりとメンタルの強さ

41歳でなお幕内の上位で戦い続ける玉鷲の強さは、単なるフィジカルではなく、経験、精神力、技術、自己管理の総合力にあります。

  • 稽古への創意工夫
    • 玉鷲が所属する片男波部屋は力士が4人の小規模な部屋です。稽古環境が整いにくい中でも、玉鷲は創意工夫を凝らした稽古を続けています。
  • 「1対2(または1対3)」の地獄稽古
    • 自身以外に数少ない弟弟子(玉正鳳関など)を2人ないし3人同時に相手に立たせ、押し合う稽古を取り入れています。これは師匠である14代片男波親方の発案で、本場所でのとっさの動きに役立っているといいます。
  • 内容を重視
    • 稽古は「番数じゃなくて、内容を重視」しており、これが連続出場につながったと語っています。また、2018年頃からはトラック用のタイヤを押す稽古も取り入れていました。
  • 独自の相撲哲学
    • 玉鷲は、若手力士がよく口にする「一日一番」という言葉について、「あまり好きじゃない」という独自の哲学を持っています。 彼は、若い力士ほど力士としての寿命が長いのだから、遠い未来(半年、1年)を考えて「次につながる相撲」を取るべきだと主張しています。もし最初から「一日一番」と考えたら、変化や引き技で今日だけ勝てばいいと思ってしまうため、長期間続けるためには不向きだという考えです。 彼自身は現在、場所中の15日間を3つに分け、「5番のうち3番勝てばいい」という考えで場所を乗り切っています。
  • メンタルの成熟と自己管理
    • 玉鷲は30代になってからが一番強いと感じており、その理由は若い頃に欠けていた「落ち着きと集中力」が備わったからだと分析しています。また、気持ちの変化として「勝たなくちゃ」というプレッシャーから、「自分の相撲をやり切る、相撲を楽しむ」ことに優先順位が変わったことが大きいと語っています。 メンタル維持のため、趣味でリラックスする他、酒をほとんど飲まない「下戸」であることも、大記録の継続に繋がったと見られています。また、「弱いと思ったらそれを認めて、強くなるためにどうしたらいいのかを具体的に考える」という素直な姿勢も、進化し続ける秘訣です。

同年代への励ましになる存在として

玉鷲は、年齢を重ねてもなお、衰えを知らない力強さで同年代やファンに希望を与えています。

  • 「40代をなめんな」の心意気
    • 「年齢じゃなくて、心だから。40代をなめんな」という玉鷲の言葉は、常識を覆す彼の生き様を象徴しています。その活躍により、本来大ベテランの年齢である35歳の高安関が「まだまだ“若手”」と指摘されるほど、角界の年齢に関する価値観を変えてしまいました。
  • 地域貢献への意識
    • 玉鷲は、2019年7月23日から愛知県知多市のふるさと観光大使を務めています。片男波部屋が名古屋場所の際に知多市に宿舎を構えている縁もあり、保育園や小学校、老人福祉施設を訪問するなど、市民との交流を深めてきました。 玉鷲は「少しでも知多市が盛り上がれば」と語り、地域への貢献意識もまた、彼の活躍を支える力となっています。

大相撲界の鉄人・玉鷲に関するFAQ

  1. Q: 玉鷲のモンゴルでの家族の学歴は高いですか?
    • A: 玉鷲の家族は高学歴です。彼の姉であるムンフズルさんは、日本で日本語を学んだ後、2001年に東京大学に入学し、2007年に同大学院を修了しています。また、玉鷲の両親は元教師でした。
  2. Q: 玉鷲の義理の弟は現役力士ですか?
    • A: はい、玉鷲の妻の弟は現役の十両力士、玉正鳳関です。玉正鳳関は玉鷲を「オニイサン」と呼び、一緒に幕内土俵入りすることが夢だと語っています。
  3. Q: 玉鷲は相撲協会に親方として残る見込みは高いですか?
    • A: 日本国籍を取得していますが、親方になるために必要な年寄名跡(年寄株)の手配ができていないため、相撲協会に残れる可能性は現時点では高くないという複雑な事情があります。
  4. Q: 玉鷲が相撲界に入門したのは何歳でしたか?
    • A: 2004年1月場所で初土俵を踏んだ時、玉鷲は19歳でした。モンゴルでは特にスポーツ経験はなかったにもかかわらず入門しました。
  5. Q: 玉鷲の相撲人生で最も強くなったと感じる年齢はいつですか?
    • A: 玉鷲自身は「30代になってからが一番強い」と分析しており、精神的な落ち着きと集中力が身につき、自分の相撲を楽しむことに注力できるようになったためだと語っています。
  6. Q: 2025年11月場所で玉鷲の番付は?
    • A: 2025年11月場所の番付は東前頭4枚目です。
  7. Q: 玉鷲は相撲に集中するためにどのような自己規制を課していましたか?
    • A: 入門後最初の3年間は、相撲に集中するため、他の部屋の力士と一言も会話せずに稽古に打ち込んでいた時期がありました。また、普段から酒をほとんど飲まない「下戸」です。
  8. Q: 2022年9月場所で玉鷲が優勝した際、特に話題となった記録は何ですか?
    • A: この場所で玉鷲は、平幕力士として横綱・大関の全員(1横綱3大関)に勝利しました(不戦勝除く)。これは1985年以来、37年ぶりの快挙でした。
  9. Q: 玉鷲は相撲協会公式の健康診断で高い握力記録を出したことがありますか?
    • A: 2017年2月1日の健康診断で、32歳にして握力92kgを記録しています。これは突き押しに必要な指先に力を込める相撲スタイルに活かされています。
  10. Q: 玉鷲は愛知県知多市のどのような活動に関わっていますか?
    • A: 2019年7月23日から知多市のふるさと観光大使として活動しており、名古屋場所の宿舎を知多市長浦に構え、地元(保育園、小学校、老人福祉施設など)との交流を深めています。
  11. Q: 玉鷲の稽古方法でユニークなものはありますか?
    • A: 部屋の力士が少ないため、弟弟子を2人ないし3人同時に相手に立たせる「1対2(または1対3)」の稽古を取り入れています。また、トラック用のタイヤを押すトレーニングも行っていたことがあります。

まとめ

大相撲界の「鉄人」、玉鷲一朗関の41歳という年齢での活躍は、もはや常識を超えた「超人」の領域に達しています。

玉鷲は、2004年の初土俵から休場なく土俵に上がり続け、2024年9月には歴代1位の通算連続出場回数1631回を達成しました。さらに、41歳の誕生日を迎えた2025年11月場所では、最年長幕内・関取記録を更新し、横綱・大の里を土俵際まで追い詰める大熱戦を繰り広げ、「40代をなめんな」と意地を見せました。その衰え知らずの力強さは、稽古場で弟弟子を吹っ飛ばし窓ガラスを割るほどの気迫に裏付けられています。

戦績面では、37歳10ヶ月での幕内最高優勝(年6場所制以降最年長記録)、40歳8ヶ月での最年長三賞受賞・金星獲得など、「最年長記録」のタイトルを独占しています。得意の突き押し相撲は、怪我のリスクを減らし、稽古に工夫を凝らすことで、長きにわたるキャリアを支える柱となっています。

また、土俵を離れた玉鷲は、手芸や料理を趣味とする繊細な一面を持つ家庭人です。特に2019年1月の初優勝の朝に次男エレムン君(モンゴル語で「力と心の強さ」を意味する)が誕生したというエピソードは、玉鷲の人間味あふれる魅力の象徴です。彼は家族の存在を力の源とし、次男が小学生になるまで土俵に立つという目標を掲げ、大相撲界の伝統を尊重し日本国籍も取得しています。

謙虚さ、ストイックな自己管理、そして「相撲を楽しむ」という成熟したメンタルが、玉鷲の驚異的な「鉄人」ぶりを支えています。彼は、年齢を言い訳にせず挑戦し続けることで、多くの同世代の人々、そしてファンに大きな励ましを与え続けています。相撲界のレジェンドとして、玉鷲がこれからもどのような新記録を打ち立て、私たちにどんな感動を与えてくれるのか、その「老いてなお盛ん」な活躍から目が離せません。

この記事のポイント

  • 玉鷲一朗関は2025年11月16日に41歳の誕生日を迎え、最年長幕内・関取記録を保持しています。
  • 通算連続出場回数歴代単独1位(1733回、初土俵から継続中)を更新中です。
  • 年長優勝記録(37歳10ヶ月)、最年長三賞(40歳8ヶ月)、最年長金星(40歳8ヶ月)も保持しています。
  • 相撲スタイルは突き押し一筋で、その原動力は「40代をなめんな」という心意気と、家族を守りたいという強い思いです。
  • 土俵外では、手芸や料理を趣味とする「女子力横綱級」のギャップを持つ家庭人です。
<スポンサーリンク>
よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!

コメント

コメントする

CAPTCHA


目次