- 2025年7月17日注記:
- 朝乃山は5日目に取組あり、勝ちました。通算で2勝1敗となっています。
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孤独な土俵で、彼は一人ではなかった。 不祥事と度重なる怪我で奈落に落ちた朝乃山を支えたのは、多くを語らない師匠の涙、家族の揺るぎない愛、そして故郷の温かい声。
失った信頼を取り戻すため、彼を信じ、共に歩む人々の「絆」の物語が、今、明かされます。
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1. 孤独な土俵、しかし彼は一人ではなかった
幕内から二度も番付を落とし、度重なる怪我に見舞われた朝乃山の相撲人生は、まさに試練の連続です。
新型コロナウイルス対応ガイドライン違反と虚偽報告による失墜は、彼自身の過ちであり、その後の苦難は、彼に「孤独な戦い」を強いました。
しかし、そのどん底の状況にあっても、朝乃山は決して一人ではありませんでした。
彼の背中を押し、再び土俵へ向かわせる原動力となったのは、彼を信じ、支え続けた多くの人々の存在です。本稿では、その「絆」に焦点を当て、彼の人間的な再生の物語を紐解きます。
2. 沈黙の師
高砂親方との絆:元関脇・朝赤龍の涙が教えた「責任」…
朝乃山が新型コロナウイルス対応ガイドライン違反と虚偽報告という不祥事を起こした際、師匠となったばかりの高砂親方(元関脇・朝赤龍)は、即座に「師匠として私の不徳の致すところ」とコメントし、自らの監督責任を認めました。これは角界における師弟関係の美徳を示すものでした。
高砂親方と朝乃山の師弟関係の深さは、ある逸話からもうかがえます。朝乃山が若手だった頃、当時現役だった朝赤龍(現在の高砂親方)が幕下陥落を喫し、高砂部屋の連続関取在位記録を途切れさせてしまいました。その夜、朝赤龍は先代の高砂親方の前で「申し訳ありません」と号泣したといいます。当時その姿を見ていなかった朝乃山は、後にこの話を聞いて、「(朝赤龍は)部屋の伝統をいちばん重く受け止めていたに違いない」と、その責任感の強さに思いを馳せました。
この経験を持つ高砂親方からの指導は、単なる技術指導に留まらず、力士としての在り方、そして組織の伝統を背負う責任感を教える、深く道徳的なものとなっています。不祥事後も、師匠は朝乃山に対し「まだ若いので一から出直してほしいです」というメッセージを送っており、この静かで力強い師弟の絆が、朝乃山の人間的な再生を促す大きな原動力となっています。
3. 一番の原動力は…
母・佳美さんと、道を開いた亡き恩師への想い…
朝乃山が度重なる怪我や不祥事を乗り越え、土俵に立ち続ける上で、家族の存在は「一番の原動力」となっています。特に、2021年8月に父親が急逝してからは、母親の佳美さんが常に連絡を取り、精神的な支えとなっています。
また、彼の相撲人生を決定づけたのは、高校時代の恩師である浦山英樹さんの存在です。中学時代は押し相撲だった朝乃山に四つ相撲を教え、これが大相撲での彼の代名詞となる「右四つ」の取り口の基礎となりました。朝乃山が改名時に四股名に「英樹」と恩師の名前を付けたのは、彼への深い敬意の表れです。
浦山さんは死去する直前に、朝乃山に「横綱になれるのは一握りだが、その一握りになれる可能性がおまえにはある。富山のスーパースターになりなさい」という手紙を送っていたと伝えられており、恩師が彼に寄せた期待の大きさがうかがえます。
2023年1月場所で十両優勝を果たした日も恩師の命日であり、朝乃山は「一つでも恩返しができたら良いなと思っています。白星が取れて良かった」とコメントしています。
4. 決して見捨てなかった故郷
富山後援会の揺るぎない激励…
不祥事によって大関の地位を失い、番付を大きく落とした朝乃山に対し、故郷である富山の後援会は揺るぎない支援を続けました。富山後援会の理事長は、「日本相撲協会の処分を受け入れて、私たち後援会は、彼が力士であるかぎり応援していくので、皆様にはもう一度、朝乃山を育てるという気持ちで、応援していただければと思います」と謝罪しつつも、温かい支援を呼びかけました。
さらに、朝乃山の出身地である富山市呉羽町の自治振興会や地元有志は、「相撲人としての過ちは相撲で返す朝乃山を信じている」として、寛大な処分を求める嘆願書の署名活動を開始。締切までに8500人、追加で1000人もの署名が集まり、相撲協会に郵送されました。呉羽地区自治振興会の関係者からは、「生きている間にもう一度、朝乃山の相撲を見たいというご老人もいます。どうして休んだのかと泣いてしまう子どももいます。朝乃山にはそれだけのことをしたことを自覚してほしいです。何とか再び土俵に立つチャンスを与えていただきたいと思います」という、切実な声が寄せられました。
こうした故郷の人々の温かい眼差しと支援が、朝乃山がどん底から再び土俵を目指す大きな力となったことは間違いありません。彼の不祥事後も、地元の人々は彼を「富山のスーパースター」として応援し続けているのです。また、東京朝乃山後援会も様々なイベントを通じて朝乃山を応援しています。
5. 朝乃山の応援(サポート)に関する、よくあるQ&A
朝乃山への応援(サポート)に関する、よくあるQ&Aをまとめました。
- Q1: 朝乃山を支える師匠の高砂親方(元朝赤龍)は、どのような人ですか?
- A1: 高砂親方は、かつて自身も幕下陥落を経験し、部屋の連続関取在位記録を途切れさせた際に号泣した経験を持つ人物です。その経験から、力士としての責任感を深く理解しており、朝乃山に「師匠として私の不徳の致すところ」と述べ、自らの責任を認める姿勢を示しました。彼は朝乃山に「まだ若いので一から出直してほしい」と温かい言葉をかけています。
- Q2: 朝乃山にとって家族はどんな存在ですか?
- A2: 家族は朝乃山にとって「一番の原動力」です。特に、2021年に父親が亡くなってからは、母親の佳美さんが常に彼と連絡を取り、精神的な支えとなっています。
- Q3: 亡き恩師・浦山英樹さんは、朝乃山にどのような影響を与えましたか?
- A3: 恩師の浦山英樹さんは、朝乃山に彼の代名詞となる「右四つ」の相撲を教え、その基礎を築きました。また、浦山は朝乃山に「横綱になれる可能性がおまえにはある。富山のスーパースターになりなさい」という手紙を残しており、彼の相撲人生における大きな目標と精神的支柱となりました。朝乃山の四股名「朝乃山広暉」は、恩師への敬意を込めて「朝乃山英樹」と名乗っていた時期もありました。
- Q4: 不祥事後も、故郷・富山の人々は朝乃山をどう応援し続けていますか?
- A4: 故郷の富山の人々は、朝乃山を「相撲人としての過ちは相撲で返す」と信じ、寛大な処分を求める嘆願書に8500人以上の署名を集めて相撲協会に送るなど、揺るぎない支援を続けました。彼を「富山のスーパースター」として見守り、土俵への復帰を強く願っています。
- Q5: 朝乃山は処分中にどのように生活していましたか?
- A5: 処分期間中、朝乃山は大関経験者であるにもかかわらず特別扱いはされず、若い衆用の部屋で生活し、雑用やちゃんこ番もこなしていました。これは彼が自らの過ちを深く反省し、一から出直す姿勢を示していた証でもあります。
まとめ
多くの人の想いを背負って立つ、復活への土俵…
朝乃山が直面した不祥事と度重なる怪我は、彼にとって計り知れない苦難でした。しかし、その孤独な戦いの中で、彼を支え続けたのは、師匠高砂親方の温かくも厳しい指導、母親の愛情、そして故郷富山の人々の揺るぎない応援という「絆」でした。彼が**「一から出直したい」**と語るその言葉の裏には、これら多くの人々の期待と信頼を背負い、再び栄光の土俵を目指す強い決意が込められています。
横綱・照ノ富士が「死」と向き合いながら相撲の型を変えて復活を遂げたように, 朝乃山もまた、自身の肉体の現状を受け入れ、支えてくれる人々の想いを力に変え、「新しい型」を確立することで完全復活を果たすことでしょう。彼の「禊」の道のりは、多くの人の心に響く、感動的な物語として語り継がれていくはずです。
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