「艇界のグレートマザー」として長年ファンに愛されてきた日高逸子(ひだか いつこ)選手が、39年間の現役生活にピリオドを打ちました。2025年8月22日、63歳での突然の引退発表は、ボートレース界に大きな衝撃と深い悲しみをもたらしました [1]。多くのファンが衝撃を受けた引退の背景には、「満身創痍」という壮絶な真実がありました。
なぜ彼女は引退を決断したのか、その言葉の裏にはどのような葛藤があったのでしょうか。女子ボートレース界のレジェンドが水面を去ることを選んだ、その涙の決断の真実に迫ります。
この記事では、日高逸子選手の引退理由について、公表された情報や本人の言葉、そして仲間たちの証言を元に深く掘り下げていきます。
- 「満身創痍」の具体的な状態
- 引退を決断した本当の心境
- 本人が語った引退理由の詳細
日高逸子さんについては、こちらの記事もどうぞ。


日高逸子、涙の引退表明。ファンに衝撃が走る
2025年8月22日、日高逸子選手は自身の公式ブログを通じて、現役引退を表明しました [3]。それは、ファンへの直接的で、誠実なメッセージでした。
この数ヶ月、悩みに悩み、考えに考えた結果ようやく答えが出ました。その結果、やっぱり今が引き際と結論。ファンの皆様、長い間こんな私をたくさん応援して戴き誠にありがとうございました。
引用元:日高逸子選手のブログ
この言葉は、決断が衝動的なものではなく、長い時間をかけた苦悩の末に下されたものであることを物語っていました。この突然の知らせに、ボートレース界は騒然となりました。特に、彼女を母のように慕い、その背中を追いかけてきた後輩レーサーたちの衝撃は計り知れないものでした。
福岡支部の後輩である高田綾選手、冨名腰桃奈選手、松尾怜実選手らは、皆一様に「突然のことで本当にびっくり」と声を揃えました [4]。その言葉には、ただの先輩レーサーの引退を惜しむ以上の、深い喪失感が滲んでいました。
彼女がなぜ「グレートマザー」と呼ばれるのか。その理由は、後輩たちの言葉から鮮明に浮かび上がります。
松尾怜実選手は、初めて宿舎で同室になった先輩が日高選手だったと振り返ります。「緊張していた自分にも気さくに話してくださり、本当に優しくしてもらいました」[4]。トップレーサーでありながら、新人にも分け隔てなく接するその優しさは、多くの若手選手の心の支えとなっていました。高田綾選手や奥村明日香選手も「何度か食事に連れていってくださった。本当に優しい方でした」と、レース場外での面倒見の良さを語っています [4]。
その影響力は支部を超え、全国の女子レーサーに及んでいました。兵庫支部の中谷朋子選手は、「けがにも負けず踏ん張っている姿を見て自分も何度も励まされました」と語り、日高選手の不屈の精神が、自身のレーサー人生の道標であったことを明かしました [4]。また、愛知支部の細川裕子選手は、そのプロフェッショナルな姿勢に最大級の賛辞を贈ります。「あんなにボートレースに一生懸命に取り組んで、ピットで走り回っていた選手を他に知りません。見ていた私たちは見習うことばかりでした」 [4]。
さらに若い世代である福井支部の西橋奈未選手は、「自分のお母さんとそんなに年も変わらないのに同じ舞台で走っているなんてかっこいいし、尊敬しかないです」と、年齢の壁を超えてトップレベルで戦い続ける姿に、畏敬の念を抱いていました [4]。
これらの証言は、単なる賞賛の言葉ではありません。日高逸子という存在が、単なる偉大な記録を持つ選手ではなく、女子ボートレース界全体を支える精神的な支柱であったことを示しています。彼女の引退は、ひとつの時代の終わりであると同時に、多くの選手にとって心の拠り所を失うことを意味しました。大瀧明日香選手が「寂しいですね。まだ復帰すると信じていたんですけど…」と漏らした言葉は、多くの関係者の本音だったでしょう [4]。彼女の引退によって生まれた空白の大きさが、逆に彼女の「グレートマザー」としてのレガシーを何よりも雄弁に物語っているのです。
日高逸子選手の簡単プロフィール
(現役時代データなど)
- 誕生日:1961年10月7日(63歳)
- 出 身:宮崎県串間市
- 身長等:155cm、49kg、血液型 A型
- 所 属:福岡支部(登録番号 3188)
- 登録期:56期
- 級 別:B2級
- 特 徴:自在
- デビュー:1985年5月23日
- 引 退:2025年8月22日(表明日)
表1: 日高逸子選手 輝かしい功績
項目 | 内容 |
デビュー | 1985年5月 |
通算勝利数 | 2,539勝 |
通算優勝回数 | 76回 |
生涯獲得賞金 | 11億4400万3198円 (女子歴代1位) |
主なタイトル | 賞金女王決定戦 優勝 |
公式に語られた引退理由「満身創痍」とは?
日高選手が公式に発表した引退理由は、わずか四文字の言葉でした。「満身創痍」 [2]。この言葉は、彼女の39年間の壮絶な選手生命を凝縮した、重い響きを持っていました。しかし、それは単に身体的な負傷の多さだけを意味するものではありませんでした。
彼女自身の言葉が、その真意を解き明かしてくれます。
満身創痍で、もう走るのが嫌になってしまった
引用元:Yahoo!ニュース / 西スポレースサイト
長年、ボートレースを愛し、その情熱で走り続けてきたレジェンドから発せられた「嫌になってしまった」という言葉は、衝撃的でした。これは、肉体的な限界が、精神的な限界をも超えてしまった瞬間を示唆しています。ブログでは、その心境の変化がより詳細に綴られていました。
もう少し頑張れるかなぁと思っていましたがもう走りたくない気持ちの方が強くなってしまいました。
引用元:日高逸子選手のブログ
かつてはどんな逆境も乗り越える原動力であった「走りたい」という情熱が、度重なる痛みと苦しみによって「走りたくない」という感情に凌駕されてしまったのです。彼女のキャリアを支えてきた精神の炎が、尽きようとしていることを示す、悲痛な告白でした。
最も核心に触れる言葉は、彼女がレースに対する感情の根本的な変化を語った部分でしょう。
以前は走る事が好きで楽しかったのに、最近は辛(つら)くなってしまいました。
引用元:日高逸子選手のブログ
「楽しい」から「辛い」へ。この変化こそが、「満身創痍」の本当の意味です。それは、身体のあらゆる部分が悲鳴を上げ、レースという行為そのものが喜びではなく、苦痛の源泉となってしまった状態を指します。日高選手は、過去のインタビューで「努める者は報われる」「挫折しないで頑張っていれば、必ず報われる」という哲学を語ってきました [9]。彼女のレーサー人生は、まさにその言葉を体現するものでした。しかし、その不屈の精神をもってしても、もはや耐えきれないほどの肉体的な代償が、彼女の情熱を蝕んでいったのです。
したがって、彼女の引退は、単なる加齢による衰えや、ひとつの大きな怪我によるものではありません。長年にわたって蓄積された無数の傷が、ついに彼女の魂をすり減らし、レースへの愛を奪ってしまった結果なのです。「満身創痍」とは、肉体が精神を打ち負かした状態を指す、彼女の最後の戦いの記録とも言える言葉なのです。
壮絶な選手生命 – 度重なる怪我と手術の歴史
「満身創痍」という言葉は、決して誇張ではありません。日高選手のキャリア後半は、文字通り怪我と手術、そしてそこからの奇跡的な復活の連続でした。その歴史を振り返ることで、彼女がどれほどの痛みを乗り越えて水面に立ち続けてきたかが分かります。
彼女の選手生命は、レース中の事故による大怪我と、それに伴う長期のリハビリを幾度となく経験してきました [2]。しかし、近年直面した試練は、特に過酷なものでした。
2021年:引退がよぎった大手術
2021年夏、日高選手はレースとは別の脅威に襲われます。原因不明の倦怠感が続き、検査を受けた結果、子宮に腫瘤が見つかりました [10]。診断の結果、6時間にも及ぶ子宮全摘出と卵管切除の大手術を受けることになります [10]。
この時の心境を、彼女は後にこう語っています。
がんだったらと思ったら不安で引退もよぎったが、結果は良性でよかった。
引用元:Number Web
命に関わる可能性もあった健康不安は、強靭な精神を持つ彼女にすら引退を考えさせました。しかし、腫瘤が良性であったことを知ると、彼女はそれを「まだ、やれ」という天啓と捉えました [9]。そして、すぐにトレーニングを再開し、再び戦いの舞台へと戻ってきたのです。
2023年:キャリアを終わらせかけた転覆事故
病を乗り越えた彼女を、今度は水面でのアクシデントが襲います。2023年11月、ボートレース常滑でのレース中に転覆し、深刻な負傷を負いました [10]。この怪我は非常に深刻で、関係者の間でも引退は避けられないのではないかという憶測が飛び交うほどでした。彼女自身も、この時ばかりは本気で引退を考えたとされています [10]。
しかし、日高逸子は再び立ち上がります。多くの者が不可能だと考えたにも関わらず、事故からわずか2ヶ月後の2024年1月には戦線に復帰 [10]。その姿は、彼女が座右の銘とする「努める者は報われる」という言葉を、自らの体で証明するものでした [10]。
主な負傷と復帰の記録
これらのエピソードは、彼女の驚異的な回復力と精神力を示していますが、同時に、彼女の身体が限界に近づいていることも物語っています。一度引退を覚悟するほどの大怪我や大手術を乗り越えて走り続けることは、心身に想像を絶する負担を強いることだったに違いありません。
表2: 満身創痍の証明:主な負傷と復帰の記録
時期 | 出来事 | 影響と結果 |
2021年夏 | 子宮腫瘤の発見、子宮全摘出・卵管切除の大手術 | 引退をよぎるほどの健康不安を乗り越え、レースに復帰 |
2023年11月 | 常滑レースでの転覆負傷 | 一時は引退を考えるほどの大怪我 |
2024年1月 | レース復帰 | 事故からわずか2ヶ月で戦線に復帰 |
引退決断の裏にあった葛藤と最後のレース
日高選手の引退は、一直線の衰退の結果ではありませんでした。むしろ、彼女の最後の数年間は、輝かしい功績と、肉体の限界との間で揺れ動く、壮絶な葛藤の物語でした。
ブログで「この数ヶ月、悩みに悩み、考えに考えた」と綴ったように、その決断は長い時間をかけた苦闘の末のものでした [3]。その葛藤を象徴するのが、2023年の大怪我からの復帰後の出来事です。引退も囁かれたほどの重傷から復帰した彼女は、2024年5月、女子レーサー史上2人目となる通算 2,500勝という金字塔を打ち立てたのです [12]。
この事実は、極めて重要な意味を持ちます。彼女は、もはや勝てなくなったから引退したわけではありません。トップレベルで戦う力を依然として保持しながら、その力を発揮するために支払う身体的、そして精神的な代償が、もはや耐えうる範囲を超えてしまったのです。水面の上では勝利という栄光を掴みながら、その裏では自身の身体との静かな戦争に敗れつつあった。この矛盾こそが、彼女の苦悩の深さを物語っています。彼女の引退は、敗北ではなく、これ以上自分を壊さないための、尊厳ある自己防衛の選択だったと言えるでしょう。
日高逸子選手、最後のレース
その静かな終焉は、2025年4月のボートレース桐生でのレースでした。
4月4日、ヴィーナスシリーズの4日目第9レース。これが彼女の現役最後の走りとなりました。結果は3着 [3]。特別なセレモニーもなく、彼女はこのレースを最後に「途中帰郷」という形で静かにレース場を去りました [3]。これが、何かがおかしいと周囲が感じ始めた最初の兆候でした。
その後、予定されていたG2レディースオールスターを含む斡旋はすべて削除され、彼女は「長期休養」に入ります [3]。ファンや関係者が復帰を待ち望む中、水面下で彼女は、自身の引き際について悩み続けていたのです。この長い沈黙の期間が、ブログで語られた「数ヶ月の苦悩」の時間でした。
そして、引退発表
8月22日、彼女は引退を発表。そのブログの最後を、彼女らしい、少しお茶目な言葉で締めくくりました。
『普通のおばさんになります』(昭和の人しか分からないセリフ)
引用元:日高逸子選手のブログ
昭和のアイドル「キャンディーズ」の引退時の名セリフを引用し、最後までファンを和ませようとするその姿に、多くの人が涙し、そして彼女の新たな門出を祝福しました。
日高逸子選手に関するFAQ
日高逸子選手に関するFAQ(よくあるQ&A)をまとめました。
Q1. 引退会見はいつ、どこで行われましたか?
A1. 本記事公開日現在で、まだ正式な引退会見は開かれていません。引退の発表は、2025年8月22日に日高逸子選手本人が自身の公式ブログで行いました 3。同日、日本モーターボート競走会からも公式に引退が発表されています [2]。
Q2. 引退後のセレモニーなどは予定されていますか?
A2. 引退発表の時点では、引退セレモニーの開催に関する公式な情報はありません [13]。今後の予定については、公式発表をご確認ください。
Q3. 同期の選手や後輩からはどのようなコメントが寄せられましたか?
A3. 突然の発表に、後輩や関係者からは驚きと悲しみ、そして深い尊敬の念が寄せられました。松尾怜実選手をはじめとする後輩たちは、日高選手の優しさや面倒見の良さを語り [4]、中谷朋子選手や細川裕子選手は、その不屈の精神とプロ意識を称賛し、大きな励みとなっていたことを明かしました [4]。ボートレース界全体から、彼女がどれほど愛され、尊敬されていたかがうかがえます。
Q4. 引退後の健康状態は大丈夫なのでしょうか?
A4. 引退理由が「満身創痍」であることから、長年の選手生活による身体的な負担が大きかったことは間違いありませんが、現在の具体的な健康状態に関する公式な発表はありません。引退は、これ以上身体を酷使することをやめるための決断であったと考えられます。
Q5. 過去にも引退を考えたことはあったのでしょうか?
A5. 近年では少なくとも2度、本気で引退を考えたことがあったもようです。1度目は2021年に子宮の腫瘤が見つかり、大手術を受ける前 [9]。そして、2度目は2023年11月に常滑でのレースで大怪我を負った際です [10]。
Q6. 最後のレースの成績はどうでしたか?
A6. 現役最後のレースは、2025年4月4日にボートレース桐生で行われたヴィーナスシリーズ4日目の第9レースで、結果は3着でした [3]。
Q7. ファンクラブの活動は今後どうなりますか?
A7. 引退後のファンクラブの活動については、公表されている情報の中には含まれていません。ファンクラブ会員の方は、運営からの公式なアナウンスをご確認ください。
まとめ
日高逸子選手の引退理由は、39年間の激闘によって心身が限界を迎えた「満身創痍」という、まさに勲章ともいえるものでした。それは決して敗北ではなく、最後までトップレーサーとして戦い抜いたアスリートが、自らの尊厳を守るために下した崇高な決断です。
通算2539勝という輝かしい記録を残した偉大なチャンピオンとして、そして多くの後輩たちを導いた「グレートマザー」として、彼女の功績はボートレースの歴史に燦然と輝き続けます [1]。最後までトップレーサーとして戦い抜いたその姿は、私たちの記憶に永遠に刻まれるでしょう。
39年間の現役生活、本当にお疲れ様でした。
参照情報
ブログ記事を書くに当たって、参照した情報の一部をリストしています。
- 63歳日高が引退=女子最年長、通算2539勝―ボートレース | 時事通信ニュース
https://sp.m.jiji.com/article/show/3591716 - 【ボートレース】母とレーサーを両立した「グレートマザー」日高 …
https://race.nishinippon.co.jp/boatrace/news/detail.php?id=22825 - 日高逸子が引退 | ボートレース(競艇)【マクール】
https://sp.macour.jp/columns/macour/184785/ - 【ボートレース】「日高逸子引退」の報道に後輩たちは「本当に …
https://race.nishinippon.co.jp/boatrace/news/detail.php?id=22845 - 【ボートレース】「日高逸子引退」の報道に後輩たちは「本当にびっくり」 励みの存在の喪失に「寂しい」「ショック」「残念」と惜しむ声続々 – エキサイト
https://www.excite.co.jp/news/article/racenishinippon_race_nishinippon_topics_22845/ - 【ボート】女子最年長レーサー「グレートマザー」日高逸子が現役引退 – デイリースポーツ
https://www.daily.co.jp/horse/2025/08/22/0019380849.shtml - 日高逸子選手(63歳)が現役生活にピリオド | BOAT RACE オフィシャルウェブサイト
https://www.boatrace.jp/owpc/pc/site/news/2025/08/45021/ - 【ボートレース】引退した日高逸子さんはキャンディーズの名文句を借りながら自身のブログでファンにお知らせ
https://race.nishinippon.co.jp/boatrace/news/detail.php?id=22835 - 努める者は報われる|THE-YOU ボートレーサーが心に刻む魂の言葉|Let’s BOAT RACE
https://lets-boatrace.jp/sports/the-you/08.html - グレートマザーが刻んだ、消えない航跡~日高逸子、40年の水面を …, 8月 23, 2025にアクセス、
https://note.com/bright_minnow365/n/n732195daf562 - 60歳で優勝、最低クラスから“奇跡のカムバック”…ボートレーサー日高逸子が走り続ける理由「どん底からはい上がるのが私らしい」(3/4) – 他競技 – Number Web
https://number.bunshun.jp/articles/-/854177?page=3 - 日高逸子 – Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E9%AB%98%E9%80%B8%E5%AD%90 - 3188 日高逸子(ひだか いつこ) | ボートレーサー(競艇選手)【マクール】
https://sp.macour.jp/boatracer/3188/ - 【ボート】女子最年長レーサー「グレートマザー」日高逸子が現役引退 | その他競技 – スポーツブル
https://sportsbull.jp/p/2165069/
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