渡部カンコロンゴ清花が自民党から出馬?擁立調整情報直後に反対の声殺到の経緯など!

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にゃあ子

渡部カンコロンゴ清花さんって誰?

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わん太

なんで自民党から出なかったのかな?

なんだか気になるけど情報がバラバラだよね。

このままだと真相を知らずに誤解してしまうかも…。

そこで、今回は「渡部カンコロンゴ清花さんが自民党から出馬」というお話がなくなった経緯のことなどについてまとめました。

この記事で分かること!
  • 渡部カンコロンゴ清花さんのプロフィール
  • 擁立中止の経緯など

本論に進む前に、まず渡部カンコロンゴ清花さんが自ら書き記した今回の経緯や想いなどを紹介しますね。

目次

渡部カンコロンゴ清花さんとはどんな人か

渡部カンコロンゴ清花さんは、多文化背景をもつ社会活動家として注目されてきました。

人権や社会的公正をテーマに、精力的に活動してきた人物です。

その経歴や発信内容が、今回の「自民党からの出馬擁立」の話題と直結しているため、まずは人物像を丁寧にひもといてみましょう。

人物像を把握することで、なぜ今回の擁立が物議を醸したのかも見えてきます。

背景を理解する第一歩として、彼女のこれまでを整理しましょう。

ではまず、彼女の基本的なプロフィールから見ていきます。

渡部カンコロンゴ清花さんのプロフィール

  • 氏 名:渡部カンコロンゴ清花(わたなべ・かんころんご・さやか)
  • 生 年:1991年
  • 出 身:静岡県浜松市
    • 様々な背景を持つ子どもや若者が出入りする実家で育つ
  • 学 歴:東京大学大学院総合文化研究科修士課程修了
  • 活 動:活動分野:社会運動、人権活動、教育支援など
    • 2016年、NPO法人WELgee設立

情報引用元:グローバル人材育成プログラム

複合的なルーツをもつことから、多文化共生や差別問題に対して鋭敏な感覚をもっています。

SNSや講演を通じて、「自分らしく生きる権利」を社会に問い続けてきました。

多くの若者やマイノリティの共感を集めています。

政治活動のきっかけは両親?

きっかけは、小学生時代の「バングラデシュ滞在」だったと語っています。

振り返ると、子どもの頃から、先生やどこかの偉い人が言ったことを「本当かな」と思っていたような気がします。もしかしたら、きっかけは7歳の時、助産師をしている叔母を訪ねてバングラデシュで2週間ほど滞在したことだったかもしれません。私が育ったのは静岡県の田舎の町。通っていた小学校も学校全体で100人くらいだし、町自体、同質性が高い。外国人もいない、東京からも離れた田舎にいながら、「この空間だけじゃない」という思いを常に抱いていたのは、外に別の世界があることを知っていたからなのかもしれませんね。子どもの頃は自分の足で外に出られないことにもどかしさも感じていたのでしょう。

引用元:グローバル人材育成プログラム

目の前の人の発言や出来事に対して「本当かな」と思うところが問題意識の原点みたいですね。

そして、「自分の足で外に出る」ことができるようになってから、行動に加速力が増したのかもしれません。

また、彼女の家庭環境も今の彼女の原点となっています。

現在の活動には、プラスとマイナスの両面で両親の影響も受けていると思います。私が中学生の頃、両親は仕事を辞めて不登校の子どもなどを支援するNPOの運営を始めました。事務所を兼ねた自宅には、家を追い出されたり虐待を受けたりして居場所を失った子どもたちや就労支援施設で働く障がいのある若者たちなどが常にいる状態。中学から家に帰ると、だいたい、知らない子どもたちが「おかえり〜」とか言っている。真っ赤な裏地の学ランを着た同じ中学の生徒も家にいて、なぜか私が英語を教える係になったりして(笑)。同じ地域にこれほど多様な立場の人がいること、学校や教室の中だけでは見えていないことがたくさんあったことに気づかされる環境でした。7歳でのバングラデシュ訪問が私の視点を横(グローバル)に広げてくれたとしたら、両親の活動に触れたことは視点を縦(ローカル)に深める経験だったと思います。

引用元:グローバル人材育成プログラム

彼女が育ったのは「静岡県の田舎の町」。

そういう田舎で、フツーには触れることができない環境、それが彼女の家庭だったのです。

この流れで、政治的な関心を持つようになり、「制度から社会を変える必要がある」という信念へとつながっていきました。

ポイントは持続可能性!

渡部カンコロンゴ清花さんは、以上のようなご両親による一風変わった環境で育ちました。

彼女はそれなりにご両親の活動や生き方に賛同していたのでしょう。

一方、「おや?」と思うところもあったようです。

一方で、両親の活動に対して「これって持続可能なの?」と子どもなりに疑問を感じていました。活動自体は社会的なインパクトはあるし、この活動によって「やっぱり生きよう」と思った子どもも多くいたはずです。でも、我が家は経済的に苦しかったし、外食も記憶にない。親の給与を知った際には、顔には出さず心の中で愕然としました。高校進学の際も、授業料全額免除のコースを調べて私立の高校を受験しました。おかげでサバイバル能力はついたかもしれません(笑)。でもこの活動を仕事として20代や30代が選ぼうと思うかといえば、疑問ですよね。結果的に自分もNPOを始めましたが、実家のNPOがあったからこそ、持続可能性については常に考えています。

引用元:グローバル人材育成プログラム

中学生時代に「これって持続可能なの?」と感じた疑問が、その後の活動にも生きてきます。

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WELgeeの活動でも、定款もなければ福利厚生も休日もなかった(笑)初期の頃は、ビジョンやミッションに興味を持って関わってくれた優秀な20代が次々去っていきました。これが一番辛い時期でした。創業期に“言い出しっぺ”と他の人の熱量に差が出てしまうのは仕方ない。でもその状態を続けていたら、すでに生涯暮らせるお金を稼いだリタイヤ組、本業で稼いでアフターファイブでのボランティアさん、もしくは「家がないならハンモックで寝ればいい」と思う私のような特殊な人間しか集まらなくなってしまいます。ボランティアベースのみで持続できるNPOももちろんありますが、日本に避難してきた人たちの命や人生に関わる私たちのような活動では、プロフェッショナルがフルタイムでいる必要があるし、その人たちにきちんと給与を払う必要もある。活動の継続には、メンバーが育児や介護の時期を経ても仕事が続けられる制度を整え、新卒の人に就職先として考えてもらえる場所にしなくてはいけません。今はスタッフの増員もできるまでになりましたが、まだまだ模索中です。

引用元:グローバル人材育成プログラム

以上のような試行錯誤を経て、渡部カンコロンゴ清花さんが行き着いた境地それがコレです。

  • 挫折を経験してたどり着いた現在地「リーダーシップのスタイルは人それぞれ」
にゃあ子

社会運動家としての芯の強さが伝わってきますね

渡部カンコロンゴ清花さん、自民党から出馬ならずの経緯

渡部カンコロンゴ清花さんの自民党からの出馬は、確かに検討されていましたが、結果として擁立は見送られました。

背景には、過去の発言や思想性と自民党の立場との大きな乖離があります。

具体的な経緯をひもとくことで、何が問題となったのかが浮き彫りになります。

この章では、なぜ擁立が立ち消えになったのかを、段階を追って説明していきます。

まずは、どのように出馬が取り沙汰され始めたのか、その経緯を確認しましょう。

擁立の動きと背景

2025年4月11日、複数の報道機関から「自民党がカンコロンゴ氏を擁立する方向で調整している」という情報が流れました。

どうやら渡部カンコロンゴ清花さんが公募に手を挙げたようです。

自民党東京都連は夏の参院選東京選挙区(改選数6)に、難民申請者を支援するNPO法人代表理事の渡部カンコロンゴ清花氏(34)を擁立する方向で調整に入った。近く党本部に上申する。公認が決まれば武見敬三氏に加えて2人目の自民候補となる。石原伸晃元幹事長も公募に手を挙げていたが選ばれない見通しとなった。関係者が11日、明らかにした。

都連は2019年参院選で擁立した丸川珠代氏が昨年10月の衆院選に出馬したため、候補を公募していた。11日に都内で開いた選考委員会で井上信治都連会長に一任した。

引用元:産経新聞埼玉新聞中国新聞 etc.

ここの引用に掲げたどの新聞もこの「引用部分」以外も含め、一字一句すべて同じ、つまり情報ソースは1つ?

そして、どこにも渡部カンコロンゴ清花氏擁立の経緯はどは書いていない。

他に、それなりに名のある情報元で、渡部カンコロンゴ清花氏擁立の経緯が書いたものは見当たりません。

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結果、渡部カンコロンゴ清花さんの擁立はならなかったことはみなさんご存じの通りです。

それでは、渡部カンコロンゴ清花さんが自民党から出ようと考えたいきさつといいますか、経緯を、彼女のnoteから引用しますね、ちょっと長いです。

なぜ自民党からの挑戦だったのか。

学生の頃から数えるとこれまで私は10数年間、NPOや民間の立場からのアプローチで、現場の声を社会に届け、事業を通じて社会課題解決に向き合い、制度や政策に反映させようと尽力してきました。しかし、そうした動きが非常に重要である一方、限界があることも痛感しています。どれほど現場で課題を見つけ、声を上げても、制度の側から本気で変えていかなければ、社会の根っこは動かない——その現実に何度も直面してきました。

だからこそ、政治の側に入り、政策や制度を動かす側にいつか回りたいと考えるようになりました。そしてその中でも今回、自民党を選んだのは、現実に政策を動かす力を持っている政党だと感じる場面に触れてきたからです。

私が思う政治のあるべき姿は、ただ理想を語るだけでなく、それを現実に落とし込み、社会に実装していく力を持っていることです。誰もが語れる「あるべき姿」を、実際の制度や政策として形にし、きちんと機能させていく——その実行力こそ、いまの日本にとって必要だと感じました。そして、それは私自身にも必要な力だと痛感しました。

だからこそ、これまで現場で積み重ねてきた経験を活かしながら、よりよい社会をかたちにする政策づくりに、実際に関わっていきたい。その想いにもっとも近い挑戦の場として、今回声をかけていただいたのが自民党でした。

(中略)

ただ今回は、最終選考後、公認に至らなかったという結果です。

引用元:note / これまでの歩みと政治への挑戦にかけた想いについて

巷の噂では、自民党の某やり手議員が「立憲民主党の票を彼女の擁立で奪おうと画策した」みたいなことが囁かれていますが、事の次第は闇の中です。

擁立調整情報直後から反対の声が…

さて、渡部カンコロンゴ清花が自民党から立候補するという情報が出で直ぐに、彼女の擁立に反対する意見がSNS投稿などで目立ち始めました。

彼女に対する批判的なポストをエックスからいくつかピックアップしますね。

自民党は彼女を擁立せず

自民党は結果として、渡部カンコロンゴ清花さんを擁立することに至りませんでした。

夏の参院選東京選挙区(改選数6)を巡り、自民党の都連が検討していたNPO法人前代表理事の女性の擁立を断念したことが16日、分かった。女性が過去に自民への批判的な活動をしていたことに、党内から反発の声が相次いだ。参院選が迫る中、首都決戦の候補者選びは迷走している。

都連が擁立を調整していたのは、難民申請者らと企業のマッチングを支援するNPO法人の前代表理事、渡部カンコロンゴ清花氏(34)。関係者によると、渡部氏は複数の都連幹部らと親交があり、参院選東京選挙区の公募に手を挙げたという。

自民は、同区ですでに武見敬三参院議員会長(73)の公認を決めており、公認されれば渡部氏は2人目の候補者となるはずだった。

引用元:産経新聞

自民党東京都連は夏の参院選東京選挙区(改選数6)で調整していたNPO法人代表理事の渡部カンコロンゴ清花氏の擁立を見送った。渡部氏が過去にXで安倍政権を批判する投稿をしたとして、保守系議員を中心に問題視する声が相次ぎ、対応を迫られていた。関係者が16日、明らかにした。

都連が東京選挙区の2人目の候補として擁立する方向で調整に入った後、投稿が確認された。改めて選定作業を進める。

引用元:四国新聞社

これらの情報を読む限り、自民党の力が瓦解してきた・・・と感じるのは筆者 taoだけでしょうか…。

いずれにしても、自民党としては、最終的には「選挙への影響が大きすぎる」と判断し、党本部としても見送りの方向に舵を切ったようです。

にゃあ子

思想と政党方針のギャップが大きすぎたんでしょうか…

なお、ここまで、渡部カンコロンゴ清花さんの発言などについては、特段、調べあげたりしませんでしたが、次の動画で、それを補足してください。

なお、動画を見てのご判断は、ご自分でお願いします。

まとめ

今回は、「渡部カンコロンゴ清花さんが自民党から出馬」というお話がなくなった経緯のことなどについてまとめました。

この記事のポイント!
  • 渡部カンコロンゴ清花さんの育った環境と考え方の背景
  • 自民党の立候補擁立中止の経緯など

自民党からの出馬が見送られた背景には、過去の発言やSNSの投稿が影響していました。

党内外からの反応も冷ややかで、最終的に出馬は見送られる形となりました。

彼女のこれまでの発言などから、多くの人たちは「彼女が左翼活動家」と見られており、そういう人物を自民党の立候補者として擁立する・・・ということ自体に大きな反発があったようです。

ただし、筆者 taoが調べた限り、そして、この記事に掲載した引用元情報などを読む限り、渡部カンコロンゴ清花さん自身が自民党から議員になろうという気持ちは、真剣なものがあったのだと感じています。

にゃあ子

正直、こんな経緯があったなんて知らなかったね。

もっと本人の考えを深く知ることで、今後の動きを見守っていきたいですね。

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