「艇界のグレートマザー」として、女子ボートレーサーの道を切り拓き、還暦を過ぎてもなお第一線で輝き続ける日高逸子選手 [1]。生涯獲得賞金は11億円を超え、通算優勝回数は70回以上という前人未到の記録を打ち立ててきました [1]。母として、そしてトップレーサーとして走り続けたその輝かしいキャリアの陰には、専業主夫として家庭を守り続けた夫・邦博さんの献身的な支えがありました。
二人はどのように出会い、常識にとらわれない独自のパートナーシップを築き、数々の困難を乗り越えてきたのでしょうか。
この記事では、日高逸子選手と夫・邦博さんが紡いできた、感動の家族愛と夫婦の絆の物語に迫ります。
- 夫・邦博さんがどんな人物なのか
- 夫婦の馴れ初めと結婚生活
- 家庭とレースを両立させた秘訣
日高逸子さんについては、こちらの記事もどうぞ。


日高逸子の夫、日高邦博さんとはどんな人?
日高逸子選手の活躍を語る上で、夫・邦博さんの存在は欠かせません。しかし、「夫も元ボートレーサーだったのでは?」という疑問を持つ方もいるかもしれませんが、それは事実とは異なります。邦博さんはボートレーサーではなく、妻の夢を支えるためにサラリーマンから専業主夫へと転身した人物です [3]。
まず、二人のプロフィールを比較してみましょう。
項目 | 日高 逸子 (ひだか いつこ) | 日高 邦博 (ひだか くにひろ) |
生年月日 | 1961年10月7日 | 1961年11月2日 |
出身地 | 宮崎県 | 新潟県 |
主な役割 | プロボートレーサー (登録番号3188) | 主夫、著述家、講演家 |
主な実績 | 生涯獲得賞金11億円超、通算優勝76回以上、G1タイトル多数 [1] | 著書『逸子さん、僕が主夫します!』、男女共同参画審議会委員など [5] |
運命の出会い:東京の専門学校
二人の出会いは、日高選手がボートレーサーになる前の、夢を模索していた時代に遡ります。宮崎で高校を卒業後、信用金庫に就職するも1年で退職 [6]。上京し、当初はケーキ職人を目指しますが、ツアーコンダクターへの憧れから旅行専門学校に入学しました [7]。そこで同級生として出会ったのが、後に夫となる井上邦博さん(旧姓)でした [3]。
邦博さんもまた、高校卒業後に製薬卸会社に就職しましたが、ツアーコンダクターを目指して会社を辞め、同じ専門学校の門を叩いていたのです [3]。
一途な片思い:14年越しの恋を実らせた6回の告白
しかし、二人の関係はすぐに恋愛へと発展したわけではありませんでした。物語は、邦博さんの一方的な、しかし非常に誠実な片思いから始まります。
専門学校に入学してわずか2ヶ月後、邦博さんは「将来この人と結婚するかもしれない」と直感し、全身全霊で告白します [8]。しかし、当時アルバイトと勉強に明け暮れ、恋をする余裕などなかった日高選手は、「冗談はやめてよ」と笑って一蹴しました [9]。
彼女にとって邦博さんは、話をよく聞いてくれる優しい友人ではあっても、恋愛対象ではありませんでした [9]。それでも邦博さんは諦めませんでした。その後も1年間で計6回にわたって告白を繰り返しますが、日高選手の答えはいつも同じでした [5]。
この一途なまでのアプローチは、単なる若気の至りではありませんでした。一度決めた目標に対して、たとえすぐには受け入れられなくても、誠実に、粘り強く向き合い続ける。この姿勢は、後に彼が前例のない「専業主夫」という役割を完璧にこなす上で不可欠な資質であったことを物語っています。卒業後、二人は別々の道を進みますが、この学生時代の出来事が、14年後に結婚という形で実を結ぶための、長い長い序章となったのです [5]。
第2章:夫が「専業主夫」になることを決意した理由
1996年8月8日、長い友人関係を経て二人は結婚します [1]。しかし、本当の意味での挑戦はここから始まりました。翌年、長女が誕生したことを機に、邦博さんは14年間のサラリーマン生活にピリオドを打ち、「専業主夫」になるという、当時としては非常に画期的な決断を下します [5]。
二つの異なるキャリアパスと圧倒的な収入格差
決断の背景には、二人の置かれた状況がありました。テレビCMの「ボートに乗って年収1千万円」という言葉に惹かれてレーサーの世界に飛び込んだ日高選手は、努力の末にトップレーサーのわずか20%しかいないA1級にまで上り詰めていました [8]。一方、邦博さんは「ごく普通のサラリーマン」 [10]。邦博さん自身が「収入の格差は比べものになりません」と語るように、経済的な合理性から見れば、日高選手のキャリアを優先するのは自然な流れでした [10]。
愛情と合理性に基づいた戦略的決断
長女の誕生は、この状況に一つの問いを突きつけました。「これから、誰が家庭を支えるのか」。日高選手は「結婚後もレーサーを続けたい」という強い意志を持っていました [10]。お互いの実家も遠く、頼れる身内は近くにいません [10]。
この決断は、単なる「夫の犠牲」ではありませんでした。むしろ、現代のビジネスパートナーシップにも通じる、極めて戦略的な選択だったと言えます。
- 資産の最大化:
- 家庭という共同体において、最大の資産は日高選手の「ボートレーサーとしての才能」でした。その価値を最大化するために、リソースを再配分する必要がありました。
- 役割の最適化:
- 邦博さんは、自身のサラリーマンというキャリアから、「家庭の最高責任者(Chief Household Officer)」へと役割を変更しました。これは、家庭全体の利益を最大化するための、最も合理的な人事異動でした。
- 深い愛情と信頼:
- この合理的な判断を後押ししたのが、邦博さんの深い愛情でした。「学生時代から僕の方が彼女にぞっこんだった」「惚れた弱みですね」という彼の言葉からは、愛する妻の夢を全力で応援したいという純粋な気持ちが伝わってきます 10。
邦博さんは、福岡に移り住んで主夫になること、そして自身の姓を「井上」から「日高」に変えることも快諾しました [1]。これは、二人が性別による役割分担ではなく、お互いの能力と状況に基づいた、新しい家族の形を築き上げるという固い決意の表れでした。
「家庭は任せろ」夫の支えが生んだグレートマザー
邦博さんの「僕が主夫します!」という決意は、日高選手を物理的にも精神的にも解放し、前人未到の領域へと導きました。彼が築いた盤石な家庭環境こそが、「グレートマザー」誕生の礎となったのです。
レーサーの過酷な日常と夫の完璧なサポート
ボートレーサーの日常は過酷です。レース期間中は外部との連絡を一切絶たれ、月のうち20日から25日は家を空ける生活 [10]。この間、邦博さんは二人の娘の育児と家事のすべてを一人で担いました。
彼は、未知の世界だった家事や育児を「プロの仕事」として捉え、スキルを磨き続けました。特筆すべきは、地域の育児講座に参加したことです。25人の若い母親たちの中に、男性は邦博さんただ一人 [10]。このエピソードは、彼が世間の目や固定観念を気にすることなく、家族のために最善を尽くそうとする真摯な姿勢を象徴しています。
彼の努力は料理にも表れ、母親教室に通って腕を磨き、娘たちから「お父さんの煮物のレシピを教えて」と言われるほどの「父の味」を確立しました [7]。
「勝負師」に徹するための精神的な安息地
邦博さんのサポートがもたらした最大のものは、日高選手がレースに100%集中できる環境でした。彼女はこう語っています。
「家のことを心配せずレースに集中できる。家庭では母、レースが始まると勝負師。そのオンとオフがはっきりしていることがプラスになっているんです」 [13]。
勝負の世界で生きるアスリートにとって、家庭が精神的な安息地であることの価値は計り知れません。邦博さんは、日高選手が水面の上で「勝負師」の仮面を被るために必要な、穏やかで揺るぎない日常を提供し続けたのです。
さらに、邦博さんは自身の経験を社会に還元する活動も始めます。著書『逸子さん、僕が主夫します!』を出版し、講演家として全国を回り、佐賀県男女共同参画審議会委員を務めるなど、自らの生き方を通して新しい男性のあり方を提唱する存在となりました [5]。これは、彼の役割が単なる「妻のサポート」に留まらず、社会的な価値を持つ「専門職」へと昇華したことを示しています。
夫婦の絆がわかる感動エピソード3選
言葉以上に二人の深い絆を物語る、心温まるエピソードを3つご紹介します。
エピソード1:母の愛を運んだ「長距離母乳リレー」
日高選手は、二人の娘を「どうしても母乳で育てたい」という強いこだわりを持っていました [12]。しかし、全国を転戦する彼女にとって、それは簡単なことではありません。特に東京でのレースの際には、驚くべきチームプレーが展開されました。
日高選手がレースの合間に搾乳して冷凍した母乳を、宅配便で福岡の自宅へ送る。それを受け取った邦博さんは、丁寧に解凍して温め、娘たちに与えていました。彼は母乳の温度を確かめるために自ら口に含み、日によって味が違うことに気づいたといいます。それは、母親の体調が母乳に影響することを示す、愛の証でした [12]。
このエピソードは、日高選手の母としての強い意志と、それを実現するためにあらゆる手段を尽くす邦博さんの緻密なサポートが完璧に融合した、二人のパートナーシップの縮図と言えるでしょう。
エピソード2:母の代わりに走った運動会
レースで家を空けることが多い日高選手は、娘たちの学校行事に参加できないこともしばしばありました。特に、子供たちが楽しみにしている運動会。母親がいない寂しさを感じさせまいと、邦博さんは彼女の役割を文字通り「代走」しました [14]。
父兄参加の競技に、母親の代わりに懸命に走る邦博さんの姿。それは、彼が単に家事をこなすだけでなく、子供たちの心に寄り添い、母親の愛情をも体現しようとする、能動的な父親であったことを示しています。彼は陰の支えであると同時に、子供たちの前では主役でもある、真の「グレートファーザー」でした。
エピソード3:「孤独」から「喜び」に変わった優勝の味
長女を出産後、わずか1ヶ月で復帰したレースで見事優勝を飾った日高選手 [15]。その時の心境を、彼女はこう振り返っています。
「独身時代は、優勝してもわびしさと孤独感があった。家に帰ると、いつも独りぼっちで、心から喜びを分ち合う人がいなかった。今は違う。家族の存在が大きかった」 [16]。
この言葉は、邦博さんの存在が日高選手のキャリアに与えた最も本質的な価値を明らかにしています。彼のサポートは、単に練習時間を確保したり、家事の負担を減らしたりするだけではありませんでした。それは、彼女の孤独な戦いを「家族の戦い」に変え、勝利の喜びを何倍にも増幅させる、かけがえのないものでした。邦博さんという帰る場所があったからこそ、彼女は安心して水上の戦場へと向かうことができたのです。
日高逸子さん夫婦に関するFAQ
日高逸子さん夫婦に関するFAQ(よくあるQ&A)をまとめました。
Q1. 夫の日高邦博さんもボートレーサーだった時の成績は?
A1. 日高邦博さんはボートレーサーではありませんでした。旅行会社や企画会社に勤めるサラリーマンとして14年間働いた後、長女の誕生を機に、妻・逸子選手のサポートに専念するため専業主夫になりました [3]。
Q2. お二人の間に子供は何人いますか?子供の現在の職業は?
A2. お二人には娘さんが二人います。2018年の記事では長女が大学4年生、次女が大学進学のため関東へ旅立ったとされています [7]。現在の具体的な職業についての情報は見つかりませんでした。
Q3. 子供もボートレーサーを目指している(いた)のですか?
A3. 娘さんたちがボートレーサーを目指している、あるいは目指していたという情報は見つかりませんでした。
Q4. 結婚生活で大切にしていたルールなどはありますか?
A4. 明確なルールとして、逸子選手が「レースに行く朝だけはケンカしないように」という師匠の奥様の教えを邦博さんが守っているそうです [12]。また、逸子選手が家にいる時は邦博さんが朝ゆっくり休めるように配慮する、という取り決めもありました [13]。根本的には、お互いの役割を尊重し、「大切なのは忍耐力ですよね、お互いに」と逸子選手が語るように、思いやりを持つことを大切にされています [12]。
Q5. 日高選手は夫にどのような感謝の言葉を述べていますか?
A5. 逸子選手は「夫はこの上ない理想のパートナー」「彼が払った犠牲を無駄にしたくない」と語り、深い感謝と尊敬の念を示しています [13]。また、「家のことを心配せずレースに集中できる」環境を作ってくれたことや、彼が専業主夫でなければトップレーサーとして走り続ける自分はいなかったと述べ、邦博さんの存在が自身のキャリアの根幹であることを認めています [11]。
Q6. 夫婦喧嘩のあとの仲直りの方法は?
A6. 逸子選手自身が「私たち、ほとんどケンカはしないんですよ」と語っており、夫婦喧嘩自体が非常に少ないようです [12]。そのため、特定の仲直りの方法についての言及は見つかりませんでした。
Q7. 引退後の夫婦の夢はありますか?
A7. 逸子選手の現在の目標は「女子レーサーで一番長く選手をやること」であり、具体的な引退後の夫婦の夢についての言及は見つかりませんでした [17]。
まとめ
日高逸子選手の「グレートマザー」としての偉業は、夫・邦博さんの「グレートファーザー」としての支えなくしては成し得ませんでした。
彼らの物語は、夫婦が互いの才能を認め、目標を共有し、常識にとらわれずに最適な役割分担をすることで、いかに大きな成果を生み出せるかを示しています。
邦博さんの決断は、単なる妻への愛情だけでなく、家庭というチームの成功を最優先する戦略的な選択でした。そしてその選択を、日高選手は最高のパフォーマンスで応え続けました。
お互いを尊重し、支え合う理想の夫婦の姿は、多くの人々に感動と、新しい時代のパートナーシップのあり方を教えてくれます。
参照情報
ブログ記事を書くに当たって、参照した情報の一部をリストしています。
- 日高逸子 – Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E9%AB%98%E9%80%B8%E5%AD%90 - ボートレーサー – BOAT RACE振興会
https://www.boatrace-pr.jp/static/uploads/sites/10/propel_vol40.pdf - 日高邦博 – Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E9%AB%98%E9%82%A6%E5%8D%9A - 60歳で優勝、最低クラスから“奇跡のカムバック”…ボートレーサー日高逸子が走り続ける理由「どん底からはい上がるのが私らしい」(4/4) – 他競技 – Number Web
https://number.bunshun.jp/articles/-/854177?page=4 - 日高邦博 プロフィール|講演依頼・講師派遣のシステムブレーン
https://www.sbrain.co.jp/keyperson/K-9588.htm - 競艇選手の紹介(14)日高逸子選手/ホームメイト
https://www.homemate-research-kyotei.com/useful/17795_kyote_036/ - 競艇界の「グレートマザー」日高逸子を支える“専業主夫”の力 | AERA DIGITAL(アエラデジタル)
https://dot.asahi.com/articles/-/125721?page=1 - (2ページ目)競艇界の「グレートマザー」日高逸子を支える“専業主夫 ..
https://dot.asahi.com/articles/-/125721?page=2 - 告白して玉砕すること6回、14年の恋物語の結末は?「僕がヒダカに …
https://number.bunshun.jp/articles/-/854180 - ボートレーサーの妻を支えて。ボクは主夫歴23年! 第1話
https://cheerdays.fcoop.or.jp/childcare/ww6aX - 日高 逸子(ひだかいつこ)さん (2013年6月取材) – 福岡県男女共同参画センターあすばる
https://www.asubaru.or.jp/92466.html - 通算獲得賞金10億円! 競技人生35年、水上の格闘技で勝ち続ける …
https://tetsudo-ch.com/9979244.html - 告白して玉砕すること6回、14年の恋物語の結末は?「僕がヒダカに …
https://number.bunshun.jp/articles/-/854180?page=4 - グレートマザーが刻んだ、消えない航跡~日高逸子、40年の水面を走り抜いて – note
https://note.com/bright_minnow365/n/n732195daf562 - 日高逸子は生涯獲得賞金額が10億円超え!怪我や引退を乗り越えた選手 – フネラボ
https://apaie.org/column/contents/?content=1675 - 告白して玉砕すること6回、14年の恋物語の結末は?「僕がヒダカになる」還暦ボートレーサー日高逸子を支える“理想のパートナー”(3/4) – 他競技 – Number Web
https://number.bunshun.jp/articles/-/854180?page=3 - 通算賞金10億円 女帝58歳のオンとオフ、夫のサポート、闘い続ける気持ち――女性ボートレーサー日高逸子の過去いま未来 <2> – 鉄道チャンネル
https://tetsudo-ch.com/9982044.html
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