近年、全国的にクマの出没と被害が急増しており、もはや「災害級」の危機に直面しています。
環境省によると、2023年度のクマによる人的被害は219人と過去最多を記録し、2025年度も死者数が過去最多の12名を記録するなど、深刻化の一途をたどっています。
クマの出没は山林や農村部にとどまらず、市街地や住宅街にまで及び、市民の生活に直接的な脅威を与えています。
この危機的状況下で、クマの捕獲・駆除の「最後のとりで」となるはずのハンターたちが、現場で「撃ちたくても撃てない」という知られざる苦悩を抱えています。
その背景には、複雑な行政手続き、発砲時の法的責任を問われるリスク、そして深刻な担い手不足といった、根深い構造的な問題が存在します。
- 全国的に熊の出没・被害が増えている背景。
- なぜハンターが熊を撃てないのか、その制度上の壁と現場の実情。
- 熊被害を減らすために必要な対策や制度改正の方向性。
熊の出没と被害が急増している現実
被害件数の推移と最新事例
クマによる被害は過去最悪のペースで増加しています。環境省のデータによると、2023年度(令和5年度)の人的被害者数は219人となり、過去最多を記録しました。2025年度も被害は深刻であり、4月から9月までの人身被害者数は108人、死者数は10月29日現在で過去最多の12名に達しています。
特に東北地方での被害が目立っており、令和7年度(4月〜10月)の死亡者数は岩手県で5人、秋田県で3人、宮城県と福島県でも死者が出ています。クマの出没件数も増加傾向にあり、2025年度(4月〜8月)の出没件数は16,213件と、近年の中でも高い水準にあります。
最新の事例としては、市街地での出没が目立ち、北海道では新聞配達員がヒグマに襲われ死亡する事故が報告されています。
また、岩手県北上市では自宅住家内にクマが侵入し女性が死亡する事件が、秋田市ではスーパー店内にクマが55時間も居座る事件が発生しました。
こうした事態を受け、2025年10月15日には宮城県仙台市の住宅地付近で、改正法に基づく「緊急銃猟」による全国初の駆除事例が報告されています。
なぜ今、熊が人里に現れるのか?背景にある環境変化
クマの出没が急増している背景には、主に以下の環境変化と要因が挙げられます。
- 餌の不足(凶作)と生息域の拡大: 
- クマの主な餌となる堅果類(ドングリなど)が凶作の年には、山で餌が不足するため、クマが餌を求めて人里に出没する傾向が強まります。2025年は東北各県でブナが大凶作の見通しです。また、クマの個体数自体が増加傾向にあり、集落周辺は餌が多く、人に追われることが少ない安全な場所だと学習している可能性があります。
 
- 里山の野薮化と境界の曖昧化: 
- かつて、人と奥山の間にあった里山(人が利用していた中間地域)が、過疎化や高齢化により使われなくなり、野薮になってしまいました。これにより、クマが人里の近くまで容易に降りてこられるようになり、人間と野生動物の住処の境界線があいまいになっています。
 
- 誘引物の増加と警戒心の低下: 
- 過疎化により放置された柿や栗の木などの果樹、そして不適切な生ゴミ管理が、クマにとって魅力的な食料源となり、市街地へ誘い込んでいます。クマの市街地侵入はゴミ出し日に集中しているとの調査結果もあります。その結果、クマは人間を危険な存在として認識する機会が減り、人の生活圏に進出してきています。
 
- 気候変動の影響: 
- 積雪の少ない年にはヒグマが早く冬眠から覚め、春先に食料を求めて人里近くを徘徊する期間が長くなることが示唆されています。
 
ハンターはなぜ熊を撃てないのか?制度の壁と現場の実情
駆除には許可が必要?複雑な手続きと制限
現状の制度と問題点
日本では、クマが市街地に出没した場合でも、射殺には市町村長が発行する「有害鳥獣捕獲許可」を得た登録ハンターのみが実施できます。警察官や自衛隊員が現場にいても、原則として野生動物への発砲権限はありません。
問題は、この許可が下りるまでのプロセスです。目撃情報から行政、警察、猟友会への連絡、そして現場での目視確認など、いくつものステップを踏む必要があり、現場への到着までに1〜2時間かかる場合があります。この遅延が、迅速な被害防止の妨げとなっています。
駆除許可後の問題
許可が出た後も、ハンターは銃刀法第11条という厳しい制約に直面します。この法律により、「弾丸の到達するおそれのある建物等に向かって発砲してはならない」とされています。
市街地ではクマの背後に建物や道路があることが多く、発砲の条件として「後ろに土手などがあること」が重要になります。建物内に逃げ込んだクマに対しては発砲できず、ハンターは「撃ってやりたい…だけどできない」という葛藤を抱えます。
担い手不足・高齢化・リスク…猟友会の実態
担い手不足、高齢化
クマの頭数が増加し、生息域が拡大する中で、クマを抑え込むために必要なハンターの数が圧倒的に不足しています。
全国の狩猟免許所持者は大幅に減少し、特に高齢化が深刻です。狩猟免許所持者の約6割近くが60歳以上で占められ、20代、30代の若手は合計で2割ほどに留まっています。
高齢化は聴力の低下など、野生動物の気配を察知する上で最も重要な能力を弱らせ、捕獲活動の難易度を上げています。
ハンター自身への大きなリスク
ハンターが最も懸念しているのは、事故が起きた場合の法的責任の所在です。住宅街での発砲は流れ弾(跳弾)などにより、意図せず人的・物的被害を引き起こすリスクがゼロではありません。
北海道砂川市で2018年に発生した事件では、行政の要請でクマを駆除したハンターが、建物に向けて発砲したとして猟銃所持許可を取り消されました。
この裁判では、一審でハンターが勝訴したにもかかわらず、二審の札幌高裁では「跳弾した」との事実認定により逆転敗訴となり、上告されています。行政の要請に従ったにもかかわらず、事後的に免許剥奪や業務上過失致死傷罪に問われる恐れがあることが、ハンターの活動を大きく萎縮させています。
また、クマ駆除は極めて危険性が高いにもかかわらず、報酬水準は低く、日当は5,000円~10,000円前後、熊1頭の駆除報奨金も地域差はありますが数万円程度に留まることが多く、装備費用や維持費を考慮すると実質的な手取りは赤字になることも珍しくありません。
猟友会の判断
こうした不安とリスクの増大を受け、北海道猟友会は、2025年9月に施行された改正鳥獣保護管理法に基づく緊急銃猟制度について「安心できない」との立場を表明し、道内全71支部に出動や発砲の要請を拒否しても良いという異例の通知を出しました。
猟友会は、あくまでボランティアの団体であり、「市民の生命財産を護る義務はない」とし、国に対して、法的リスクを負わずにクマ対策を担える専門組織の設立を求めています。
彼らの主張のコアの部分は「本来、熊被害から国民を守るのは警察や自衛隊の仕事だ」ということです。これに対して、国は重い腰をあげず、責任の所在を曖昧にし、問題点の解決に、十分な動きをしてきませんでした。
「人間の都合だけでは動けない」現場の葛藤
クマの駆除現場では、市民の安全を守る使命感と、現行の法律や制度による制約、そして自己責任のリスクがハンターの間に大きな葛藤を生んでいます。
ベテランハンターたちは、報酬の低さを承知の上で地域貢献の意識で活動を続けていますが、「ボランティアでやったことで、平気で不当な事実認定をされるのであれば、恐くて誰も撃てなくなる」と、制度の改善を強く求めています。
地域としてどうする?熊との共存・被害防止の今後
見直される捕獲ルールと制度改革の動き
クマ被害の深刻化に対応するため、国は法制度の改革を進めています。
- 緊急銃猟制度の導入(2025年9月施行): 
- 改正鳥獣保護管理法が施行され、市街地でも人への危害防止が緊急に必要で、銃猟以外で迅速な捕獲が困難な場合など、一定の条件を満たせば市町村長の判断で銃猟が可能になりました。 この制度では、発砲による人的・物的被害を含む損害について自治体による補償が記載されています。しかし、ハンター自身の負傷や銃所持許可の取り消しリスクについては、依然として懸念が残されています。
 
- ガバメントハンターの育成: 
- 国は、都道府県に対し、クマなどの捕獲や駆除を行う専門の公務員職員(ガバメントハンター)の確保・育成を支援しています。北海道三笠市では、地域おこし協力隊員が公務員とハンターを兼務し、平時からの対策を担うリーダー的な役割を果たしています。
 
- 国の総合的な対策パッケージ: 
- 環境省や農水省など関係省庁は「クマ被害対策施策パッケージ」を策定し、クマの個体群管理の強化、出没防止対策、人材育成などを連携して進めています。また、クマ(ヒグマ、ツキノワグマ)は四国の個体群を除き「指定管理鳥獣」に指定されました。
 
自治体・住民ができる5つの対策
クマを人里に呼び込まない環境づくりと、地域全体での多層的な防御体制の確立が重要です。
- 誘引物の徹底除去: 
- クマを引き寄せる放置果樹(柿や栗など)の伐採や、生ゴミ、屋外コンポストの適切な管理・除去を徹底します。
 
- 緩衝帯(境界線)の整備: 
- 河川沿いや耕作放棄地の草刈りや下草刈りを行い、クマが隠れやすい場所をなくすことで、人とクマの住み分けを図ります。
 
- 防御施設の設置と維持管理: 
- 農地や集落周辺に電気柵や箱わなを設置し、侵入を防止します。富山県朝日町のように、住民が協力金を出し合い、町全体で維持管理を行う体制づくりも有効です。
 
- 情報共有と早期警戒: 
- 監視カメラ、ドローン、AIを活用した「クマ遭遇リスクマップ」などの新技術を導入し、出没情報を迅速に市民と共有します。
 
- 住民の意識改革と参加: 
- クマと遭遇しないための行動指針(音を出す、走らない、背を向けない)を徹底するとともに、地域住民が環境整備(草刈りなど)の活動に主体的に参加するよう促します。
 
最前線から学ぶ、共存へのリアルな選択肢
クマとの「共存」は、多くの専門家が指摘するように、単純に「仲良く暮らす」ことではなく、「住み分け」を基本とすべきです。
- クマに「危険な存在」だと学ばせる: 
- 人を恐れないクマが増えている現状に対し、クマに人間は危険な存在だと認識させ、生活圏への侵入を避けるよう学ばせる機会が必要です。
 
- 非殺傷装備の活用: 
- カナダなどの事例から、麻酔銃、ゴム弾、閃光弾といった非殺傷装備を標準装備化し、クマを殺さずに危険を排除する手段を充実させることも重要です。
 
- 「ゼロ干渉地域」の確立: 
- 理想論ではありますが、集落周辺にクマがいないエリア(ゼロ干渉地域)を500メートル程度の幅で作り、予防的にクマを駆除し続けることで、人里側を完全に守るという戦略的な考え方も提示されています。
 
今後の国の関与は
クマ問題は、ハンター個人の問題ではなく、行政と社会全体の「統治のあり方」を問う問題です。
- 国家の責任の明確化: 
- 欧米諸国では、野生動物管理官や国家が養成した専門射手が存在し、発砲後の責任は個人ではなく国家が引き受ける仕組みが確立されています。日本も、「誰が責任を取るのか」を明確にすることが必要です。
 
- 法的リスクの解消: 
- 改正法で自治体による損失補償は規定されましたが、ハンターが行政指導下での活動により銃刀法違反を問われ、免許を失う可能性(砂川事件の教訓)を根本的に排除するため、行政処分を行わない原則を法的に確立することが求められています。
 
- 警察権限の再検討: 
- 現場で即座に動ける体制を作るため、警察が自治体の許可を待たずに発砲できる権限(警職法改正)を検討すべきという提言があります。
 
- 国主導の専門組織設立: 
- 猟友会からは、ボランティアに任せるのではなく、国が主導してクマの捕獲・管理を行う専門組織を設立すべきだという声が上がっています。
 
ハンター視点で見た熊被害問題に関するFAQ
- Q: なぜ私たちはクマ駆除をボランティアで引き受けているのですか?
- A: 本来、クマ捕獲・駆除は地域社会への貢献や狩猟文化の継承が目的です。市民の生命財産を守る義務は警察や自衛隊にありますが、現状では行政からの委託(ボランティアベース)で対応せざるを得ない状況です。
 
- Q: 駆除の報酬は本当に生活できるレベルですか?
- A: ほとんどの場合、報酬だけで生計を立てることは不可能です。駆除報奨金(熊1頭あたり数万円)はありますが、銃や弾薬、交通費などの経費を考えると、実質的には赤字になることも珍しくありません。そもそも本来は趣味でハンターを行っている人たちが、それだけで生計をまかなおうとはしていません。これについては、北海道の某町議がハンターに対して侮蔑的な言動をして、その町ではハンターたちが熊狩猟拒否という状態に陥っています。つまり、ハンターたちは、報酬ほしさでやっているわけではないということです。
 
- Q: 猟友会が駆除要請を拒否する一番の理由はなんですか?
- A: 報酬の安さだけでなく、最も大きいのは、行政の要請で動いたにもかかわらず、事故時にハンター個人が法的責任を問われ、猟銃所持許可を取り消されるリスク(砂川事件など)です。
 
- Q: 新しい「緊急銃猟制度」で私たちの法的リスクは解決しましたか?
- A: 制度上、自治体による補償は示されましたが、ハンター自身の負傷や、警察の目から見た銃刀法違反として免許を取り消される可能性については明確な保証がなく、不安が残っています。
 
- Q: 市街地でクマに遭遇した際、警察官はなぜ撃ってくれないのですか?
- A: 警察官職務執行法では、クマのような野生動物への武器使用が想定されておらず、原則として発砲権限がないためです。発砲には自治体からの許可(緊急銃猟制度など)が必要です。
 
- Q: クマ駆除の現場で一番危険なのはどんな瞬間ですか?
- A: 人里に慣れたクマや子連れの母グマは予測不能な行動をとることがあり、また、罠にかかったクマに近づく際や、銃弾が建物に向かって発砲できないような狭い環境で追い詰める瞬間も非常に危険です。
 
- Q: 若手ハンターを増やせない原因は何ですか?
- A: 狩猟は専門知識と訓練、経験が必要であり、猟銃の所持や保管に費用がかかります。加えて、危険度の高い活動であるにもかかわらず、報酬が低く、費用対効果が合わないため、若い世代が参入しにくい構造です。
 
- Q: クマを山に追い払うことは可能ですか?
- A: 可能です。しかし、一度人里に味を占めたクマは再び戻ってくる可能性が高く、奥山と人里の中間にあった里山が野薮化しているため、クマが人里に降りてきやすい環境ができてしまっています。
 
- Q: 駆除で発砲する際、一番重視する安全対策は何ですか?
- A: 最も重要なのは、クマの背後(バックストップ)の環境です。弾が建物や人に到達する恐れがないか、土手や山がある方向かを確認することが絶対条件です。
 
- Q: 捕獲頭数の目標(管理)は、ハンターの増員なしに達成できますか?
- A: クマの増加を抑えるための捕獲目標は設定されていますが、ハンターの確保・育成なしには目標達成は不可能です。現行の制度ではマンパワーが決定的に不足しています。
 
- Q: 住民側からできる、私たちハンターへの最も効果的な協力はありますか?
- A: クマを寄せ付けないための誘引物(柿の木やゴミ)の徹底的な除去や、電気柵の維持管理など、地域の環境整備に主体的に取り組んでいただくことです。
 
まとめ
- クマ被害は過去最多レベルで、東北を中心に深刻化している。
- クマが人里に近づく背景には、餌不足、里山の野薮化、不適切なゴミ管理がある。
- ハンターが撃てない最大の理由は、銃刀法による制限と、駆除活動に伴う法的責任リスクである。
- 猟友会は、制度の不備から緊急銃猟制度への協力を拒否する動きを見せている。
- 解決には、ハンターの法的安心確保、初動の迅速化、住民による誘引物除去が不可欠である。
全国的にクマの出没と人的被害が過去最悪のペースで急増しており、特に2025年度は死者数が過去最多を記録するなど、もはや「災害級」の危機です。被害の背景には、餌不足や生息域の拡大、そして過疎化・高齢化による人里との境界線の曖昧化があります。
この危機に立ち向かう「最後の砦」であるハンターたちは、高齢化と担い手不足に直面しているだけでなく、「(住民を守るために)撃ちたくても撃てない」という深刻な葛藤を抱えています。その原因は、銃刀法による発砲制限や、行政の要請による駆除にもかかわらず事故時に個人が法的責任を負うリスク(猟銃所持許可の取り消しなど)です。この不安から、北海道猟友会は緊急銃猟制度(2025年9月施行)の要請拒否を通達しました。
法改正により市町村長の判断で発砲が可能となる「緊急銃猟」制度が導入され、自治体による損失補償も規定されましたが、ハンターが背負うリスクを完全に解消するには至っていません。
今後、人命を守り、クマ被害を抑制するためには、行政・ハンター・住民の三者が一体となる「多層的な防御体制」が不可欠です。クマを街に呼び込まないための誘引物管理や境界整備、そして公務員ハンター(ガバメントハンター)の育成や、ハンターの法的リスクを国家の責任で明確に軽減する制度改革が急務です。クマとの真の共存は、私たち人間が社会全体の「統治のあり方」を見直すことから始まるのではないでしょうか。


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