大相撲2023年5月場所で、一躍、注目された北青鵬(ほくせいほう)。
入幕2場所目で、3月場所では、記憶に残らなかった力士かもしれません。
しかし、5月場所の大活躍を目の当たりにして、早々に横綱になるのでは・・・と思った大相撲ファンも多いことでしょう。
本論に入る前に、2023年5月場所10日目、対・明生戦の模様を御覧ください。
北青鵬の足腰の強さが出ています!
もう、一本、本論に入る前にお腹いっぱいになってしまうかもしれないけど・・・。
2023年5月場所5日目、対・竜電戦、強い、強すぎる!
さてさて、この記事では、北青鵬の出生・国籍・相撲歴・入門後の活躍などを含めて、「北青鵬まるわかり」の上で、綱取りはいつ頃になるのかを予想してみました。
北青鵬の出生、国籍は・・・
まず、将来の横綱の器がある北青鵬のご尊顔をじっくり御覧ください(笑)。
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さて、まずは、北青鵬の出自など。
本名、アリューナ・ダワーニンジ。
2001年11月12日、モンゴルのウランバートル市で誕生。
その後、母の語学留学に伴い、5歳で北海道・札幌に移住。
北青鵬は現在、21歳で、帰化はせずモンゴル籍のままだが、すでに16年の日本歴があります。
当然、日本語は流暢であり、日本文化も十分に理解。
ちなみに、日本相撲協会による北青鵬のプロフィールには、
出身地は北海道札幌市東区
とあります。
さらに加えると、2020年の入門時点で、日本滞在歴が10年を超えているため、
北青鵬は「外国出身力士枠」の対象外として入門しています。
まあ、ほぼほぼ、日本人ですね。
北青鵬、入門前の相撲歴は・・・
北青鵬が相撲を始めたきっかけが、現在の部屋・宮城野部屋の親方(元横綱・白鵬)との出会い。
時期は定かではないのですが、母と2人で一旦、モンゴルに1〜2習慣帰国するということになり、韓国経由でモンゴルに旅立ちました。
しかし、そのとき、飛行機が飛ばなかったのです。
そして、翌日、飛行機に乗り込もうという前に、たまたまというか奇跡的に(!)、横綱・白鵬と出会います。
白鵬からは、励まされ、相撲をやりなさいと言われました。
北青鵬少年は、札幌相撲スポーツ少年団に入り、相撲人生をスタート!
白鵬とのつながりはある意味奇跡的であり、白鵬が親方になるのは運命づけられていたのかもしれません。
北青鵬、アマチュア時代の活躍について
北青鵬少年は、小学4年生から、6年生にかけて、「わんぱく相撲全国大会」と「全日本小学生相撲優勝大会」に3年連続出場。
そして、小学校卒業後は、白鵬の口利きで、鳥取市に相撲留学をします。
鳥取市西中学校を経て、鳥取城北高校に進学、1年生から全国大会に出場。
団体戦では2年・3年のときに各大会を連覇。
高校総体でも実績を残すなど、華々しい活躍をしてきました。
それでは、順風満帆だったかというと、中学3年生のとき、親元を離れるなど環境変化と稽古の厳しさなどに負けて、北海道に帰郷。
それを克服して、再び、鳥取に戻ることになったのは、またしても、白鵬からの激励があったからです。
北青鵬青年にとって、白鵬は人生の師ですね。
北青鵬、入門後の活躍は・・・
2020年3月、200cm・体重158kgの北青鵬青年は、因縁のある白鵬がいる宮城野部屋に入門します。
当時、白鵬がまだ現役だったので、横綱・白鵬の内弟子という形です。
四股名・北青鵬は、白鵬自らが名付け親。
具体的には、北海道の「北」、モンゴルの空をイメージする「青」、そして、白鵬の「鵬」です。
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番付に小さ〜く名前が乗った2020年7月場所は、序ノ口で全勝優勝。
翌9月場所も序二段で全勝優勝。
もしかしたら・・・とみんなが感じていただろう、11月場所でも三段目全勝優勝。
なんと、3場所連続の全勝優勝で、4場所目にして、2021年初場所の幕下まで、あっという間に、上り詰めます。
ただし、同年初場所は、宮城野部屋にコロナ禍があり、北青鵬は陰性であるにも関わらず、濃厚接触者として全休。
その後、幕下4場所目で全勝優勝、2021年9月場所には十両昇進を果たします。
しかし、残念ながら、同年9月場所は、北青鵬自身がコロナ感染し、全休。
2022年初場所には、幕下まで降格し、振り出しとなるも、2022年7月場所から2023年初場所までの活躍で、2023年3月場所に入幕を果たします。
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以下、北青鵬の成績を掲げます。

ここまでの活躍を目の当たりにすると、次に、大相撲の次世代を担う横綱になるかもしれない逸材・北青鵬が、いつ綱取りをするのかと考えるのは、ごくフツーの流れです。
で、この記事では、その時機を予想するわけですが、その前に、ひとつ、ほっこり動画をご紹介。
YouTube動画へ飛びますが、必ず、ここに戻ってきてね(次、綱取りの話だよ!)→ここから紹介動画へ飛ぶ
北青鵬の綱取りは、いつ頃になる?
まずは、現在の第73代横綱・照ノ富士から遡る、過去の歴代横綱20人が、平幕からどのくらいの場所で、横綱昇進を決めたかを調べました。
この場所数は、入幕した場所から、横綱昇進を決めた場所までの場所数です。ただし、一度、十両に陥落したらノーカウント。再入幕してからまたカウントスタートです。
なお、横綱昇進したあとの初めての場所は、場所数に組みません。
で、過去20人の横綱が「平幕から横綱昇進を決めるまでに要した場所」は次の通りです。
ちなみに、単純算術平均だと、29場所になります。

なんと、圧倒的最速だったのは、現在の横綱・照ノ富士です。
みなさんご存知の通り、照ノ富士は、かつて大関で大活躍して、すぐにも横綱になるかと言われていました。
実際、2017年の9月場所まで大関を務めていましたが、大怪我で序二段まで陥落してしまいます。
4場所の休場をはさんで、序二段からリスタートしたのが、2019年3月場所。
その場所から数えて8場所目(感染症拡大で大相撲中止となった場所を除く)となる、2020年7月場所に幕尻である東前頭17枚目で再入幕を果たします。
そして、その場所でいきなり13勝2敗で優勝。
翌場所には、東前頭筆頭までジャンプアップ。その後も2つの優勝を挟んで、再入幕の場所を含めて7場所目で横綱昇進を決めました。
これが圧倒的に最短事例です。
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この照ノ富士の例になぞらえると、そして、北青鵬が新入幕の2023年3月場所に優勝をしなかったことを考慮すると、照ノ富士の事例にプラス1で、最短8場所ということが考えられます。
つまり、これから北青鵬が最短で横綱昇進を決めるとすると、それは・・・
2024年5月場所となります。実現すれば22歳の若い横綱誕生です。
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一方、平均的な場所数29場所かかると考えると、北青鵬の横綱昇進決定は、約5年後で、北青鵬26歳のときとなります。
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さらに、過去20人のなかで、最長にかかった稀勢の里の73場所だとすると、約12年後、北青鵬33歳となります。
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個人的には、25歳(つまり4年後)までには、横綱昇進を決めてくれるのではないか、そうあって欲しいと思います。
その頃、朝乃山、北青鵬+落合(彼も宮城野部屋!)あたりが3横綱で活躍しているのではないでしょうか。
ちなみに・・・
落合は十両昇進2場所目の2023年5月場所、10日目までで10勝0敗。
十両優勝争い、ぶっちぎりの単独リードです。
まとめ
本記事では、宮城野部屋所属の北青鵬について、ツイートや動画を交え紹介しました。
その上で、北青鵬が綱取り、つまり横綱昇進を決めるのはいつ頃かということを検討しました。
現役横綱・照ノ富士を含め、過去20代の横綱の綱取りまでの場所数を基に推論。
結果、最速で2024年5月場所、平均的には5年後、遅くて12年後となりました。
現在、横綱1人、大関1人で、かつ、世代交代が決してうまくいっていないことを考えると、北青鵬には、1場所でも早く横綱昇進を果たし、大相撲を盛り上げてもらいたいと思います。