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【スーダン内戦】経緯を分かりやすく解説+追記あり〜邦人退避の可能性!?

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2023/4/21 18:00 邦人退避の可能性について追記しました。下記、「まとめ」のあとにあります。

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スーダンにおいて、2023年4月15日から、国内にある2つの軍隊、すなわち正規軍である「スーダン国軍」と、民兵組織である「準軍事組織(RSF〜Rapid Support Foreces)」との間で、軍事衝突が発生しました。

この戦闘では、詳細不明であるものの当初から100人単位の人々が命を落としており、同時に、「多くの在スーダン・外国人たちも危機の状態にある」と報道されています。

実は、スーダンでは、歴史的には長く内戦が続いていました。ただし、今回の軍事衝突は内戦というよりも「国軍と準軍事組織のトップ同士の勢力争い」です。


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この記事では、今起きているスーダン国内の戦闘について、その経緯をわかりやすく解説しています。

日本人を含む「在スーダンの外国人の方々」の現状と救援等については、機会があれば別途記事で取り扱うかもしれませんが、当記事では扱いません。


なお、本記事を書くにあたって一番参考にさせていただいたソースは、イスラム思想研究者である飯山陽(あかり)氏の情報です。大手マスコミの情報では、何もわかりませんので・・・。

目次

スーダンの基本的情報〜地図、人口など

スーダンの正式名称は、スーダン共和国(Republic of the Sudan)。
アフリカの北東にある国で、首都はハルツーム、最大都市は、オムドゥルマン。

人口は、約48百万人(2022年世界人口推計で世界30位)。

面積は、約73万平方マイルで、面積の大きな国・世界15位。アフリカではアルジェリアとコンゴ民主共和国に次いで3番目に大きな国です。


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スーダンは、ナイル川の支流である青ナイル川と白ナイル川の合流地点に位置し、農業や鉱業が盛んです。

また、多様な民族・宗教が混在しており、アラブ文化とアフリカ文化が混合した独自の文化を持っています。


なお、スーダンは、1956年1日1日に、イギリスとエジプトから独立(独立前については、次項で説明)。

スーダン〜独立前〜独立後、そして分割

1956年独立前

スーダンは、独立前、1899年からエジプトとイギリス両国による共同統治となっていました。

この共同統治以前、アフリカは、ヨーロッパ諸国など(イギリスやフランスなど)の植民地の狩場となっていたのです。その渦中、アフリカで南下政策を取るイギリスと、東進政策を取るフランスが敵対していました。

途中は端折りますが、イギリスとフランスは、スーダンとモロッコの利権を交換することで手打ち。結局、スーダンはエジプトとイギリスの共同統治に至ったのです。

北部・南部分断の素地と南スーダンの独立

詳細は省いて、とても簡単に書きます。

スーダンは独立後、南部が南スーダンとして分離独立します。

実は、エジプト・イギリスの統治下になる以前から北部・南部分断の素地がありました。

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まず、宗教。

スーダンは、現在イスラム教が国教。そして、人口多数がイスラム教徒です。しかし、スーダンにはキリスト教、伝統宗教なども多く、彼らは南部地域に多く、教会も存在します。また、伝統的な宗教信仰者も多くは南部地域に分布しています。

次に、民族ですが、北部はアラブ系住民であり、南部は非アラブ系住民。

このように統治される以前から、宗教的にも、民族的にも、北部と南部が分断する素地がありました。

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そのような素地のなか、統治下後、独立運動が起こります。それは北部地域から起きました。このため、エジプト・イギリス両国は、北部と南部を分断して統治する手法を始めました。

北部と南部の分断が単なる素地ではなく、深刻な現実となり始めたのです。

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1956年1月1日、独立に絡む内戦などを経て、スーダンは独立を果たします。しかし、国内は安定しません。

北部・南部分断の危機は続き、内戦の長期化や民族紛争などの背景があり、南部の非アラブ系住民による独立の要求が高まります。


内戦終結ののち、国際社会はスーダン政府と南部独立の交渉を促進し、国連やアメリカの関与もあり、2011年7月9日、南部地域が南スーダンとして独立します。

一見、紛争の火種は除かれたように見えますが・・・

スーダン〜2つの軍(国軍と準軍事組織 RSF)がある理由

現在、スーダンには2つの軍事組織があります。正規の国の軍隊、そしてRSFという準軍事組織です。

このRSFは、国軍と対抗できるほどの軍事力を持つ組織で、規模は10万人ほどと言われています。それは単なる戦闘力を超え、りっぱな一国の軍隊に匹敵するほど。戦闘機も戦車もミサイルも保有する。そのトップを務めるのがへメッティ氏です。

RSFは、もともとアラブ系の民兵組織でした。2003年ころ勃発したダルフール戦争時に、当時の政権支援を受けて、反政府勢力と対峙し戦う組織として設立されました。つまり、違法な軍ではなく、それなりに国に認められた軍なのです。

一方、国軍を率いるのは、ブルハーン氏。

一国に、2つの軍が存在する異様な状況ですが、この2つの軍は、これまでかなり協力的に事案に取り組んできました。

例えば、2021年に起きた軍事クーデターでは、国軍(ブルハーン)とRSF(へメッティ)は協力して政権を倒したのです。ここまでは良かった・・・。

スーダンの国内戦闘は、2つの軍事組織トップの勢力争い

クーデターで実質的な軍事国家となったスーダンですが、国際的には軍事国家であることは良くないという意向が高まります。

国際的な国の評判も落とすし、スーダンへの海外からの投資も先細る・・・。そして、やがて、軍事国家から民間移管へと動きを進めます。

そうなると軍事国家的な色彩を抑えるためにも2つの軍が存在する必要はなく、準軍事組織 RSFを国軍に吸収するという話の展開になりました。

これに強く異を唱えたのが RSFのトップ、へメッティ氏。つまり、2つの軍事組織トップの勢力争いがはじまったのです。その対峙が限界を超えてしまった・・・。

繰り返しますが、RSFは、他国のテロ組織などとは比較にならないほどの軍事力を有します。突然の戦闘は、2国の軍隊が自国で戦うというような状況に陥ってしまったのです。民衆のことなど、おかまいなしに。そして、あらゆることがノーコントロール状態のままに。


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このような状況に対し、国連、アメリカも2つの軍事組織に対し、停戦調整をしました。あのロシアさえも調停をしました。

結果、一時的停戦が結ばれたかのような報道もありましたが、依然、戦闘は続いています。


ブルハーン氏(統治評議会議長〜実質的な国政のトップ)率いる国軍は、「RSFは反政府勢力であり、RSFが解散しない限り交渉しない」と強調しているので、ここ数日で停戦が実現することは難しいかもしれません。

一方、スーダン国内に自国民がいる各国は、救援に向かいます。しかし、単なるテロ組織の反抗というようなレベルではなく、2つ軍の戦闘が行われているので、救援は難しい現状となっています

飯山陽氏のスーダンコメント動画紹介

本記事で参考にさせていただいた飯山陽(あかり)氏のYouTube(もしくは、出演しているもの)動画について、2つ紹介させていただきます。

まずは、飯山陽氏ご自身のYouTubeチャンネル「飯山陽のいかりちゃんねる」、4/20の動画です。

出典チャンネル:飯山陽のいかりちゃんねる

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次は、前記の動画の翌日に飯山氏が登場したYouTubeのニュースチャンネル。

このニュースチャンネルは「ニュースあさ8時!」(通称「あさ8」)で、チャンネルの主催は作家の百田尚樹氏とジャーナリストの有本香氏の共同。毎週月〜金の8時から2時間程度、帯の番組。

そして、ここ最近、飯山氏は木曜日のゲストコメンテーターとして登場しています。

さて、4月20日の「あさ8」のなかで、冒頭からの部分で「スーダンの戦闘」について取り扱いました。そのなかで、飯山氏がとてもわかり易い解説をしてくれました。

この動画です。

出典チャンネル:ニュースあさ8時!

まとめ

この記事では、2023年4月15日からスーダン国内で勃発した「国軍」と「準軍事組織 RSF」との戦闘について簡単にまとめました。

内戦を抱える国々では、民族・宗教対立などを背景に紛争が続くことが多いです。

しかし、今回のスーダンの国内戦闘は、「国軍」とそれに十分に対峙できる「準軍事組織」(RSF)のトップたちの主導権争いです。


批判を恐れずに極小化して言い換えると、国軍・ブルハーン氏と、RSF・へメッティ氏の戦いです。

RSFは、他国にあるテロ組織というレベルではなく、戦闘機や戦車、ミサイルなども保持する軍隊組織。

自国に2つの軍が存在するという奇妙奇天烈な状況下、その2つの軍が国内でぶつかりあうのですから、国民も在スーダンの外国人の方々も逃げる隙もなく、戸外へ出ることもできない状況です。

この状況下、さまざまなところから両軍に対し停戦が呼びかけられ、一時的には停戦に発動したように伝えられましたが、依然、戦闘は続いています。

日本政府は、在スーダンの60人の邦人救出作戦を進めていますが、その60人を救援地に向かわせることすら困難な状況です。

しばらく、ことの推移を見守ることしかありません・・・。

追記 2023/4/21 18:00  邦人退避の可能性

ソースは、飯山陽(あかり)氏のYouTube「飯山陽のいかりちゃんねる」です。

退避の可能性の鍵は「停戦」

スーダンにいる邦人60人を退避させるために、自衛隊機が向かったことはみなさんご存知の通り。しかし、スーダン国内は戦闘が激しいため、そこから1300kmほど離れたジプチで待機ということです。

日本以外も、アメリカ等々、自国民の退避に向けて動いています。

しかし、一時的な停戦があり、かつ、戦っている2つの軍隊がそれを守るという前提がなければ、無事に自国民たちを退避させることは不可能です。

実は、4月15日に戦闘が始まってから、各国が停戦調停に動いた結果、一時的には、18日と19日に停戦するということになりました。しかし、スーダンの国軍も、対峙する準軍事組織 RSFも、停戦を守りません。

つまり、無事退避を完了させるためには、停戦が必要なのに、それが守られない・・・。

絶望か・・・

飯山陽氏によると、実は、これからがチャンスだというのです。

21日はラマダンあけとなり、21日から「エイド」に入ります。エイドというのは、ラマダンあけのお祭り。だいたいどの国も3日間くらい続く。

日本でいうところの「お正月の三が日」みたいにお休みを取る。イスラム諸国で紛争があっても、「エイドくらいは休もうよ」となるとのこと。

なので、このラマダンあけの「エイド」が一時停戦になってそれが守られるチャンスだとのこと。具体的には、21・22・23日がビックチャンス。これ、各国が停戦を呼びかけているそうです。

おそらく、正規軍も準軍事組織も停戦に応じる。しかし、問題は、2つの軍が、停戦を守るかどうか・・・。

具体的な退避の3つの方法

さて、一時的停戦が始まり、2つの軍がそれを守るということになった場合、次は、退避の方法。飯山陽氏は次のように語ります。

具体的な退避の方法は3つ。

  • 首都ハルツームの空港から飛行機で退避する
  • ハルツームからポート・スーダン(港)まで陸路約840kmを移動し、そこから船で退避する。
  • ハルツームの北西にある空軍基地から飛行機で退避する。

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一番目、ハルツームの空港活用だが、実は、空港を制圧することが2つの軍の目的化しており、この空港がまさに激戦地区になっている。結果、空港はボロボロで、使えない!?

そうなると、二番目の陸路ということになるが、ハルツームから港まで陸路で向かい、そこから船に逃げる。だが、この陸路は840km、車でも12〜13時間かかり、停戦がきちんと守られない状況ではリスクが大きすぎる。

そして三番目が一番可能性が高いと飯山陽氏は語ります。ハルツームの北西にあるワーディーサイルナーにある空軍基地を使って飛行機で退避させるというもの。ハルツームの空港と違い、この空軍基地はまだ機能しています。ハルツームとワーディサイルナーの間は約20km。陸路の移動距離としても可能性は高い。

ところで、なぜ、空軍基地がまだ機能しているか分かるかというと、次のようなことがあったからです。

空軍基地から、エジプト人170人がエジプトに退避!?

4月15日、国軍と準軍事組織 RSFとの戦闘が開始した当時、エジプト軍人たち177人がRSFに捕まってしまいます。どうして、そこにエジプトの軍人がいたのかはわかりませんが、とにかく捕まってしまったのです。

もともとスーダンとエジプトは友好の深い関係があり、エジプトの軍人=国軍の見方と考えたのでしょう。しかし、RSFも歴史的な友好関係は理解しており、彼ら177人を開放します。

一方、開放された177人はどうなったかというと、前述の空軍基地から飛行機で国軍自らがエジプトまで送り届けました。4/18 or 19のことです。

つまり、空軍基地は機能しているというので
す。

飯山陽氏のYouTube動画、追加の紹介

追記のソースとして、飯山陽氏のYouTube動画を追加で紹介します。

出典チャンネル:飯山陽のいかりちゃんねる
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